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「僕らはそれに抵抗できない」

アダム・オルター著作の「僕らはそれに抵抗できない」を読みました。これを踏まえて「行動嗜癖」について書こうと思います。

行動嗜癖とはどんなものか分かりますか? 依存症とか中毒と言えば、少し理解が容易いでしょうか。薬や酒、タバコなど嗜好品など、快楽を生じさせる物質に対して依存が起こる事は広く知られています。しかし、現代では必ずしも、これらのような物質的なものだけでなく、特定のサービスや行動そのものに対しても、依存する事が分かっています。そのような特定の行動に依存する事を「行動嗜癖」と言います。

有名なのは、ゲーム依存症とか、セックス依存症などでしょうか。行動そのものに依存するという話です。一見すると、これらは如何にも本人の意思によっていくらでもやめることが出来ると思われるでしょう。むしろ、自由に本人の意志でやるような事であると。そして、このような依存は意志が弱く、流されやすい人にだけ起こると思われています。しかし、実際にはこれらの依存症はごく普通の人において現れます。特別に意志が弱いわけでもなく、特殊な人というわけではありません。逆に言えば、どんな人でも状況さえそろえば、依存症になり得るという事を意味します。

現代社会では、純粋に生きるための活動以外に多くの時間を費やします。そして、その時間を巡って多くの争いが起こっています。なぜなら、それらの時間を手元に引き寄せることでマネタイズが可能な時代だからです。その仕組とは広告です。Youtuberがどうして稼ぐことが出来るのか。それは広告があるからです。多くの人が動画をみる、その時に広告を打てば、多く人が広告を見ると想定出来ます。結果として、再生回数の多い動画は広告費の一部を得ることが可能なわけです。これらはテレビや新聞、ラジオでも行われています。耳目を集める情報を提供することで、より稼ぐことが可能となります。それが結果的に不道徳な行動を引き起こす要因になるのですが、それはまた後ほどに。ともかくも、多くの人を「スクリーンに釘付け」にすれば、金が稼げる時代であり、多くの人がそれを望んでやる状況にあるという事です。コンテンツが充実するほどに、人々はそれをついつい見てしまうという行動を繰り返します。そして、より刺激的なコネテンツを求めていきます。そうして多くの時間をそのコンテンツ消費に費やすわけです。

Webやスマホ、ゲームなど以外に、強く人を引きつけるのはSNSです。SNSサービスも例にもれず、広告を打ちますが、人々の目的はCMを見るためではありません。人々は「いいね」が欲しいのです。そして、他者の行動を気にかけています。SNSによって広く友人や友達が増えた事は間違えないのですが、それに多くの時間を使っている事が分かっています。Facebookや、twitter、Instagram、Lineなど実に多くのSNSに人々は参加しています。そして、日々それらを眺めているわけです。

さて、ここで質問です。あなたは行動嗜癖を起こしていませんか? もし、携帯電話を一週間使わないという約束をしたらどうでしょうか。SNSを見てはいけないと言われたらどうでしょう。Youtubeが禁止されたらどうでしょうか。おそらく、多くの人は何かしらの不安に駆られるのではないでしょうか。そして、それらを奪われることは、不当な行為だと反発するのではないでしょうか。自分は決して依存などしていないと。だから自由に見ていいじゃないかと主張することでしょう。

しかし、特定の行動をやめて情緒不安定になることを一般に依存症というのです。もし、あなたがこれらの行動をやめることが出来なかったら、それは立派な依存症と言えるでしょう。ゲーム依存症やセックス依存症を決して笑えないはずです。彼らを意志が弱い人間たちというのであれば、あなたもSNSを簡単にやめられるはずですし、一週間くらい使わないことに何の困難も無いはずです。しかし、多く人はこれらのサービスを使わないということに躊躇するでしょう。例えば、「いやあ、他の人から連絡が来たら困るし、」とか「別にちょっとの時間だけやるだけじゃないかと」。しかし、それこそ、依存症の人がいう言い訳の代表的なものです。ギャンブル依存症の人は「いやあ、自分は勝っているのだし、少しだけなら問題ないだろう」と、長時間に渡ってギャンブルし続けています。全くもって、同じ事なのです。

そう、大方の人が何らかの「行動嗜癖」状態である。そう言えるのです。それが現代という時代です。正直に告白すれば、私もFacebook、Twitterの「依存症」を抱えています。Webに向かって、気がつくとついついこれらのサイトにアクセスしてしまいます。そしてかなりの時間を費やしてしまい、その後に罪悪感を感じるのです。

どうして、そうなってしまうのか。オルターの本では、様々な行動嗜癖の話題が出てきます。1章では物質的依存症の話題を取り上げ、2章では「行動に対しても依存症になる事」を示し、3章では依存症の生理学が提示されています。特に大事なのは、物質依存と行動依存では基本的に同じメカニズムに基づくという点です。ドラッグに依存してしまう人も、オンラインゲームにハマる人も、基本的には同じ生理学的メカニズムに依ります。

最新の知見も書かれています。神経科学者のケント・ベリッジの一連の研究から、人々は「好き、嫌い」よりも「欲しいかどうか」によって意思決定するということが明らかになっています。大抵の場合、好きだから欲しがるというシンプルな図式が成り立ちます。しかし、依存症の場合には、対象の好き嫌いに関わらずに「欲しがる」のです。そして欲しがる事をやめることが出来ないというのが依存症の実態であることが分かっています。ドーパミンは快楽に関わる神経伝達物質と言われてきましたが、むしろ、渇望をドライブするための物質である事がわかってきました。渇望は学習によって強化されることが分かっています。そして一度強化された渇望はなかなか拭い去れないのです。

少し解説を加えると、とある行動をした時に、嬉しいこと、喜ばしいことが起こったとします。その嬉しさをフィードバックとして、ドーパミン系はその行動を良きものとして強化するのです。次回においてその行動が起こせる状況になると、嬉しいことや喜ばしいことを期待して、その行動を再度行います。そしてまた快楽を得る。これを繰り返すうちにドーパミン系が脳において強い渇望を生み出すわけです。そして、結果が伴わなくなっても、なお、渇望だけが残る状態。これが依存症です。ある行為、例えばドラッグ、を渇望します。それをどうしても手に入れたい。強盗などで金を作り出し、ドラッグを手に入れ摂取します。しかし、もう大した快楽は生まれません。薬理効果は大抵低減するからです。満足できません。すると更に強い薬、大量の薬を求めて行動をする事になります。これが依存症の最大の問題なのです。

では、なぜ依存症になるような行動をしてしまうのか。オルターは第二部において6つの要素を取り上げています。1.目標、2.フィードバック、3.進歩の実感、4.難易度のエスカレート、5.クリフハンガー、6.社会的相互作用です。

目標とは文字通りです。例えば、マラソンランナーはキリが良いタイムまで頑張ろうとしてしまいます。4時間を切るなどです。そしてそれを目指して行動を強化します。それを超えると今度は3時間半といった具合に、行動が強化される方向へすすむのです。そうしてランニング中毒が発生するようになります。どうしても、3時間半を切りたいと渇望するようになるのです。数字的に目標を定めると、人は必ず慢性的な不満足状態になります。達成しなければ、不満足ですし、達成すれば、さらなる目標が待ち構えています。そして不満足が持続されるわけです。数字的ノルマは人を不幸にすると言えます。

フィードバックとは、行為に対する反応です。人が求めているものは行為に対する反応なのです。誰かに挨拶をする、すると相手も挨拶をする。そういう反応に人は強く惹かれます。だからこそ「いいね」にも強く反応します。そしてフィードバックを求めて依存していくわけです。恐ろしいのは哺乳類の性質として、確実なフィードバックよりも、不確定なフィードバックを追い求めてしまうという事です。必ず当たるギャンブルより、たまに当たるギャンブルこそハマるわけです。

難易度のエスカレートとは、文字通り飽きさせないための仕組みです。そして、上達すると心地よいと人は感じるものです。そして、その心地よさを求めて行為を繰り返すわけです。それは、ゲームにおいて、うまいことボタンを押し続けることでコンボが出たり、クリアーしたりすることで生じる感情です。熟練することで小さなカタルシスを得るわけです。この快楽がその行動ーゲームをやるーを強化するわけです。その行動がうまくいくか、いかないかという形での不確実性が、更にその行動を強化し、依存的にさせていきます。ルディック・ループという状態になるようにゲームが工夫されているのです。
 生物は、本来的に報酬の過剰追求が出来ませんでした。たくさん獲物をとってしまえば、獲物は居なくなってしまいます。それに日が暮れれば獲物は見えません。また明日です。つまり物理的限界があり、報酬を過剰に追求しようにも出来ませんでした。ところが現代社会や、ゲームといったバーチャルな世界では、テクノロジーの進歩により、いくらでも報酬を追い求めることが可能になりました。すると、人は報酬を追い求める事に歯止めが効かない状態なってしまったわけです。

クリフハンガーとは、良いところで、横やりをいれ、中途半端な状態に人を落ち入れる事です。やり終えなかったことに人は注意を払ってしまう事が知られています。「ツァイガルニク効果」と呼ばれるものです。これによって、ついついNetflixにおいてドラマを見続けてしまう事が起こります(ビンジ・ウォッチング)。一種の中毒と言えます。よく漫画における「続く」というヤツです。次回が気になるように仕組んで終わるわけです。

そして、社会的相互作用。人は社会的動物です。自分が社会において認められている、他者と同じように考えている。また一方で、自分が特別であるなど、様々な状態において人は快楽を得ます。オンラインゲームには人を依存させるメカニズムがあります。その要素とは、1.没入感、2.達成感、3.社会的要素です。没頭出来るゲーム状況と、何かミッションをクリアー出来る事、そして仲間がいるという事。まさにオンラインゲームではこれらが準備され、うまく用意されています。

結局の所、我々がハマっているものというのは、脳の機能でいえば、ドーパミン系が作り出す欲求つまり渇望を作りだすものであり、その目的のために行動をやり続けてしまう事と言えます。

この後の章でオルターは、依存への予防法や、この仕組をうまく使うことによって人を仕事をゲーム化し、楽しみに変換する手法などを解説しています。興味がある人は是非読んでいただきたいと思います。


実は意図的にここまで言明しなかったことがあります。それは「どうして依存症になるような行動を人々がとるのか」です。多く人が意図せずに依存症になるのか、本では各章に散りばめられて語られているのですが、それについてしっかり考察しているわけではありません。しかし、ちゃんとした理由があります。そこで、私がつけたして解説したいと思いますが、ここからは有料という事にしたいと思います。興味がある方はぜひ読んでください。また、ここまで読んでいただいた方に感謝致します。

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