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他者がいる意味

✳︎今日のひとこと

人は、人を助けるために生きているんだ。
だから自分ごとは二の次にして、他人ごとにちゃんと関わろう。

尊敬している兄貴も桜井章一会長も、全く同じそういうことをおっしゃっています。
私はそれをよくわからないまま、ただがむしゃらに生きてきて、書くことでは確かにそういうふうにしてきたので(基本的に書くのは1年、読んでいただけるのはたった1日のお仕事なのだが、もしも人の心に寄り添えるなら全く苦にならない)最近やっとそれが少しだけわかってきたのです。
他人ごとにかかわるということに祭りとかボランティアみたいなめんどうくさいイメージしか浮かんでこなくて、「それはむり」と思っていたのですが、彼らがおっしゃっているのは「人に時間を割け」ということではなく、「自分のためだけに時間を使うな」というシンプルな意味だったのです。そのふたつって同じようだけれど、大きく違うんです。

農業をやっている歳上の友だちが、自分の畑で芋掘り祭りを無料でやる意味を、こんなふうに言っていました。
「近所の人が、ただごはんを食べたり話し合うのではなくて、お年寄りも子どももみんなが汗を流して芋を掘って、煮た芋をいっしょに食べて、掘ったぶんは家に持って帰れて、大地に感謝して、気持ちも体も動く。腰が曲がった、行きはやっとやってきたおばあさんが、元気になってカートいっぱいに芋を持って帰るのを見て、おばあさん含めてみんなで笑い合う。それこそが信仰であり、祭りというものの意味なんだ」
その日のために、自分だけが毎日苦労して芋を作っているとか、ただで持って行かれてしまうとは決して思わない、その日のみなの笑顔や感謝の言葉を見たら、なにもかも吹き飛ぶ、と。
私が小説を書くというのも、それと全く同じだなと思いました。
私の場合職業なので無料では提供してないけれど、取材費や、かけた時間、苦しみがみんな吹き飛んでしまうのは、だれかの命に力をあげられたとき。

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吉本ばななです。やがて書籍になるときにはカットされる記事も含めています。どくだみちゃんは散文、ふしばなはブログ風です。コメントはオフですが…