【日記/1】人生設計をミスった

毎年、ロフトで次の年の「ほぼ日手帳」を買ったら、100個のやりたいことリストを作ることにしています。意識高い系みたいで恥ずかしいですが、このリストを作るのは楽しいので、毎年欠かさずやるようにしています。というか、していました。

今年もご多分に漏れず、2016年の「ほぼ日手帳」を9月に買って、リストを作ろうと思ったんですけど、今年に限っては、なんだか上手く作れなかったのです。60個くらい作ったところで、今も手が止まっています。例年、書き始めたら一気に作ってしまうので、11月になってもこんな状態になっていることは、なかなか珍しいことです。

理由はわかっていて、私は来年の冒頭に、おそらく人生でいちばんやりたかったであろうことを、ついに達成してしまいます。それを達成するのは、私の人生計画では、40代か、早くても30代半ばくらいになる予定だったんですけど、トントン拍子に話が進んで、20代最後の年に、それを達成してしまうことになりました。

達成できることについて、嬉しいかと聞かれたら、もちろん嬉しいです。それを達成できなかったら、私の人生は何だったんだと思うくらい、本当にいちばんやりたいことでした。なんだかんだで夢がかなわない可能性もあったから、この夢をかなえられるルートの人生を歩めたことを、神様に感謝しているのです。

だけど、なんともあっけない。ものすごく難しいことだと思ってたのに。それを達成するには、まだまだ知識も経験も足りないと思っていたのに。こんなに簡単に、私の夢はかなってしまうのです。人生の最終目標とでもいうべき「いちばんやりたいこと」は、もっと難しいことにしておくべきでした。人生設計をミスった。これを読んでいるみなさんは気を付けましょう。

100個のやりたいことリストを作れない理由は、来年の冒頭にほぼ確実に達成するであろうそれに比べると、他のやりたいことなんて、どれも色褪せて見えるからです。もっと上手にパスタを作れるようになりたかった。池澤夏樹の個人文学全集を全巻読破してみたかった。南米に行ってガルシア・マルケスの描いた世界が本当にあるのかどうか確かめてきたかった。だけど、それらは私がいちばんやりたかったことに比べると、あくまでオマケみたいなものです。ゲームはあまりしないからよくわからないけど、ボスを倒してしまったら、ザコキャラを何匹倒してももうしょうがないでしょう。私の人生は、ここでゲーム終了です。クリアおめでとう。もし本当に人生がゲームであったなら、ここでハッピーなエンドロールが流れます。

だけど、私の人生はどうやらゲームではないようなので、夢をかなえたあとも、きっとダラダラと続いていきます。倒すことに意味があるのかわからないザコキャラを相手にしながら、消耗戦のように、死ぬまで。

だけど、こんなことをいっといてアレですけど、これでよかったんだろうな、と思います。できないとか、まだ無理とかいって、いつまでもカードを胸に大事に抱えているより、そんなもんはとっとと切ってしまったほうがいいです。理由は上手くいえないけど、私はなんとなくそんな気がします。「もういつ死んでもいいや」って、早くいえるようになりたかったのです。あれをやるまではまだ死ねない、と思っていた私より、夢をかなえたあとの私は、きっとずいぶんと身軽になっているはず。

人間という生き物は欲深いので、こんな話をすると、「夢をかなえた後も、きっとすぐまた新たなやりたいことが出てくるよ」ってみんないうと思います。私も、ゲンキンな性格なので、そうなる可能性は普通にあると思います。だけど、今の私の希望としては、もうこれ以上やりたいことなんて、出てこないでほしいな。この先の人生で、今よりももっと強いボスを倒さなきゃいけないなんて、なんだか気が遠くなります。いちばんやりたいことをやってしまった私は、もうここで、比喩的な意味で、一度死んだらいいと思います。

来年の冒頭以降の私の人生は、ゲームをクリアした後のオマケです。余暇です。だけど、そうなってしまった後のほうが、私はもっと自由に、身も心も軽く、面白いことに挑戦できるんじゃないかなって思います。夢を失くすことに、私はわくわくしているんです。

……と、こういう個人的な雑記を書きたいときは今後noteを使っていこうかなと思っています。

شكرا لك!