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暑い暑い夏の終わりにー利子の効能ー

薄らぼんやりと考えてみました。この日本という国について。

きっと夏休みの思い出とか、楽しいことについて語れば人気も出るのでしょう。若者たちはどこにいけば、楽しめて、盛り上がれるのか、自意識を満足させることができるのか。そこに注力しているのですから。ですが、そういう事は他の人たちにお任せして、私は憂うべき事について書きたいと思います。

大人たちは金を勘定する事に四苦八苦しています。金が今までのように儲からないために、禁じ手のような事をやってなんとか食いつなごうという姿勢ばかりが目立ち、社会正義や倫理などが蔑ろにされています。つまり、景気が悪いということです。

国は国民から過剰な税金を取り立てて(日本は世界2位の重税国です)、更に国債という借金までして、ごく一部の国民たち(体制側)に金をばら撒いています。そして、そのばら撒きの対象になりたい法人がこぞって自民党へ献金をして利権の確保に勤しんでいます。

このような経済的状況において、多くのオヤジたちは苛立っています。暑さはその苛立ちに拍車をかけます。昨今のおかしなニュース(放火、切りつけなどの傷害はもちろん、政府による公文書改ざんや隠蔽、大企業の組織ぐるみ犯罪)は、物事が順調でない証です。順調でないために、なにかしなくてはならなくなる人がいて、それが合理的な場合もあれば、非合理な事もあります。ただ分かっていることは、なにかしないとという焦燥です。だからオヤジたちは不機嫌で苛ついています。

街に出るとはっきりと分かります。笑顔が素直なのはたいてい、大学生くらいの若者か小学生以下の子たちか、観光客の外国人です。何も考えなくてもいい小学生がいて、その上に受験を通じて人生の関門に最初にぶち当たる中学・高校生がいて、それがひと段落した大学生がいる。しかし、都会の小学生はお受験がありますし、習い事のオンパレードで忙しいものです。都会の小学生は特殊かもしれません。すると、のほほんとしているのは、大学生や専門学校生だけという事になります。とはいえ、彼らも定期的に試験がありますから、そこまでぼーっとはできませんね。こうしてみると、子どもたちも人によって差はあれど、中学生くらいからはずっと忙しい事がわかります。
 街で笑顔でウロウロしているのは、実は、大学生くらいの年齢のフリーターや無職の人々なのかもしれません。高卒で働きながら、家族などの抱えるものはまだなくて、多少融通のきく金と時間がある。そういう人々が心から素直に笑っている。そういう風に感じます。

 20代後半以降は仕事に忙殺されています。たまの土日には家族行事が忙しく、暇があっても仕事が頭から離れる事はありません。心から笑うことも少なく、笑えることや泣けることがないかと、金を注ぎ込んでレジャーなど消費に向かいます。自分がさほど幸福でなくても、子どもたちが良ければそれで大丈夫という人も少なくありません。どこか自己犠牲的な気分があります。だからこそ、子どもたちへの過剰な期待となって跳ね返り、それが小学生以降の子どもたちの時間を奪うことにつながっていくわけですが。

さて、上記の事は恐ろしい事を表しています。つまり、ほとんどの日本人は人生のある時しか、素直に笑えないという事です。そして、その背後には常に「なにかしなくてはならないものを抱えてさせられている」という事があります。その事でいつも頭がいっぱいで他のことは考えられない。それが日本人の特徴です。

よって政治など生活全般の根本について日本人は考えないように生きていくことになります。常に誰かによって与えられた目的や目標を達成すれば、死なないように過ごせます。なんなら、そこには、それなりの快楽と達成感すら存在します。仕事をうまく回し、家族サービスをし、多くはないけれど安定的に金銭を得る。そういう事が既定路線化しています。

ローンを組んで働いてるお父さんは、仕事がなくなったら困ってしまいます。とにかく定年まで、何事もなく仕事が全うできれば御の字。くわえて、そこに何らかの達成感や使命感が得られたらラッキー。週末は消費でウサを晴らし、また月曜日に職場に向かうという日々です。しかし、この既定路線が崩れるとしたらどうでしょうか?

そう実はシステム的に既定路線は崩れました。過去形です。もう崩れています。ただ、ほとんどの人はそこから目を背けている、もしくは、それは自分の考えることではないと思考停止して、問題そのものである自らの仕事を遂行しています。「問題? そんなもん何もないよ。今まで通りでいいんだ。」これが50代以上の人々の言い分でしょう。そして、現在、売上が落ちている理由を、「自分は悪くない。ならば、誰かが悪い」という思考によって、他罰的に行動をしています。これが目に見える形になると、ハラスメントという事が起こるわけです。しかし、売上が落ちた本質は、景気が悪いからであり、金が停滞しているからです。そして、そのようになるよう、社会システムをいじった人々がいて、それを上記のように考えるオヤジたちが自分たちが不利になるともしれずに支持したからに他なりません。

需要と供給といいますが、現在の国の政策は全て「供給サイド」側の論理で動かされています。俗にリフレ派と呼ばれる人々が考えたことです。日本では竹中平蔵あたりが中心でしょうか。人々がモノを買わないと分かれば、普通はじゃあ、人々の持てる金を増やそうと考えるものです。つまり需要を増やす事。そのためには給料を増やし減税する必要があります。ところがリフレ派は考えることが違います。「そうだ!モノの値段を釣り上げれば、みんな焦って買うに違いない。」と。それが小泉政権時より実行され、今に至ります。

(ミンスがーとかいう人がたまにいますが、あの3年で実行された事など、その前の20,30年で実行されたことに比較すれば、誤差みたいなものです。その手の話は話のすり替えですので注意する必要があります。)

実際どうでしょう? 以前より明らかに値上がりし、物が買いにくくなっているはずです。供給サイドに都合のよいように政策を打つので、需要サイドはどんどん貧弱になりました。みんなが買わない→金が回らない→投資ができない→供給量が下がる→売上が減る→給与が減る→カネがない→みんな買わない、以下同文です。

だからこそ、れいわの山本太郎は減税政策を掲げています。需要を伸ばそうという話です。そして法人税を上げて財源を確保する。物が欲しい人に金がなければ買わないのは当たり前なのですから。政府は今、その逆で、みんなから金を取り上げて、特定の人々(つまり特殊法人や、政治家の’おともだち’)に対して金をばら撒いています。そんな事をしても、仕方がないのは明らかです。

では、どうしてそれが可能なのか。少なくとも特定の人々はそれを支持するからです。何故か? 彼らが既定路線を維持すると述べているからです。大企業を優遇し、今までと同じことをやっていれば良いように、小細工をしているからです。もちろん、そんなものはうまくいくはずがありません。だから、シャープは潰れ、東芝は身を売り、日産は体制を変えています。金融業でも早期退職という名のリストラが始まりました。ちっとも、既定路線を維持などできていないのです。安倍自民党がやったのは、既定路線を守るとみせかけただけで、中身は既定路線の破壊であり、外国への日本の身売りです。どこが愛国なのか、さっぱりわかりませんし、日本を良くする気などサラサラないのがいまの政治です。

この体制がうまく行かない理由は簡単で、現代社会の資本主義体制に欠陥があるからです。その欠陥とは「利子」です。そもそもにおいて「利子」は払えない無理な仕組みだからです。

利子が払えないものだって? 何をトンマな事を言っているのだと思ったことでしょう。しかし、考えてみれば明らかなのです。この世に私と、銀行家しかいないとしましょう。私が100万円を銀行家から借りて、利子を3%としましょう。すると私は期限までに103万円を返さなければなりません。しかし、私は100万円しかない。返せません。すると、銀行家はこういうのです。「じゃあBさんにも金を貸しますので、そこから利益を得てください」と。私は商売をして、なんとか103万円にしました。しかし、今度はBさんが返せません。すると、銀行家は「じゃあ、もっとたくさんの人に貸しますから、そこから利益を得てください」と言います。以後繰り返しになります。そうなんです、常に誰かが借金をし続けないと、利子で増えた負債分を取り返せない。これが資本主義の欠陥です。

資本主義社会では、借金をする人が連続して現れる必要がある事が求められています。そして、誰かがうまくやって金を退蔵すると、新しく借金をした人は、借金を返しにくくなります。そういう人がじわじわ増えていくのが資本主義の仕組みです。すると時が流れて後から来て借金をした人は不利になります。世代間格差は資本主義の仕組みから必ず起こります。金持ちは金持ちになり、貧乏人は貧乏になるという固定化が起こるという事です。それは本人の努力だけの問題ではありません。

返せないなら、債権が焦げ付きます。それだけなら、何も問題はありません。しかし実際には、担保とした土地や財産を取り上げられるわけです。そうして社会的信用を落とし、路頭に迷う人が増えていきます。日本の現実からいえば、金を退蔵している人や法人が増えた結果として、借金をしている人が返済をしづらくなっています。当たり前ですね。金が回らないのですから。その恐ろしい代償として、マイホームを取り上げられたり、中小企業の会社が潰れたりしています。これは利子という仕組みの欠陥です。本人がいくら営業努力をしても、金持ちがバンバン消費するわけではありません。むしろ、彼らは金で金を買うような事をして、更に資本を市場から退蔵していきます。そうして、減った市中の金を奪い合う形で、市場が競争を続けることになります。要は、銀行家が貸す相手を増やしたはずなのに、その貸した金を特定の人々が大量にもっているため、金が借金をした人の所に労働通じて回りにくくなるという事です。

するとどうなるか。金がない人は、金を得ようとします。仕事を探しますね。ところが、安い仕事しかありません。なぜなら、需要を抑制する政策をしているために、給与があげにくいからです。あまり物が売れないので、投資して工場を新しく作るなどもやりにくい。雇用側はなるべく、固定費となる人件費を抑えたいのです。多くの人は背に腹はかえられないと、その安い仕事につく。それがパートや非正規雇用の女性たちや若者です。正社員として労働できないのは、需要が満たすだけの金を流通しないからです。ますます、各企業は正社員を減らそうとします。しかし実態は、仕事内容はほとんど同じで安い月給で働かされるという事です。これが非正規雇用問題です。
 政府はこの問題に、外国人労働者を使って対応しようとしています。日本は世界でも有数の移民国家になりつつあります。安い給与でも働いてくれる便利な人々という悪どい話です。しかし、そんな政府を多くのオヤジたちは支持しています。それは既定路線を維持したいからです。自分たちが定年するまでは持ってくれればいいと。ふざけるな!!と私は思います。これは今話題のコンビニ問題に繋がります。

金を安月給でもいいから働いて、なんとか日銭をかせごう。健気な人々はたくさんいます。しかし、彼らは結婚や子育てがままなりません。すると少子化に拍車がかかります(少子化問題)。オヤジたちがやってきた事をそのまま実行するには、どこかの大企業にでも入らないと難しいという事になります。かつての普通が夢物語ではないか。そういう風に感じている若者は少なくないでしょう。

戦後資本主義の始まりを思えば、高度経済成長というものがありました。そこでは戦後の処理が進められ、一方では経済発展という希望がありました。人々は物欲に溢れ、借金を連続して続く状態が続いたというわけです。田舎の家を出て、マイホームを買う。車を買う。家電を買う。物欲は経済をドライブし、資本主義を支えていたわけです。そして戦後のベビーブームは、借金をする人を増やすという事を意味しました。また、都心へ出ていくということも金の巡りを作り出しました。結果として、いまの老人が大量に生き延びるという自体を引き起こしたわけです。金があり、ある程度健康的に生きることができたからです。これが高齢化問題につながります。

少子化の問題は高齢化の問題ともつながります。お金を退蔵しているのは、金持ちだけではありません。ある意味、年金ぐらしの老人もお金を退蔵しているようなものです。現役世代から金を恵んでもらう仕組みだからです。こういうと老人たちに怒られるでしょうが、事実恵んでもらっています。実際には、資産(つまり老人たちが貯めたもの)は国にあるらしく(150兆円ほど)、そこを崩していけば問題はないはずなのですが、日本政府は賦課方式という現役から金をとって老人に配るという仕組みを採用し続けています。そのふるまいは、貯金はあるけれど、それを使うのは嫌だから、とれるところから金を取れ、それも、老人が多いから福祉財源という言い訳でとれ、という官僚の考えた仕組みです。そして、年金資産はいま、株式や投資信託に投下されています(GPIFやJ-REAT)。利殖して資金を増やしてくれるというなら、いいやと思うかも知れませんが、利殖には失敗があります。必ず起こる年金問題に対して、減るかも知れないという政策をとるのは、愚策ではないかと私は思います。(事実、何兆円という単位で資産が減りました。)また、株式などを実際に年金の支払いに使うとなったら、どうなるのか? 現金化するなら株価は下がるはずです。それがわからないくらいに毎年、じわじわと売るのでしょうか? 私にはどう考えても、うまく取り崩せる気がしません。

ちなみにこの年金を株式につっこむというのは、日銀黒田に変わってからです。いわゆるアベノミクスです。そして、株価の押上げにつながりました。当然ですよね、だって政府が株を買うって公言しているのですから。それを知った海外投資家は株が安かったとき(1万円以下)に買い、いまごろ、適当に売りさばいているはずです。つまり、日本の資産が海外に売り飛ばされたという事になります。割合は知りませんが、これは事実です。安倍政権は日本の年金資金を、海外投資家に譲渡したといえます。大急ぎで付け加えると、このタイミングでFXなどで大儲けした日本人もたくさんいるはずです。一部の投資家たちはアベノミクスというか、政府資金による株価購入という形で、資産を築いた事でしょう。本来なら、老人に配られたり、庶民の懐にあったはずの金が、仕組みをうまく利用した誰かの懐に入ったといえます。合法ではありますが、私はこれをそのまま是とはできません。

ともかく年金問題は本来、そこまで問題ではないはずですが、増税のための口実となり、10月には増税が決まっています。福祉財源という名目で財源を増やしたい政府の意図を通すというのがこの問題をややこしくしています。


話を利子問題に戻しましょう。いまの若者は当たり前と思うかも知れませんが、実は昭和50年より前までは、ほとんど国に借金はありませんでした。しかし、そこから公共事業のためとか、なんだかんだと理屈をつけて、借金を重ねていきます。国の借金は、金融機関としては体の良い貸出先ですから、喜んで国債を買っていました。かならず利益になるからです。なぜなら、国民が背後にいるからです。しかし、今やマイナス金利がつく時代です。そう、誰も国債なんて買いたくない(S&Pによる格付けはA+で、韓国や中国より下です)。とりわけ金融機関は買いたくない。そこでいま現在進行系で、国は国民に買わせようとしています。多少の利率をつけてやれば売れるだろうとNISAという名前や、確定拠出年金から年金資金の一部を株や国債を買わせています。買う側は国がやることなのだからと、お得だから買うわけです。そして国民に買わせた国は、自分たちの借金なのだから、逃げ場がないと踏んでいます。額面通りに受け止めれば、NISA確定拠出年金運用などはやったほうが絶対に得です。問題は、仕組みがそのままいくのか、国債は価値を持ち続けるのかということ。そして円が崩壊するような事があれば、やっていた人は損をします。私は考えたくもないですが、安倍陣営が退散した後に残った焼け野原で、何がおこるか、考え対策の必要性を感じています。

さて国の借金について考えましょう。国がどうして借金をするのか。もうお察しの良い人はおわかりでしょう。そう、すごく単純に借金をする人が減ったからです。資本主義の本質は利子です。その利子を返すには誰かが借金をしていてくれないと成り立たない。高度成長期の一番の強みは、大きな需要と借金をする人間の数の増加でした。ところが、借金をしていた人たちが、高度成長期後に借金を返し、老人化したために需要自体がなくなり、金を退蔵し始めたら、その下の世代は金がなくなりました。潜在需要はあるんです。しかし、カネがないために需要がない。だから、買えないし買わない。結果として、企業はサービスをやめたり、投資を避けます。売れるかわからないからです。家を買う人は給与の見通しが必要ですが、企業が儲かるかわからない。結果として借金をする人が減っていきます。こうして、借金をする個人や法人が減ると、困るのはすでに借金をしている人たちです。

本来売れるはずのものが売れない。潜在需要はあるはずのに売れない。でも、企業は給与を払う約束です。雇用関係がしっかりと組み込まれているからです。そこで、企業は国を頼ります。国になんとかしてもらおうと。すると国は公共事業や特殊法人を通じて仕事を作り出すわけです。なにかにつけて。例えばマイナンバーカード。ペイシステム。大阪のカジノ、辺野古基地建設。新しく始まったサービスなど、その利便性を歌いながら、要は企業への仕事作りなわけです。軍事産業も同様です。通常の需要がないなら、軍需産業に投資すればいいと、国は防衛費を増大させています。また、つくったら使わないと減りません。だから、使う事、もしくは武器の前駆体のようなものを輸出するつもりです。これは原発問題でもあります。国が大きく支出して金を落とす先としての原発。除染作業という名の公共事業。復興とは名ばかりに、金を落とす仕組みづくりなわけです。そして自民党政治はキックバックを求めます。票田にならないような場所に金を回すことを嫌います。ここに政治と経済団体の癒着が現れます。そして、やる必要があるのかどうかもわからないような仕事が官僚によって作り出されます。代表例はクールジャパンでしょうか。

国から金をもらいたければ「忖度」しろ。安倍政権は自分たちの思想に有利なものに金を使う傾向があります。だからこその森友問題や加計問題です。金を落とす先を決めてから大義名分を作るので、齟齬が生じたわけです。そして公文書の改ざんなどに手を染めた。それが内閣のモラル崩壊につながりました。金がとれる仕事がほしい人々は、政府に群がっているわけです。それはメディアも同様です。政府が異常な事をやっていても、自分たちの生活を確保するためには、安倍政権にいてもらわないと困るという人たちが一定数います。それが異常な思想操作につながっています。メディアは真実を公表しません。なぜなら、仕事上都合が悪いからです。そして、その事がますます、安倍政権をのさばらせる理由になります。

安倍政権がなぜ、真っ当な経済政策の逆をいくのか。それは既存のシステムつまり資本主義の延命のためです。資本主義の利子のシステムからいえば、誰かが借金をして、その金を投資し、それを上回る利子を得て返済する。これを繰り返す事です。それが可能なのは、借金をするものがずっと存在する事。それに尽きます。ところが、そんなわけがない。現実問題として、いや、論理的にいっても、利子のあるシステムは必ず崩壊するのです。それは原理がそうなっているからです。利子の高い低いは人為的です。もちろん、借りる人が減れば、金利は下がります。借りる人が増えれば金利が上がります。しかし、それはゼロ以下にはならない。いや、ゼロにはならないのです。日銀の当座預金である準備金がマイナス金利でいいのは、国という権力装置が背後にあるからです。そうでない場合において、資本主義が成り立つには、利子はプラスでなければならず、プラスを維持するには、誰かが借金を続けてくれる必要があります。
 しかし、そんな事は絵に書いた餅です。よって、もうシステムが崩壊しているわけです。それがこのエントリーで書いた最初の意味です。資本主義社会はすでに無理筋です。いまどきならオワコンです。正確にいえば、バブルが弾けた時、もう終わっていました。ただそれ以外の方法がわからなかった日本のエリートたちは、他の手段をとるのではなく、現状をどうやって維持するのかに知恵を絞り、それを実行してきたわけです。それが、1000兆円という国債残高になりました。普通に考えたら、返せない額です。どこかでうやむやにするつもりなのでしょう。そのときに誰が国債を持っているのか。そう、NISAや確定拠出年金で運用する庶民だったりするわけですね。その時がきたらご愁傷さまとしか言いようがありません。国を信じて心中することになります。

資本主義陣営は欧米各国があります。彼らはいま、借金を他の国にさせる事で金を回収しています。第三国へ借款として金をかし、利息を得ているというわけです。またついぞ数年前に起こったサブプライムローンの問題。これもまた、利子問題でした。金を本来なら借りられないような低所得者に金をかして家を買わせ、その債権を他の債権と混ぜ合わせて売りつける。そういう商売でした。つまり、借金をする人間を増やすための操作だったわけです。資本主義は借金をしてくれる人を常に求めていて、その利子返済を追求する。そういう仕組なのです。

さて、資本主義社会が成熟しものが売れなくなってくると、システム自体が矛盾を起こします。その綻びが目に見えてきたというのが現実です。

焦げ付きが目立ち始めると、金融機関は貸し渋りを始めます。売れるかどうかは需要の問題ですが、給与が増える見込みがないので、人々の購買意欲が下がれば、企業は投資を控えます。すると金融機関は金を貸す場所に困り始めます。とはいえ、貸す側は返してもらうのが前提ですから、担保が確保されない場合は貸さないという状態になるでしょう。貸し剥がし貸し渋りはこうして起こります。

そうやって金を取り上げられた中小企業は潰れていきます。倒産すると雇用が失われ、生活にこまる人たちが増えます。それを保護するには国が支出するほかありません。これを生活保護が支えます。生活保護は今の所、大したことはありません。(よっぽどかオリンピックのための支出の方が問題です。)しかし、今後は非正規社員だった人々やパートだった人たちが、職を失ってしまえば、彼らを保護するための支出が増えるのは間違えないでしょう。8050問題とは、このようなところに発生します。年金ぐらしのお年寄りが引きこもりの50代をなんとか養っていた。親はそろそろ亡くなります。すると丸裸の個人が残されるわけです。そこには当然、保護が必要です。なぜなら、彼らが職を追われているのは、社会的な現象の責任でもあるからです。逆説的ですがシステムをただ現状維持して変革しなかった人々が、彼らの足手まといだったとも言えるからです。そして、彼らが本来得るはずだった利得を彼らに還元するのは当たり前であって、それは自己責任という概念で説明されるべきではありません。

一方で、少額の仕事を健気にこなすことに価値を見いだせない人々も当然います。そのうえ、階層社会に入り込むための努力もしない人もいます。彼らの一部は犯罪に手を染めます。それは暴力的なこともあれば、詐欺である場合もあるでしょう。結局、金であれば何でも良いと考えるからです。楽して大金が儲かればいいと、あらゆる場面で詐欺が横行しています。オレオレ詐欺などはそういう類でしょう。

日本ではまだ犯罪は抑制されています。それは教育洗脳がある程度行き届いているせいです。本来は自分の問題ではないことを自分の責任だと思い込まされています。そこに良心の呵責を感じる人は、自分を責めます。これが潜在的に全ての日本人に存在します。その心理的作用は、どこからくるのか。およそ、教育の成果なのでしょうが、それは一歩間違えば、ハラスメントであり、暴力による虐待といえます。目に見えない形で精神的に追い詰められている若者は後を絶ちません。若者の自殺率は世界一と言われています。これは、将来への希望のなさです。勉強がたまたまできる子は、社会の仕組みに置いて有利な場所へ自分を置くことができます。もちろん、その努力は大変なことです。ですが、その努力は、生活になんの役にも立たないという点で悲劇的です。そしてエリートだからといって幸福とは限りません。なぜなら、その地位を維持すべく、ひたすら闘争を続けるのですから。また、勉強ができない子はもっと直接的に心に痛手をおいます。自分を無能であると納得させるなんて、それこそが一番の虐待ではありませんか。そんな事を考えさせてしまうのは、大人が作った社会が悪い。私はそう思います。

さて、金がない。でも生きていくしかない。生活保護になりたくない。でも、生きていくしかない。そういう人はうっかり犯罪を犯します。貧乏は犯罪の温床です。ということは、このような問題を解決するには貧乏を打ち倒すことが必要となります。しかし、政府はそう考えません。犯罪を犯す人間が問題とみなしています。金が贅沢を言わない程度にあるならば、抑制される犯罪を国は取締の対象としているわけです。犯罪の仕組みは、それをしなければ生きられないという思い込みと、そのような社会システムから来ます。誰も好き好んで犯罪をしたい人はいないのではないか。風変わりな人はほんのごくわずかだろうと私は思います。その時、その犯罪を生み出しているのは、誰なんだろうか。そこに社会システムの問題があると思うわけです。既存の社会システムを保持しようとする行為自体が、犯罪を増やしているとも言えるわけです。
 なんの思い込みもなく、ただ会社にいって仕事をして帰ってくる。この人達が、犯罪を生み出すシステムに加担しているとも言えます。そんな言いがかりだろうって? 確かに微視的にみれば、まともな生活を送っている人と、犯罪を犯す人がいるだけです。2つに接点はない。しかし、社会はつながっています。あなたの手元にある金は、どんな形で誰の借金としてそこにあるのか。そう、全てはつながっているのです。

政府はこのような犯罪者を取り締まるため、その対策として防犯カメラ設置を推し進めようとしています。それは社会監視の一端を担います。微視的に見れば犯罪者を取り締まる警官たちの図です。しかし、それは問題の原因を取り除くことになりません。この社会を維持していれば次から次に、一定数の「犯罪者」が生まれてきます。その人達が本当にもともと犯罪をしたかったとは思えないのです。その人達を捕まえて喜んでいるのはただの阿呆でしょう。解決策は、そのような人間を作り出さない事に尽きます。犯罪へと加担しなくても良い社会にしなくてはなりません。しかし、昨今の社会情勢が続けば、犯罪者予備軍を作り出しているようなものです。いくら取締の能力が向上しようとも無意味ではありませんか。

また一方で、政府は、物事の問題が政治にあり、政治体制を牛耳る支配者の問題だと気がつくことを恐れています。支配者とは、とどのつまり資本主義の支配者の事であり、利子を儲ける人々の事です。金を刷って、資本を統括し、金を貸し付けることでさらなる金を得る人々は、政府を利用して国民に労働者として存在する事を押し付けています。その意図はなくても結果的にそうなっているといっても良いかも知れません。そのような事に目を向けられては体制側の人々は困ってしまいます。

そう戻ってきました。我々はこの社会で素直に笑っていない。その理由は「何かしらの義務を果たすべく常に負わされた存在だ」と自己認識しているからでした。それこそが家畜化された豚の役割です。その役割さえこなせば、生かしてもらえる。逆に言えば、それだけを考えて生きていれば、他には何もしてほしくない。ましてや、社会的な活動など無関心でいてほしい。それが政治をやるものの本音です。本来、政治とは直接的に生活の事です。村でなにかをするといったら、自分も当然何かをしなければならなかった事でしょう。それが今や、1億二千万という単位で行われています。政府が何かを決めれば、それに自分の生活が大きく関わるのは当たり前です(例えば、消費税10%)。しかし、多くの人はそれに無関心です。いや、関心があるけれど、それを考えさせないように日々に没頭させられている。こうして、現役世代は仕事に追われ、彼らを代表とするような政治家を擁立できず、現役を終えた老人か、専業主婦たちなどが政治をやるわけです。それではサラリーマンに何が起こっているのか、わかるはずがありません。

労働者たちは、自分たちによく似た存在をー言い方が悪いですがー再生産します。労働者自ら、労力として扱い、それによってますます、労力としてしか見られない生活に追いやられています。野生のイノシシよりも、豚の方が楽に生きられるかもしれませんが、牙をぬかれ、生の喜びも失った存在ははたして生きているのか、死んでいるのかわからないはずです。

資本主義を乗り越えるには、どうしたらいいのか。それはまた今度にしましょうか。

暑い暑い夏。そろそろピークは終えたようです。少し、貴方も社会について考えてみませんか?

まとめ

・資本主義社会は利子によって、システム的に崩壊を内包している。
・すでに、日本ではシステムは崩壊済みであり、その応急処置しかやってい ない。その綻びがいつ大きく膨れ上がって破裂するか。
・昨今の問題は殆どが金の問題であり、それはつまり生活の問題となってい る。
・資本主義を前提とした社会はすでに無理筋。とくに利子制度は見直される べきだ。現状維持というのは問題を解決しない。むしろ、もっとも危険。

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