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【略歴】天坂大重郎(旧:天坂大三郎)

天坂大重郎(てんさかだいじゅうろう1977年6月24日-46歳 )は、日本の小説家・思想家・朗読家。本名:非公開。島根県浜田市出身、青森県青森市育ち。2024年現在、東京都在住。

2005年『死欲』で小説家デビュー。代表作:『自由連想法による文章練習』『無個性症候群』『流動』『羊をかぞえる』『虚偽死』『実録・自己破産』『金はお前が稼げ!』など。作品一覧はこちら>>

配偶者は天坂すん(仮名)。無職歴20年。破産歴2回。2024年現在、配偶者の障害者年金と生活保護で生活中。小説家としての収入は月収800円ほど。




【年代別経歴】

1977年(0歳)~1987年(10歳) 

1977年(0歳) 島根県浜田市で生まれる。
1978年(1歳) 父(重三郎)の仕事の都合で東京に移住。
1979年(2歳) 父(重三郎)の仕事の都合で青森に移住。
1980年(3歳) 妹が生まれる。
1981年(4歳) 近所の用水路に落ちて溺れ死にかけるも自力で脱出。誤ってシャボン玉の泡を吸い込み死を覚悟する。
1982年(5歳) マツモトコウヘイ(同級生)の体臭が珈琲臭いのはなぜだろう?とほぼ毎日思う。
1983年(6歳) 一年生になりたくなさすぎて、「友達100人できるかな」の歌に毎日絶望(憎悪)する。
1984年(7歳) 初恋の女子の乳首にウンコをつけることを妄想して毎晩勃起。
1985年(8歳) 島根県浜田市の海で溺れ死にそうになり、たまたま水泳教室で生徒に泳ぎの指導をしていた体育の先生に助けてもらう。口笛が吹けるようになったことを母に自慢するもスルーされ失望。
1986年(9歳) 割り算に超苦戦し、自分よりバカな妹には絶対できるはずないから、妹の人生は小学三年生で終了するに違いないと、妹を哀れに思い泣く。
1987年(10歳) 「矢追純一のUFOスペシャル」でみた火星人の妄想映像に驚愕し、彼らと交流すべく宇宙飛行士を目指す。


1988年(11歳) ~1997年(20歳) 

1988年(11歳) 富樫義弘の「てんで性悪キューピッド」"マリアの危機!!編"で初射精。
1989年(12歳) サイヤ人の王子ベジータよりはるかに強いフリーザのルックス(第一形態)に疑問。
1990年(13歳) 同級生のTにボコボコにされ、ヤンキーの道を断念。
1991年(14歳) 下校中に歩きながらの射精を試みるも断念。
1992年(15歳) 第一志望校をあきらめ、宇宙飛行士の夢が遠のく。
1993年(16歳) 宇宙飛行士をあきらめ、勉強を完全に投げ出す。
1994年(17歳) 好きだった女子にフラれ、ますます投げやりモードになり、マイルドヤンキーとして弱いものイジメに従事。高校留年。
1995年(18歳) 上記の女子を諦めきれず毎日尾行し、ますます嫌悪される。詩や散文を書きはじめる。
1996年(19歳) 高校卒業。某アパレルショップでアルバイト中に客に因縁をつけて解雇。
1997年(20歳) ヤクザに死ぬほどボコられ拉致されそうになり、小便とウンコをちびりながら命乞いをする。有り金(約20万)を上納し、逃げるように上京。


1998年(21歳) ~2007年(30歳)

1998年(21歳) バイト先の六本木の飲食店で上司をめちゃくちゃボコボコに殴って解雇。
1999年(22歳) Hさんから無利子無期限で50万を借りる(15万まで返すも後に自己破産して踏み倒す)
2000年(23歳) 演劇活動に専念。芝居と脚本執筆の傍ら、イッセー尾形の一人芝居や、唐十郎(アングラ小劇場)、大駱駝艦(暗黒舞踏)などにハマる。妹の彼氏(現在の妹の夫)を殴って鼻を曲げる。
2001年(24歳) 風呂なし共同トイレの最下物件に引越すも、共同トイレが面倒すぎてペットボトルに小便を溜め入れることが多くなり、その後処理に苦悩する日が続いたため、トイレ有の風呂なし物件に引っ越し直す。
2002年(25歳) ロシア文学を中心に世界文学を乱読する傍ら、本格的に小説を書きはじめる。
2003年(26歳) 執筆活動に専念するため仕事をやめる。借金が200万を超える。
2004年(27歳) Wさんから300万円の資金援助を頂く。椎間板ヘルニアで1週間入院。アルカイダ系武装組織に斬首された香田証生氏の遺族にお悔やみの手紙を送る。
2005年(28歳) 処女作小説「死欲」を出版。その出版費用などを合わせた借金が400万を超え自己破産に至ったことで自棄になり、当時住んでいた世田谷区北沢から横浜市鶴見区まで、約30時間ぶっ通しで往復独歩、麻布十番の交差点で力尽き倒れる。その追体験をまじえた小説「羊をかぞえる」を後に(2017年)執筆。ロマンロラン「ジャン・クリストフ」に感銘。
2006年(29歳) 自己破産に伴い、東京のアパートを引き払う。青森に一時帰郷し、再び上京。
2007年(30歳) 都内某コールセンターで現在の配偶者(天坂すん)と出会い交際。童貞喪失(29歳10ケ月)


2008年(31歳) ~2017年(40歳)

2008年(31歳) 母の友人に脅迫まがいの金の無心の手紙を送付(作家の手記集に原文のまま収録)
2009年(32歳) 秋葉原通り魔宛てに手紙を書くも、送付を断念。
2010年(33歳) レーモンクノーやジュルジュペレックを乱読
2011年(34歳) サミュエルベケットや保坂和志を乱読
2012年(35歳) 妻とはじめての温泉旅行(奥鬼怒温泉)
2013年(36歳) 小説「余念の筵」にて北日本文学賞二次選考通過
2014年(37歳) 妻の仕事と家庭の事情により宮城県仙台市に移住
2015年(38歳) 北海道のそば農家で農修行(1カ月で挫折)
2016年(39歳) 結婚
2017年(40歳) 小説「羊をかぞえる」を脱稿 


2018年(41歳)~2023年(46歳)現在

2018年(41歳) タモリに触発され、1日1食生活をはじめる。完全禁煙にも成功。重三郎(父)がアルコール依存症で入院。生活保護申請のため、青森の実家を売却し、両親とも自己破産させる。「自由連想法による文章練習」シリーズがスタート。
2019年(42歳) 妻がうつ病を発症。東京へ移住。
2020年(43歳) 電動しまるこに出会い、その思想や作品に強く感銘。以後、互いの思想や作品を介して交流を深めていく。
2021年(44歳) すんとるー誕生
2022年(45歳) 「天坂大三郎」から「天坂大重郎」に改名
2023年(46歳) 妻が重度の肝硬変を患い、余命宣告を受ける。二度目の自己破産と生活保護を申請。


【人物・性格】

天坂大重郎は、幼少期から数々の命の危険に直面し、成長の過程で何度も夢や目標を変えています。若い頃は宇宙飛行士を目指すなど、大きな夢を持っていましたが、次第に現実の厳しさと自己の限界を受け入れ、小説家としての道を歩むことを決意します。

彼の作品は、自己探求と社会批評を組み合わせたものであり、自由連想法や無個性症候群など、個人の内面と社会の間の緊張関係を探るテーマを扱っています。生活の困難にもかかわらず、天坂は思想家としても活動し、障害を持つ配偶者と共に生きることで、社会の縁辺に生きる人々の声を代弁しています。これらの作品は、彼自身の苦悩や社会への洞察を通じて、読者に深い共感と考察を促しています。

2023年、以前からうつ病を患っていた配偶者が、アルコール性肝硬変により余命宣告を受けたことは、天坂の人生において転機となりました。以来、配偶者の看護生活を中心に、障害者年金と生活保護に依存しながらも、妻への愛情がより一層深まったという事実は、彼の人間性の深さを物語っています。一方で彼は妻を「無能者」と断罪し、二人の関係は神や宇宙的な意志によって定められたものであり、自らの選択によるものではないという考えを持っています。「そもそも人間は自分の意思を自分のものだと錯覚している」という彼の見解は、人間が神や宇宙の一部、もしくはそれなくして人間は存在し得ないことへの彼の深い洞察を示しています。

天坂氏のこのような考え方は、彼の創作活動における哲学的な背景とも密接に関連しており、彼がどのようにして自己と他者、そして運命と向き合っているかを浮き彫りにします。彼の生活と創作におけるこの種の複雑な感情と認識は、彼の作品における深いテーマや人間関係の描写にも影響を与えていることでしょう。人間の意志と運命に関する彼の洞察は、文学を通じて我々に深く考えさせる問いを投げかけています。


【作風&創作哲学】

"書くことなんて何もない"から小説は書きはじまる

天坂の創作哲学とその生き様は、文芸の世界において特異な位置を占めています。彼の主張は、一見すると文学界の主流から逸脱しているように映りますが、そのユニークな視点は深い洞察と哲学的考察に根ざしています。

天坂が言及する、「僕はたぶん100人くらいの人だったら幸せにできるでしょう。それはきっとまあまあ凄いことなはずです。だから僕は仕事なんかしてはいけない人間なのです」「"書くことなんて何一つもない"というところまで書き尽くして、思考し尽くして、絶望し尽くしてから、その人の小説は書きはじまる」「二十五年間毎日書き続けてようやく少しマトモな文章を書けるようになった」などの言葉には、彼の創作活動が持つ特別な価値観が反映されています。これらの言葉からは、彼が自らの作品を通じて限られた人々に深い影響を与えることに如何に重要視しているか、また、これまの創作の過程における彼の苦悩と執念が見て取れます。

自他合一の真理

天坂はまた、多くの現代の作家が、小説を人に読ませるための娯楽として捉えているのに対し、徹底して自己満足に終始することの重要を強調しています。しかし彼の主張する自己満足とは、徹底した自己表現から出発し、最終的には他者との深い共感と理解に到達する過程を目指しています。この過程は、「自他合一(じたごういつ)」という禅の概念に根ざしています。彼にとって、芸術は単に楽しむためのものではなく、芸術家自身の内面を深く掘り下げ、そこから新しい価値を生み出すための手段です。

天坂は、芸術が始まるのは完全に自己のために行われる行為からであり、その過程を通じて最終的には他者のためになると述べています。これは、芸術家が自分自身を完全に解き放つことから始まり、その自己表現が他者に深い影響を与えることで「自他合一」の境地に達することを意味します。

芸術家は"プロ"ではない

天坂は、芸術は安定したものではなく、常に不安定であり、その不安定さが新しい価値を生み出す源泉であると主張します。これは芸術が既存の価値をなぞるのではなく、全く新しいものを創造する作業であるため、観客や評価者の理解と協力が必要であるとの思想に帰着します。

彼の見解では、真の芸術は「プロ」の概念を持たず、完全な自由のもとでしか存在しないとしています。芸術は自己表現と自己実現のための行為であり、そのプロセス自体が重要であると天坂は述べています。これにより、彼は自身の作品や活動を通じて、観客や読者との究極の信頼関係を築くことを目指しています。この信頼関係は、単に商業的な成功を目指す「プロ」の書き手たちが目指すものとは根本的に異なり、より深い人間関係と精神的なつながりを追求するものです。

トルストイ以降の小説は言葉遊び

天坂の文学観は、深く批判的であり、同時に前衛的な志向を持っています。彼は19世紀のトルストイを文学の頂点と見なし、トルストイ以降の文学が基本的に言葉遊びとして足掻いているに過ぎないと考えています。彼にとって、サミュエル・ベケット、ヴラディーミル・ソローキン、ジェームズ・ジョイス、マルセル・プルーストといった作家たちも、文学の新たな地平を開くことにはほぼ失敗していると見なされます。

天坂は、小説(言語)がその本質において、意味や論理の連なりである限り、人間の無意識に迫る手段としては不十分で、音楽や絵画など他の芸術形式との融合を試みることが必要だとしています。そしてこのことが、トルストイ以降の文学が新しい境地を開けていない理由だと考えています。

彼は、小説を音読することや、音楽や絵画との融合を試みることを提案しています。そのうえで、現代の実験小説のほぼすべてが「失敗することを前提」として書かれていると見ています。天坂は自らの「自由連想法による文章練習シリーズ」や他の前衛的作品を、抽象に昇華するためには、聴覚や視覚を主とする他の芸術形式と連動させる必要があると考えています。

また、AIを単なる遊び道具として扱うことについても言及しており、人間の本質に無関係な表層的な活動に最適だと評しています。彼は社会が技術や表面的な完成度に溢れることで、最終的には人間がその表層的な価値に飽き、より深い霊性に目覚めるだろうと考えています。天坂の文学・芸術観は、現代社会とその文化生産に対する深い懐疑と批判から成り立っています。


【作品一覧】

天坂大重郎・全集


自由連想法による文章練習シリーズ


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(随時加筆・編集予定)


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