ほっちのロッヂコラム

モノとコトにユニゾンする、福祉とその働き手の物語。#ほっちのロッヂの始まりファンファーレ201909

2019年9月より、ほっちのロッヂの訪問看護事業(のようなもの、という表現にとどめておきます)が、一足先に始まります。

この #ほっちのロッヂの始まりファンファーレ201909 は、ほっちのロッヂメンバと普段関わりがあり、それでいて、持論がピリっとおありの方々に、「福祉に関わる働き手」について思うことを綴っていただく試みです。
どんな切り口で語られていくのか、乞うご期待!

(2020年4月、建物の完成と共に始まるほっちのロッヂの全事業開始時にも、このコラムリレーを企画しますので、お楽しみに!ほっちのロッヂメンバ一同より)

いつもは静かな騒がしいカフェの片隅で、#コラムリレーを書いている夏の日。
軽井沢に生まれる「ケアの文化拠点」にこんな名誉な形で関われることを誇りに思いながら。

「変わり続けるからこそ変わらずに生きてきた」

ニール・ヤングって過激なじいさんはギタリストとしてもシンガーとしても最高にクールな上に度々こんなことを口走ってはrock ’n’ rollのかっこよさを教えてくれるんだ。
しかも憎らしいのはその語り口がどこかpopだってこと。
特別バッファロー・スプリングフィールドの楽曲に興味がなくっても、ニールの言葉はどこかで真似したくなるもんなんだ。
日本でいう令和元年6月に仙台で会ったSatoko N Fujiokaって人にも同じような感覚を覚えた。でも彼女が軽井沢に作ってるステージも、そこで演ろうとしてる楽曲もすでにiPhoneのお気に入りリストに入ってたからね、なにも不思議じゃなかったよ。  
この時、自分の中で「たまらなくポップでロックなショーに出会える!」という期待が高まったんだ。生まれて初めてKISSのGIGに向かう機内の興奮と同じものが蘇ったよ。それが「ほっちのロッヂ」だったってことさ。

……洋楽雑誌のインタビュー風に言えば、こんな感じだったかな?
10代の頃、ニールやKISSの音楽と出会ってからGibsonのギターを一本担いでアメリカに飛ぶまでそんなに時間はかからなかった。藤岡さんとの出会いはその時に似たモチベーションをもたらしてくれてるのがわかるんだ。

◆自己紹介
はじめまして!(おそらくほとんどの読者に)。コラムリレー著者の中でも圧倒的に誰だよ?とお思いの皆さん。
軍司といいます、名前は大輔。ファーストネームはよくある名前で、苗字は少し珍しい。今は何者なのか自分でもよくわかっていないけれど、最初の職業はギタリスト。介護教員やコトラボというなんでもあり系NPOの代表をやっていたり、介護事業に関わったり、医療法人の教育顧問なんて大それた肩書きをいただいたり、デザイン、ライター、もちろん音楽もやっていて毎日をバタバタと雑多に暮らしています。

https://twitter.com/s1_gunji

◆福祉と教育と専門職と
そんな何者かよくわからない自分、実は「介護教員」の仕事が一番長い。そうなるとよく耳にするのが「専門職」「専門性」という言葉。当然のようにそれを追いかけた時期もあったけれど、あまり手応えを感じることはなかった。教育フィールドでは「福祉専門職」を養成することがひとつの目的になる。でもどれだけ「専門職」を養成しても卒業生は福祉の世界から離れていく。しかも期待していた卒業生ほどその傾向にあるという歓迎できない事態の繰り返しで、それは今も現在進行形で続いてる。教員なんて言っても、去っていく教え子の意思を変えるほどのクリティカルなワードが口から出てくることは滅多にない。皆なにかに打ちひしがれたり、現実的な(金銭的だったり)課題を抱えて「福祉の外」に出ていく。このままじゃ止まってしまう。福祉の形も教育の形も、専門職の形も、時代が流れていく中で変化する時期はとっくに来ている。

◆専門性は個人が生み出すストーリーに帰結する
医師にはヒポクラテスが、看護にはナイチンゲールが、ソーシャルワークにはメアリ・リッチモンドがいる。しかし介護にはそういう「アイコン」が存在しない。今のところ「原論」もない。そこを持ち出したある偉い先生がこんなことを言っていたんだ。

「だから介護は発展しないんだ!拠り所がないからね」


残念ながらそうは思わない。この状況、逆に捉えると先生のいないHRみたいな自由と創造性の中で自分たちなりの介護を、福祉をつくっていくことができるという素晴らしいステージだからね。
やりすぎた時に注意してくれる倫理と哲学という名の学級委員長をきっちり据えれば、あやふやな偶像を用意するよりも「縛られない」介護/福祉を構築できる、こんなクリエイティブで刺激的な世界はそうそうないよ。

「介護/福祉の専門性ってなに?」と聞かれるのは「ロックンロールの意味はなに?」と同じように難しい。でもおそらく、誰しもが目の前で起きたストーリーやタイムラインに流れるエピソードから「これだよね、専門性って」と思ったことがあるんじゃないかと思う。たとえばくだらないことを一生懸命やってる時に「ロックだな」って感じるのと同じように。
僕はそんな自由で水のような流れの中に生まれる「琴線に触れるストーリー」自体が「そこに産み落とされた」専門性なんじゃないかと思ってる。

つまり、ストーリーを生む力。

もちろん医療の知識からも音楽の知識からも、介護のスキルからも料理のスキルからもそれは生まれる。相談援助だってそうだ。
ストーリーが生まれた時、ヒトは「いい福祉を実感する」ことになるんだと思ってる。専門性はスパイスみたいなもので、それがあることで劇的に味は前進する。ストーリーが彩られる。

https://hotch-pr.com/n/n23ba30c14093

肩肘張って叫ぶような専門性は世界の倫理や価値観が変化した時に自分たちの存在意義が消えてしまう恐怖心から生まれたセルフバリアみたいなもんなんだ。そんなバリアがあると自分で自分の動きを制限してしまうし、変化を楽しめないのはもったいないと思う。ニンジャが戦国時代に打ち立てた専門性に固執したままなら今頃その存在は消えてるわけで、エンターテインメントショーやコミックの中で輝くスタイルに変化していったのは専門性を超えた「適応」なんだと思う。

◆モノとコトにユニゾンする福祉とヒト、それなりに世界を美しくする。
だから福祉とその働き手は概念だったり文化だったりの表情で、時代とモノとコトにユニゾンするように、ヒトとともに変化するものなんじゃないか、というのが僕の持っているイメージ。いつだって文化は混沌とした多様性とともにある。
だから「福祉の働き手」も変化していこう。多様でも、いや、むしろ多様なほうがいい。マンモスを追いかけていた時代と違って、今は仕事も働き方も趣味もたくさんある(ストレスも)。それは人生の楽しみ方が増えたのと同時に、福祉の形も手段も増えたってことだ。一人一人の多様な人生というアートが尊重されれば、美術館の価値は高くなる。福祉の働き手はこの多様すぎるアートを美術館内外にどう「デザインするか」が腕の見せ所になる。さぁ、やっと本題だ。

◆専門職から多能職へ
僕はいつも学生にも研修受講生にも必ず「介護/福祉は専門職から多能職になっていこうよ」と話している。多能になるということは何もカルチャースクールに行くことだけじゃない。今持っている「あなたのスキル」は介護以外にもあって、それはほとんどの場合世の中を前進させるものなんだ。スポーツでもマジックでも美容でもなんでもいい、武器を武器として認識することから多能化は始まる。
そんな多能化された福祉の働き手がまちに出る。水道を張り巡らせるように瑞々しい福祉を隅々まで行き渡らせる。福祉の働き手がインフラとしてそこに存在する世界は、きっと「彩の世界」になることができる。
特に介護職はこんなイメージに。

https://note.mu/d_g/n/nedd5fad5795e
以前こんなnote書いてました

これは逆も必要で「福祉職じゃない人が介護/福祉できたらそれはそれでいいよね」ということでもある。
美容師でもコンビニ店員でも芸術家でも国際マグロ評論家でも、それしかできないわけじゃない。絵が描けたり、字が上手かったり、本棚の脚を作れたりする。せっかくいろんな人がいる世界で高齢者に、障害のある人に、子どもたちに「専門性」だけが関わるなんてもったいないと思う。
それどころか高齢者だって生活者としての知恵も知識もスキルも、なんなら数十年の人生で身につけた特殊能力だって持ってる。時代を生き抜いてきた人のライフハックは想像以上に素晴らしい。そして子どもたちは新品の目と感性で世界を見ることができる。ケアする/されるって概念は既に過去のものなんだ。そんなもともと多能な人たちが集まる世界の「働き方」はもっと自由でポップで、文化的になっていくはずだ。

◆だからって夢見がちに語るだけじゃ変わらない
僕がコトラボでやろうとしていることも、ほっちのロッヂが軽井沢でやろうとしていることも、実はとんでもなくリアリティに満ちている。
人の可能性や多能性、多様性と向き合って、強みを引き出す。もしかしたらそれはバイステックがずっと昔に考えたことから地続きになっていて、ひたすらにベーシックなものなのかもしれない。
時代とともに変化してきた僕らは、人の捉え方をそのまま「福祉の働き手」というワードに落とし込むようになっていった。
まちの住民が車椅子を押していいし、こどもたちがそれを見て真似しながら成長すればいい。その分福祉職が美味しいコーヒーを淹れられるようになっていい。作り物じゃない自然なデコボコは人々が通ってきた道の、まちの表情だ。それを平らにならすことじゃなく、そんな道のあるまちで暮らせる環境因子が(例えば歩行介助が秀逸な蕎麦屋さんによって)存在していればいい。「カテゴリ」からはみ出す人が増えれば、それだけで世界は一気に価値が上がる。軽井沢にはそれがある。
その世界を作るために必要なリアリティは間違いなく「勉強する福祉の働き手が存在」すること。秀逸な仕組み、システムは勉強する福祉の働き手がいることでやっと走り出すことができる。夢を語るのもいいけれど、勉強と手を動かすことは何より大事なんだ(蕎麦屋さんが優れた歩行介助スキルを獲得するプロセスには勉強する福祉の働き手の関与が効果的だろう)。インフラとなる以上、飲める水でありたいし、より美味しい水でありたい。

◆変わり続けるからこそ変わらずに生きていく◆

聡子さんが仙台を訪れたあの暑い日、リンゴマークのPCよりも直感的に「この人と面白い世界を作ってみたい」と思わせてくれたことを昨日のように思い出しながら書き上げたこのコラム。実はまだまだ書きたいことが溢れてくるのだけれど、今回はこの辺にして、まもなく始まる最高のショーに備えよう。
「変わり続けるからこそ変わらずに」あり続けることができる福祉の働き手が増えることを願って。

【書き手】
軍司 大輔
NPOコトラボ代表/介護教員/東北文化学園大学非常勤講師/(一社)認知症当事者ネットワークみやぎ理事などなど。ギターはGibson、お蕎麦とカレーが好き。 トマトが苦手。

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