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私の「たま褒め」を発表します

「たま褒め」とは?

Webサイト「オモコロ」の人気連載「たまに取り出せる褒め」の略。たまに思い出すと元気になれる、褒められの記憶、みたいな意味だと思う。もうすぐ書籍化する。好評予約受付中。

それじゃ、私の「たま褒め」いくぜ。

それは私が大学4年生のとき、バイト中のことだった。

4年間を通じて大学近くの個人経営のレストランで働き続けていた私はベテランバイターとなっており、注文取りから調理の補助、食器洗い、キッチンやトイレの掃除まで、バイトがするべき業務のほとんどすべてを理解していた。

そのころの私を振り返ってみると、注文を取る際に打ち間違えをしたり、先輩に「いまはそっちじゃなくてこっちの作業を優先してよ」など立ち回りの注意をされたりすると3日間ほど落ち込んでいて、絵にかいたような真面目ちゃんだった。しかしそのおかげで、4年生ともなるとほぼすべてのタスクを正確にこなし、頼まれた仕事は何でも丁寧に行っていた。

また、私が働いていたお店は決して大きくないので一度に稼働する人数が少なく、バイトが一人休むとほかのスタッフにかかる負担がかなり大きいため、就活の面接や説明会があっても、バイトのシフトが入っている日は必ず避けるようにしていた。

そのお店の社員さんの中に、30代くらいの男性がいた。

ここでは仮にDさんとしよう(男性社員なので)。

Dさんはかなり寡黙な人で、特にランチタイムの忙しい時間は、業務上必要最低限のことをぼそっと伝えてくるような感じだった。やせ形で切れ長の細い目、調理の邪魔になる髪は短く切りそろえているなどのシャープな印象と相まって、一見すると職人気質で愛想のあまりよくないタイプの人に見えるだろう。私も長い間、Dさんはそういう人だと思っていた。

が、どうやら仲のいいバイトとはかなり親しくさまざまなことを話しているらしいと、2年生のころに気が付いた。自分が休憩室でまかないを食べているとき、キッチンで皿洗いをしているバイトと男性社員が楽しく話しているのがよく聞こえてきた。

耳を澄まして聞いてみると、会話の内容は「3年生の○○さんは最近彼女ができたらしい」とか「2年生の○○さんは社会人のお金持ちの彼氏がいるらしい」みたいな、恋愛の噂話が多いようだ。

そういう話が全般に得意ではないし、自分自身恋愛経験がゼロだった私は「私はDさんに提供できる話題がない。みんなみたいにワイワイ会話する関係性にはなれなさそうだな」と思って、Dさんと積極的に話そうとは思わなかった。Dさんも私の雰囲気を察してか、そのような話題を振ってくることはなかった。

当時の私の認識をやや誇張して言うなら、

社員のDさんは私のことを「一番よくわかんない、面白くない、いてもいなくてもどうでもいい大学生バイト」だと認識しているはずだ。

と、思っていたのだが。

ある夏の暑い日のことだった。ランチのピークが過ぎ、私はキッチンの掃除をしていた。

ランチのピークが過ぎ、お客さんがほとんど店内にいない時間になった。大きなガスコンロにずっと火がともっていて、ホールのクーラーが十分に届かないキッチンで、私は汗をかきながら真面目~に掃除をしていた。

一口にキッチンの掃除といっても色々あるが、4年生になった私は「グリストラップ清掃」を任されていた。やったことのある人ならわかるが、この掃除はすごくタフだ。食事中の人はごめんなさい、この下の文章は読まないでおいてください。

グリストラップ清掃とは、流し場の横にある下水のふたを開けて(おげげ)、食材や食器を洗って出た下水のにおいが立ち上る中(おげげげ)、浮いている油や残飯のカスをすくって捨てる作業だ(おげげのげ)。要するにレストランの"どぶさらい"。

ゴム手袋をして、網を持って、地面より下の高さにある汚水に手を突っ込んで、持ち上げて、重ねた新聞紙の上に捨てる。これを繰り返す。

姿勢はしんどいし、夏は暑いし、匂いも結構するし(頻繁に清掃していたので腐っているような匂いはないけど、様々な食べ物と洗剤のにおいが混合しているので普通にきつい)、きれいなレストランとおいしい食べ物の裏側はこれかあ、みたいな悲しさもある。

だが、人間は慣れる生き物だ。最初の数回はウエップと思っていたが、繰り返すうちになんとも思わなくなってくる。その日も「さ、きょうも残飯、すくっちゃいますか」くらいのテンションで、黙々と作業をしていた。

すると、作業をしている私にDさんが声をかけた。「内定出た?」と。

私はギクッとした。なぜなら、就活が全然上手くいっていなかったからだ。

私は就活という「見えないピアノ線が張り巡らされたがんじがらめなマナーバトル」と「寝技飛び道具からめ手なんでもありのバーリトゥード」の使い分けが重要な総合格闘技に、本当に、本当に、向いていない。度を越した真面目ちゃんだからだ。

大学4年生の私は「自分のできなさ」と「やらなきゃいけなさ」のはざまで精神を押しつぶされていた。周りが就職先を確定される中、その時点で内定が一つもなく、親からもプレッシャーをかけられ、焦りまくっていた。人に会いたくない。でも就活のためには人に会わないといけない。せっかく有名私大に通わせてもらったのに、親の期待を裏切るのか、私は。怖すぎる現実から目を背けるために、ホラーの動画ばかり見ていた。

気まずい気持ちで油まみれの汚水をかき混ぜながら、私は「いや、実はまだなんですよ」といった。Dさんは「え、そうなの?4年生は結構もう内定もらってる子多いみたいだけど」という。「そうですよね、恥ずかしいんですけど、箸にも棒にも掛かんないんですよ、あはは…」と私。

すると、Dさんは、ごくごく自然な感じで、こう返した。

えー、意外。俺ならさのみやさんみたいな子を採用したいけどな。

「は?」と思った。からかわれているのだろうかとも思った。みんなみたいにDさんに楽しい話を提供できない、私を?思わず「いやいやいや、それはないでしょ」と私は言った。実際私は「無い内定」なのだ。それでもDさんはてらいのない感じで続けた。

「だって、シフトをドタキャンしたことないし、ホール仕事も優秀だし、いつも周囲に気を配ってるし、掃除任せたらすごくきれいにしてくれる。それって責任感あるってことでしょ。そういう子と一緒に働きたいじゃん」と。

「えー、そうですか?それ、この間私にお祈りメール送った会社の社長に行ってくださいよ」と私が言うと、「ほんとに言いに行ってあげたいよ。見る目ないね、この子に内定出してよって」とDさんは笑いながら返した。私は褒めてもらったことへの感謝を述べ、会話はそこらへんで終わったと思う。

下水を覗き込みながら、私は泣きそうだった。

当時の私は、「就職先が見つからない」というのは、「この社会で生きていくのに自分に適した場所がない」つまり「自分はこのさき生きていく資格がないのだ」と感じていた。今となっては「社会にはいろんな人がいるし、人を見るのもただの人だし、活躍するタイミングも場所もいろいろなのだな」と思うが、当時の私は確かに、かなり厳しい精神状態の中にいた。

自分はいろんなコミュニティでそこそこ協調性をもって周囲とうまくやってきたし、大学での勉強には熱中したし、解決すべき課題があれば自分なりに考えて一生懸命取り組む方だと思っていた。

しかし、就活では「書類」と「面接」という、特定の形式のアウトプットが上手にできなければ、私の4年間の、私の人生の頑張りや楽しさは観測レさないどころか、社会的にはなかったことにされてしまう、と感じていた。そういうことに、私は心底絶望していた。もちろんそんなこと関係ないほどの技術や実績があればいいのだが、私にそういう目立つなにかは全くなかった。

そこにこの、4年間私を見ていた人の「褒め」だ。

「僕にとってあなたは、一緒に働きたいと思わせるような、優秀な人ですよ」と。その日の帰り道は、久しぶりに足取りが軽かった。

その後劇的に就活に注力できるようになり、大手企業に…とかいうドラマティックな話はなく、適当に受けた自分に全然合ってない会社で1年半ほど働いてからちゃんと心身をぶっ壊すのだが、まあそれはそれで別の話。

その「褒め」があった日、私の魂は確実に救われていた。

そしていまも私は基本的にクソがつくほどの真面目ちゃんで、「もうちょっと裏表を使い分けるとかした方がいいんじゃない?」とか「いつもちゃんとした人、いい人でいると疲れない?」みたいなアドバイスは真に受けないようにしている。

実際、社会人になってからの方が「いつも真面目にやっていること」の恩恵が大きいのもある(たまにどうしようもなく発生するミスをしたときに、その事実がバリアになるとか)。

でもやっぱり、「真面目にやっていれば見てくれる人がいる」と、Dさんに教えてもらったからだと思う。

(おわり)

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