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自由連想【6】-AI朗読版

 どうも 天坂大三郎です 今年で四十一歳になります 職業は芸術家で ジャンルは小説で 自分の文体を獲得したのは2年前の2016年の9月です その少し前に仙台から引っ越して 2カ月ほど青森市内の実家に住んでいましたが 父を殴り殺しそうになったので 今は同じ青森市内に三万六千円のアパートを借りて妻と二人で暮らしています ぼくにとって父が死ぬ日のイメージは 「はじめの一歩」というボクシング漫画の主人公の幕ノ内一歩が ライバルである千堂武士との二度目の戦いで完全勝利して チャンピオンベルトを巻かれた直後の 腕はもちろん首までも振り上げるほど力強くガッツポーズをした絵と非常に強く重なります つまり「父の死」はぼくの人生にとって紛れもない勝利であるということですが それはそうと 先週同窓会に誘ってきた友人とはやっぱり縁を切ることにしました 同窓会に出席する人間=「今が満たされていない成長が止まったクズども」的な感じで揶揄している節が 心の中にまだかなりの割合で残っています 子供は好きですが 子供の親は正気じゃないので苦手です 好きな映画は小津安二郎の「秋刀魚の味」で 嫌いな人は電話をかけてくる人です 好きな人は電話をかけてこない人で 嫌いな食べ物は生卵です 去年の五月から一日一食を実践して十キロ以上体重が減りました 同じ頃に禁煙もはじめて 約十カ月になる今日まで一本も吸っていません ぼくが吸っていたタバコはエコーでしたが 最後に吸ったタバコは妻のマルボロライトです 今の体重は64キロで 身長は181センチですが たぶんあと2キロは自然に減量できると思います 食べることより 腹筋が割れていく様子や スタイルが良くなることのほうに喜びを感じるたちで つまり性根がナルシスト寄りであることも 他の人よりストイックになれる理由の一つだろうとは思いますが それより何より 空腹による集中力の高まりと体力の回復の虜になっていて 今日もだいたい四時間くらいしか寝ていないのに かなり頭がスッキリしています 視力は両目とも0.05以下で だから昔はコンタクトをつけていました 調子に乗ってピアスをつけてもいました そのピアスのために 耳たぶの裏に消しゴムを押し当てて 安全ピンで「グサッ!」的な感じでやったのは ぼくではなく ぼくの友だちの増田という奴です ぼくは妹が生まれた病院に雰囲気が少し似ている皮膚科でやってもらいました いったん辞めた会社に出戻りという形で増田が再就職をしたのは先月のことで その会社にはじめて増田が入社した十年ほど前 ぼくはまだ下北沢に住んでいました 確か自己破産をする直前だったと思います ペットボトルに小便を溜めていたのはそのもう少し後のことです 卵焼きやヒジキをつくって毎週末にぼくのアパートに遊びにきていた妻は 姿鏡の後ろに「隠した」というより ほとんど置いてあるだけだった感じの小便入りのペットボトルに 結局最後まで気づきませんでした やがて下北沢のアパートを引き払って 妻が住んでいた大宮のマンションに転がり込んだぼくは そこにいたウサギの糞尿を片付けるなどの日々を送っていたある日の夜 うっかり開けっ放しにしていた窓から入ってきた大蛇にウサギが飲みこまれてしまう夢をみて そのことを妻に話そうとしたタイミングで突然腹が痛くなってトイレに駆け込んだものの いくらふんばっても足を上にしたりしても出ず しかしもうすぐそこまでウンコがきていて 気持ち悪いをはるかに超えて超苦しかったので 仕方なく病院で浣腸を打ってもらいました 「いや…本当に…すいませんでしたというか……とにかくありがとうございました……」と ぼくの肛門をアレコレした看護師にしどろもどろだったぼくは そのときのことを思い出してため息をついたりすることが今でもたまにあります 病院の真裏にあったレンタカー屋には 旅行者に違いない四人組の男女がいて その彼らの行先きを想像しようとしてやっぱりやめたぼくは いつか東京のどこかで見た集合住宅のベランダに干してあったさまざまな柄の布団たちのこととついでに 布団のことを「お布団」と呼んでいた四国の村松のことも思い出しました 村松と最後に話したのは祖師ヶ谷大蔵のとある公園です その頃ぼくは祖師ヶ谷大蔵でポスティングのアルバイトをしていて 月収は7~8万でした 今の月収は0円ですが そのかわり穏やかに過ごせています 村松と会うことはもう二度とないとは言い切れません もしかしたら 妹と二人で「千」まで数えた電車に乗ってまで 村松に会いに行こうとするほど暇になる日が将来やってくるかもしれません たぶん父はもうすぐ死ぬでしょう 昨夜も意味不明な大量の寝汗で八回も着替えたそうです 妹と二人で「千」まで数えた電車に乗って島根に行ったときは めずらしく父も一緒でした ともあれ「千」までの道のりは本当に遠く しかしやがて「千」まで数え終わってもまだ三保三隅町に辿り着くことができず ぼくはいい加減嫌になりました 島根の祖母は食パンをいつも三角に切っていましたが そのことについて結局ぼくは祖母に何の質問もしませんでした ぼくを援けてくれた人が本当にジャイアント馬場に似ていたかどうかはわかりません そもそもぼくはジャイアント馬場の顔をジャイアント馬場本人ではなく とあるお笑い芸人を通してでしか知らなかったような気がします ともあれ大量の海水を飲んで気を失ったぼくは その直前にみた海の底の景色に我を失い しかしそのとき母はというと ぼくの苦悶を砂浜で座って笑い飛ばしていました ぼくは三角の食パンを食べながら ぼくを援けてくれた人がジャイアント馬場に似ていた!と従兄弟たちに何度もいって笑わせました そしてとにかくもうあの島には絶対近づかないことにしたぼくは その後もしばらく溺れる直前にみた海の底の景色を映画「ジョーズ」と重ねて何度か思い出しながら しかし一方でそれはとても幻想的な景色だったことにも思い至ってすぐ 「だからそれがどうした?」と自問した自分にやや失望したその流れのまま歯医者にいったところ 実はただの知覚過敏ではなく けっこう大きい虫歯だったことにショックを受けました さらに治療費が三千九百円を超えてしまったにもかかわらず やっぱりどうしても食べたかった杵つき大福をたった一個買うためだけに もう千円を崩してしまうという愚かを結局実行してしまったぼくは その大福に口をつけるたびにこぼれる白い粉を 妻の鼻血ティッシュが大量にはいっていたリビングのゴミ箱にキャッチさせましたが そんなものを眺めながらでも 大福の味が不味くなったりなどは特にしませんでした それはそうと 治療から八時間以上経った今もまだ歯が痛むことがけっこう不安です しかも断食は今日ではなく明日やる予定で というのも今日はケンミンショーの日で しかも青森のしかし十和田と 宮城の伊達男がどうたらとやるそうなので それに合わせて何としても酒を飲まないわけにはいきません ここ二週間くらい前からロックで飲むのをやめました だから大丈夫かもしれないと思う反面 必ずや痛くなるという気もします そういえば来週はぜんぶ淳のおごりで淳と飲むのですが そこまで痛みが引きずることはさすがにないと言い切れるかもちょっと不安なほど痛かったのですが どうやらたった今峠を越えたようです 今日の夕食は 遠藤というお相撲さんがCMしている煮込み味噌ラーメンに変更しました 昨日はというと 阪神淡路大震災から二十三年の日=当時のぼくが好きで好きでしょうがなかった女の子に振られた日でもあり そしてその彼女と最後に歩いたその彼女が当時住んでいた官舎の裏にある一本道の横を ちょうど二十三年目の昨日たまたま通りかかったぼくは ともあれこの偶然を その一本道をこの目にしっかり焼きつけながら祝福しようと つけていた耳あてが外れそうなくらいわりと勢いよく首を右に曲げたところ その瞬間のぼくの様子に違和感をもったらしい前方からきたおじさんと 首を正面に戻した直後に目が合って だからぼくはその一本道をしっかり堪能できませんでした 


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