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人流データが明らかにした外出自粛の実態―伝えること&伝え方の大切さ

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によって、多くの人々が外出自粛を余儀なくされた。いまだコロナ禍の終わりは見えないが、私たちは適切に行動できていたのか、そもそも自粛の意味はあったのか。その答えを位置情報に基づく人流データによって導き出した研究を紹介する。

人々の自粛度合いをビッグデータで見える化

2021年6月18~19日、「国立情報学研究所オープンハウス 2021」が開催された。国立情報学研究所(NII)に所属する研究者たちが、その研究成果を一般向けにも公開する、いわゆるオープンキャンパスのイベントだ。例年、同研究所施設内で開催されてきたが、2020年と2021年はオンラインでの実施となった。

イベントのキャッチコピーに「情報学できりひらくニューノーマル。」とあるように、COVID-19関連の研究発表もあった。中でも印象的だったものの一つが、NII 情報社会相関研究系 准教授の水野貴之氏による「人流で振り返るコロナ2020」だ。

研究発表のアーカイブ動画(10分程度なのでぜひご覧いただきたい)

この研究では、携帯電話の位置情報を基に、各地域における住民の外出自粛率を可視化している。具体的には、携帯電話ネットワークにつながる端末の動きから、それを持つ人の動き(=人流)を統計的に割り出し、さらに自粛(自宅から500m圏内の行動にとどめていたかどうか)の割合を測っている。

コロナ禍以前と比べて、住民がどれくらい外出を控えているかを測ることで、感染率との対比から外出自粛が十分ではない地域を見つけられる。それによって、各自治体が地域の実状に合わせて効果的な自粛要請を行えるようにサポートする――これが研究の趣旨である。

同じデータでも伝え方で大きな違い

緊急事態宣言中に人々がどのように行動していたのかを明らかにする試みは、感染対策の一助にもなる貴重なものだ。特に、経済活動と自粛のバランスをどうとるべきかという観点から、行動範囲とテレワーク/出勤の関係について考察した内容は、企業や学校といった組織の運営者にとっても大いに参考になるだろう。

しかしながら、位置情報ビッグデータを用いた研究そのものについては、決して真新しいものはない。むしろ、この1年半の間、多くのメディアが人流に関するデータを報じてきたことで、人によっては見飽きているかもしれない。

私が水野氏の研究発表に注目したのは、そのデータの捉え方とメッセージの伝え方である。

「特に夜間の自粛が重要」と言われ始めた2回目の緊急事態宣言時、テレワーク率はそれほど上がらず、昼間に多くの人々が出歩く姿を目にすることになった。そのため、「世間の人々はそれほど自粛していないのでは」という印象を受けた人が多かったかもしれない。しかし、夜間については1回目と同程度まで自粛できていたことをデータは示している。

昼間の実感としては人々が出入りしているように見えたが、実は夜間はみんな頑張っていたのだ。すごく自粛できていたことが分かった。
(水野氏)

さらに、新規陽性者数がなかなか下がらない状況で、若者の「自粛不足」(これも妙な言葉ではあるが)がメディアなどで批判されたが、それについてもデータは印象と異なる事実を示している。

もう一つ分かったのは、若者は頑張っているということ。自粛率で見ると、自粛要請によって各年代とも同じくらい自粛していたといえる。ただし、若者は普段から動き回っているため、(同程度の外出量にするなら)もっと頑張れと言ってあげる必要がある。頑張っていないわけではないことはデータで分かっている。若者をただ責めるのはよくないことがデータから見える。
(水野氏)

この手のデータは、原因特定のために用いられがちだ。新規陽性者数が期待どおりに下がらない理由として、若い世代の外出量の多さが指摘された。普段は盛んに動き回っている分、同じ自粛率だと絶対的な外出量が多くなるのは事実であり、それを原因の一つとすることに異論はない。

一方、同じデータでも、それをどのように伝えるかによって印象は異なり、その後の行動変化にも影響を及ぼすのではないか。特にコロナ禍では、多くの人々が抑圧された日々を過ごしており、感情的にもネガティブになりがちだ。そのような状況では、もっと受け手の心情に寄り添ったメッセージの出し方を意識し、少しでもポジティブな要素があればそれもしっかり伝えることを、専門家やメディアは意識すべきではないだろうか。

伝えるべき人に適切な伝え方で

水野氏はこの研究結果を踏まえ、対象地域の粒度をより細かくして自粛要請を出すべきではないかとも提案する。現在、緊急事態宣言は都道府県単位で実施されているが、同じ県内でも市区町村単位で自粛率や新規陽性者数の動きを見ると大きく差がある。それなら、自粛率と新規陽性者数のバランスを見ながら自粛要請を行えば、感染対策と経済活動を両立できるというわけだ。

県議会議員や区議会議員は、地元がどういう状況なのか把握して、有権者に対するメッセージを出してほしい。ベイエリアと下町エリアでは、状況は大きく異なる。
危ないなら危ないと言ってあげる。頑張っているなら、頑張っていると言ってあげる。
できるだけ狭いコミュニティの中で自粛に取り組む。それが、経済と感染対策の両立になる。これらも人流データの解析によって見えてくる。
(水野氏)

実践的な感染対策として意義のある提案だが、特に「狭いコミュニティ」という視点が重要ではないかと思っている。「同一世帯」と「都道府県」の間には、さまざまな粒度のコミュニティがある。デジタル技術を駆使することで、それぞれのコミュニティでどう行動すべきか適切なアドバイスができるのではないか。さらに言えば、一人ひとりの精神的な支えにもなるのではないか。

「ちゃんと頑張っている」と伝えることの大切さ

水野氏の発表を視聴して思ったのは、70代になる私の母親のことだった。彼女や近所に住む高齢者の多くは、自粛要請に真面目に従い、模範的ともいえる生活を送っている。パソコンはもちろんスマホも持っていないか、持っていても専門的な情報を積極的に収集するようなことはしない(少なくとも人流ビッグデータを探して分析するようなことはしないだろう)。

入ってくる情報のほとんどはマスメディアからだが、前述のように問題やその原因を指摘するような、どちらかと言えばネガティブな報道が多い。なかなか減らない新規陽性者数や増え続ける死亡者数を聞かされ続けると、さすがに気が滅入る。しかし、気晴らしになる行動、例えば友人や孫たちと会うなどもかなわない――。そんな姿を見ていると、何か明るい話題の一つも提供して、少しでも気持ちを軽くしてあげたいと強く思う。

人間、我慢や努力をしても、それが報われないと非常につらいものだ。結果が伴わないと、「頑張っているのは自分だけではないか」という気にもなってしまう。これは、若者から高齢者まで、世代に限らず同じだろう。

感染対策においては、何よりも結果が重要であることは言うまでもない。それはそれで適切に評価しつつ、「ちゃんとできている人には、ちゃんとできていると伝える」ことも大切で、実際に行動変化を促す効果もあるのではないだろうか。引き続き気を引き締め、注意深く行動するための励みとして。

デジタル技術の発達によって、さまざまなデータを取得し、全体像を正しく把握できるようになった。コロナ禍では、図らずも専門家だけではなく多くの一般人が統計データや数理モデルに触れ、一喜一憂することとなった。このこと自体は悪いことではないだろう。

今後は、もっと一人ひとりに寄り添ったデータの解釈や情報提供(できれば優しさを伴った)も可能になることを願う。これも、デジタル技術を使えば可能なはずだ。


文:仲里 淳
インプレス・サステナブルラボ 研究員。フリーランスのライター/編集者として『インターネット白書』『SDGs白書』にも参加。

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