『佐々木あららの命を売ります』は不快か?

 佐々木あららさんの『命を売ります』エントリに対し不快感を表明する人に,千野帽子さんが疑問を呈しておられる。自分は不快とまではいかないがやや違和感を感じた人間なので,その理由をいくつか考えてみる。(ちなみに自分は詩や短歌や俳句については無知で,佐々木さんの名も今回の件で知った程度であった。なので以下,無礼は承知の上で)

 一つめは『命を売ります』という見出しが不謹慎な釣りっぽいこと。見出しだけでなく,本文の冒頭でも,何段落も使って「生き物としての命を絶つ」のではないかと思わせるような文章が続いている。
 もちろん全体を読めば,この『命』は歌人生命であることがわかる。のだけど,ビューを稼ぐだけならともかく,お金が絡んでくるエントリでこの手法はどうなんでしょ? 大衆紙の下衆な中吊り広告と何が違うの? と不快に思う人がいても理不尽ではない。

 二つめは,500円に対して返還される具体的な価値がないこと。たとえばモーニング娘。の「○枚売れなければ解散」という企画ではあくまでCDという商品が販売の対象で,コスパはともかく,金と交換されるモノや情報が存在していた。それに対し,今回の佐々木さんは未来を買ってもらうという理屈で,購買者に直接的な価値を何も提供していない。
 加えて「100人未満の場合,あなたは佐々木あららのいない未来を買ったことになる」って論理が理解しづらい。いない未来を選択したのは買わなかった人であり,買った人はそんなこと言われて納得できないでしょう。コメント欄で「お金の使い道を教えてください」と書いた人に対してノーリアクションだったのも,この辺の違和感に拍車をかけている。
 (完全な投げ銭ページではなく,購入するとおまけ文章が読めるようになっている…というのであれば,この二つめの記述は自分の完全な勘違い。)

 三つめは,「他人の反応の多少によって身の振り方を決める」という態度に対する嫌悪感。クリエイターたるもの,そんなことでどーする! やりたければやる,やりたくなければやらない。それだけではないのか? という「べき論」ですかね。そんなんで辞めるやつは何やっても大成しねーよという,受験勉強で部活を辞める奴に対するものと同じ感覚があるのではないかと。
 ちなみに自分は,この三つめに関しては全然不快感はない。「続けたい」と「やめたい」がせめぎあってるとき,占いっぽくたわいもない事象の結果に託してみようかなと思うのは人間としてぜんぜんアリだと思う。

 四つめは,これを彼の知人や意識高い人の一部が,高度な「遊び」として好意的に取り上げたこと。そこから漏れてくる「おれたちこういう余裕と洒落っ気にあふれてまーす」的な雰囲気に嫌悪感を示す人は少なくないのではないか。ま,嫉妬といえば嫉妬かな(^^;)。
 実際,自分もnoteの加藤さんがこのエントリに対する肯定的なツイートをRTしたときはウーンと思った。せっかく地道に頑張るクリエイターがコツコツ稼げるプラットフォームが出来上がろうとしているのに,同じ舞台でそれを尻目に著名人の「遊び」がほぼ労力ゼロで収入をあげて,それが賞賛されちゃっていいの?と。

 以上,今回の佐々木さんの行動について不快感をもつ人が出るのは,そんなに理不尽なことではないかなーと思った次第。ただ,途中まで書いたところで千野さんのツイートをあらためて見ると「不快に思う」ことと「不快感をネットに書いたり本人にぶつけること」は違うとのことなので,この考察はあまり意味をもたないかもしれない。(なんだそのオチ)

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