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劇的に変わったことはないけれど、始まりのきっかけは手に入れた

ちょうど2年前のいま頃、ほぼ日の塾に通っていた。ほぼ日のオフィスと同じく外苑前で働く、新卒1年目のWeb編集者だった。

期間中はいつも、塾の時間まで残業で時間をつぶし、徒歩2分のほぼ日オフィスまで、一緒に受講していた会社の先輩と二人で歩いて通った。

ほぼ日の塾に受かったときのことは覚えている。2016年9月1日の22時過ぎ、飲み会帰りの電車の中でメールを開き、小さくガッツポーズをした。ここから新しいスタートが始まったと思ったのだ。

ほぼ日の塾を受けたのは、一種の賭けだった。

新卒で入社した会社では、予てからの希望通り、Web編集者として記事の制作を任されていた。しかし、会社がつくるコンテンツの方向性と自分のつくりたい記事の方向性が合わず、もやもやが募る。入社してからの数カ月でいろんな人が退職し、自分の負担や責任は増すのに、仕事のやりがいは一向に増えない。なまじ学生時代からライターを経験していたので、漠然と「ほんとうはもっといい記事が書けるのに」と思っていた。

ほぼ日の塾の募集を見つけたのはその頃。小学生のときにドハマりしたゲームボーイアドバンスの『MOTHER1+2』がきっかけで、文章を扱う仕事に憧れた僕は、糸井重里さんを尊敬しており、もちろんほぼ日のことが大好きだった。だからこそ、1期生募集のときは「きっとすごい人たちが集まるんだろうなあ。自分なんかが参加したいなんて恐れ多い」と思い、エントリーを見送った。しかし、2期生の募集を見たとき、そうは言ってられなかった。挑戦したいと思ったのだ。ほぼ日がどのようにコンテンツを作っているのか、そこに対する純粋な好奇心が先行しつつも、同時に自分の書いたものを大好きなほぼ日の人たちに読んでもらえるチャンスに心が躍る。いまの会社でくすぶっているだけで、ほんとうはもっといい記事が書けるんだと、自分に可能性を見たかった。ここから変わるんだと、エントリーをしたのだ。

でも、僕がほぼ日の塾で見ることができたのは、”何もできない自分”だった。

ほぼ日の塾では、全部で3つの課題が出され、その課題となるコンテンツをつくるときの考え方や心構えを質疑応答の形式で教わり、各自課題に取り組む。参加者の中の多くの人がそうであったように、僕も会社での仕事と並行して課題に取り組んだ。しかし、そういうときに限って仕事が忙しくなる。仕事の合間を縫い、仕事と同じだけの熱量で、少しずつ課題を進め、なんとか終わらせた。仕上がりには満足いっていなかったけど、仕事と並行しながらならしょうがないかなと思っていた節がある。いま思えば当然なのだけど、課題へのフィードバックとしてほぼ日から届いたメールには、僕が手を抜いた部分、妥協した部分は、全部バレていた。

「やってしまった」と思った。なんで手を抜いてしまったのだろう。仕事と同じだけの熱量を込めても、時間が足りなければしょうがないなんて、みんな同じ条件じゃないかと。手を抜かなればもっと良くなるはず。次で挽回しよう。そう焦れば焦るほど、思うように記事がつくれなくなった。「なんかちがう。こんなんじゃない」と思いながら、それでも必死に必死に記事をつくる。結果、見てくれだけはそれっぽい記事が出来上がった。ひどいフィードバックを受けたわけではないけど、言葉の表現ばかりに気をとられ、圧倒的に読者目線が足りなかった。

最後の課題のときには、もう自分でも自分がよく分からなくなっていた。自分がつくれる”いいコンテンツ”とは何なのか。自分は何がやりたかったのか。コンテンツに対して、誠実に向き合えているのか。どこまでがほんとうでどこから誇張なんだと。気持ちやプライドがぐっちゃぐちゃになりながらも、あのときの全力を出して完成させた。散々な出来だったけど、手だけは抜かなかった。あれはあのときの実力だった。

全部が終わったあと、懇親会でほぼ日の塾の講師である永田さんから「早川くんは普通の青年だよ。みんなが同じように悩むことに、同じように悩む普通の青年」と言われた。あのときは「普通」と言われたことが自分の想像以上にショックで混乱してしまい、何も返せなかった。でも、いま思うと、あのとき初めてスタート地点に立てたんだと分かる。

「普通」だと言われたことはショックだったけど、自分が悩んでいることはみんなも悩んでいることなのだと気づけた。それからは、さまざまな人に話を聞きに行き、1からコンテンツとの向き合い方を学び始め、中途半端だった仕事との向き合い方も改め、いまに至る。あの頃と比べると、だいぶ変わったはず。

たった一度しかなかったほぼ日の塾というチャンス、思い返せば後悔ばかりだ。悔しくて悔しくて、実は同期のつくったコンテンツの半分以上は読んでいない。いま仲良くしている同期のコンテンツも、実は読んでいない。みんなが自分や読者と誠実に向き合って一生懸命つくった記事、そんなものを読んだら自分が恥ずかしくてつらくなってしまう。それくらい、自分の中の生身の部分がむき出しになる。

でも後悔ばかりと言ったけれど、総括するとほぼ日の塾はとても楽しかったのだ。最後の課題、全力でやってよかった。あの経験だけが、僕が唯一つかめたものだと思う。きれいなもの、しっかりしたものだけが心に届くものではきっとない。いびつではあったけど、あのときの全力を込めたあの記事には、たまにだけど「読めてよかった」と言ってくれる人がいる。同じように悩んでいる人に届いてくれたことが嬉しい。

永田さんからは「個人的にエールを送ります。がんばれ」と言われた。いつか永田さんに、自信をもって見せられるコンテンツを作ろうと、あのときからずっと思っている。まだまだだけど、でも最近は仕事が楽しくて仕方ない。いつか、いつの日か、訪れる日を夢に見て。

ほんとうに、お世話になりました。

ほぼ日の塾 5期生の募集は、11月12日(月)午前11時までです。

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