将来に悩んだとき:モラトリアムを前向きにとらえよう

前回、語学ネタを書いてみたので、今日は教育ネタ。

皆さん、大学や専門学校といった高等教育に入るとき、つまり高校生の場合が多いと思いますが、どこまで具体的に将来のビジョンが見えていましたか?

専門学校への進学は、職業に直結している場合が多いので比較的「なりたい職業」はぼんやりと見えているかもしれませんね。実際、平成27年度文部科学白書では、高等専門学校の就職率は100%となっています。

文科省は就活時期の問題点や大学におけるキャリア教育の充実を声高に主張していますが、果たしてそれって問題解決になるでしょうか。

曖昧な大学進学理由は悪いの?

そもそもですよ。大学進学の理由が明確な高校生なんてマイノリティです。5年以内の信頼できるデータを見つけられなかったので、あえて断言はしませんが、体感的にも明確な目的をもって進学している学生は少ないでしょう。漠然と「就職のため」「学歴があったほうがいいから」「勉強してみたいことがある」程度だと思います。

そして、そういった態度に対する一般的な批判があります。「目的もないのに大学に行っている日本の学生」とか、「大学に行くのが当たり前だと思っている」とか。

大学進学を当たり前だと思っているのは、経済環境や教育環境によるところが多いので、ちょっと置いておきますが、目的がないのに大学に行くのは果たしておかしいのでしょうか。

批判されるべきは、学生でなくて、高等教育の制度や日本社会の風土のはず。

大学での時間は、いわゆるモラトリアムにあたる時間になる場合が多いと思いますが、やりたいことがあるなら、さっさと起業すればいいし、インターンにでも飛び込めばよいと僕は考えます。無論、大学に通いながらでも、大学に行かないででも。

アメリカと日本で違う大学の機能とシステム

僕のなかで印象に残っている2つのエピソードがあります。

ひとつは、京都大学の基礎工学部に進学した男性の話。彼はロボットエンジニアリングなどのいわゆる機械工学系を勉強したかったそうですが、基礎工学部に入学してしまい、入学してから、自分が勉強したいことと違うことに気付いたそうです。瓢箪から駒ということもあるかもしれませんが、日本では学部帰属文化なので、気軽に学部を変えることなんてできない。若干の間抜け感もありますが、いくらオープンキャンパスとかリサーチとかをしても、入ってみないと分からないというのは実際にある話。

もうひとつは、アメリカの大学の先輩の話。彼女は大学に入ったときに、将来なるべき職業について非常に悩んでいたそうです。悩んだあげく、カウンセラーになろうと2年目に心理学を専攻することに決めます。

※アメリカの大学では、入学時にMajor(専攻)を決める必要はありません。卒業に必須の単位だけを選んで受講することもできれば、興味のある学科のクラスをいろいろと選択して受講することもできます。

彼女は心理学の基礎的なクラスを受講しながら、より具体的にカウンセラーというキャリアについて考え、自分がやりたいことはカウンセラーではなく、学校教育であると気づきます。そして、3年目に専攻を教育学に変更しました。(特に面倒な手続きも不要で、要は卒業までに必要となる必須クラスの種類と数が変わるだけのことです。その数が多ければ、卒業までより時間がかかります。)

ここで気付かされるのは、前者と後者で大学の機能が異なるということです。後者では、大学は将来についての考えを深める場所として機能しています。別に目的が定まっていなくてもいいんです。入ってから考えたらいいし、そこから学ぶべきものを探し、知らないものを学習し、努力しだいで道は広がっていきます。例えば、GPA(成績)が満点なら、地方の短大から超有名校に転入することも不可能ではありません。返済不要の奨学金を受けるチャンスもありますし、インターンの機会も豊富です。なにより自分の人生について考える時間であるという認識が土壌としてあります。

「大学生になる」というイニシエーション

ところで、アメリカの大学では、新入生のことを「Animal」と呼ぶことがあります。彼らはまだ高校生で将来について深く考えられていないし、学問やキャリアに対する態度も未熟で、実際に夜な夜な大騒ぎして遊んでいる姿を見ると、そう呼ばれても仕方がありません。

一年ほどアメリカの高校で日本語教授のアシスタントをしていたのですが、アメリカの高校生は日本の高校生に比べてとても幼いです。体は大きいし、車に乗ったりしているけれど、内面的には日本の高校生の方がずっとソーシャライズされている感じです。良くも悪くも。無論、個人差は大きくありますが。

しかし、大学入学後の一学期目を通して、一定数の学生は、勉学のペースについていくことができずにドロップアウトしてしまいます。それは能力的なことよりも、おそらくモチベーションの問題が大きい。さまざまな勉強を通して、自分のキャリアについてゆっくりと考えられる時間としてモラトリアムが機能しています。「なんとなく入っちゃったけど、やっぱり勉強しんどいわ」「大学生って憧れてたけど、意外とめんどくさい」みたいな学生はさっさと辞めていきます。まあ、洗礼というか、イニシエーションというか、それはそれでいいと思うんです。

大学に通う意味:モラトリアムはあっていい

とにかく、経済的に許されるなら、モラトリアムの時間はちゃんとあっていい。「自分とはどういう人間か」「どういうことがやりたいか」みたいなことを考えるのは、高等教育できちんと学問や教養に触れることから始まるはず。日本人は人格陶冶や人間教育といった漠然とした言葉が大好きですよね。その価値は認めますが、非常に属人的な教育によってのみなされるもの。まずは、きちんと基礎教養を学ぶこと、さまざまな視点を持つこと、じっくり自分や人生について考える時間的猶予を享受すること、これらが大学生活によって得られる普遍的な価値ではないでしょうか。

SNSでピアプレッシャーが強い今の学生たちに、可塑性のない大学進学のシステムと、モラトリアムをネガティブに捉える風土はプレッシャーでしかない。

キャリア教育に注力しすぎるのは危険

どうせ日本の大学がキャリア教育に力を入れ始めると、どんどん専門学校と変わらなくなり、就職準備機能が強化されるだけ。昨今の専門学科の増加を見ていると、もはや職業訓練のための機関ではないかと思ってしまう。本来の大学の価値である教育と学問、研究が失われるなら、それは大学不要論ではないでしょうか。

わざわざお金をかけて、専門学校ではなく、あえて大学に行くなら、モラトリアムでおおいに結構じゃないかという話でした。

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高木 大吾

本と暮らす。株式会社デザインスタジオパステル。編集、ライティング、企画、デザイン。https://studio-pastel.jp

いいたがり

日々感じたこと、気づいたこと。言いたいこと。
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