見出し画像

ザッツ・エンタテインメント

僕が踊り始めた1990年。
今からおよそ30年前である。

80年代のダンス映画をひと通り観終わると、
70年代のミュージカル映画を観始めた。

正確に言うと、
84年製作「ザッツ・ダンシング」を観て、
ミュージカル映画の魅力を知り、
そこで出会ったのが、
「ザッツ・エンタテインメント」だった。

これが1974年にヒットすると、
翌75年にパート2を製作。

これがフレッド・アステア最後の出演、
当時アステア76歳のラスト・ダンスだった。
64歳ジーン・ケリーとの共演は、
たった2度のうちのひとつである。

ジーン・ケリーは「雨に唄えば」を筆頭に、
MGMのスーパースターだったが、
アステアへの尊敬を忘れない。

それくらいアステアは、紳士の代名詞だった。

マイケル・ジャクソンも、彼を尊敬していた。
アステアは80を過ぎて、
自宅でムーン・ウォークの練習をした、
というエピソードも残っている。

僕がマイケルを好きな理由が、
なんとなくわかった気がする。

ビング・クロスビーやフランク・シナトラも、
20世紀アメリカを代表するエンターテイナー。

それでもアステアには、ダンスがあった。
それも卓抜したテクニックで、
30年代から50年代、活躍を続ける。

90年代初頭、街はボビー派vsハマー派ばかり。
僕はアステア派、vsケリー派だった。

ひとりでタップ・シューズを買って、
池袋の暗い雑居ビルのダンス・スタジオに通う。

94年、パート1から20年ぶりに、パート3が製作された。
MGM設立70周年、ジーン・ケリー最後の出演作品となった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?