COVER~警視庁寝具部布団課~

「おい、聞いたかよ? 『公安の狼』の噂」
「公安三課の灰谷耀(はいたによう)か。すげえよなあ、長年足取りの掴めなかったテロ組織の尻尾を27歳で掴んだんだっけか。それもほとんど単独行動で」
「その灰谷な、別部署に飛ばされたそうだ。それも、なんと『寝床』だとよ」
「あの灰谷が『寝床』? いったい何やらかしたんだ」
「さあな。まあ、狼が吠える相手を間違えたってとこだろうよ。ここも結局は政治がものを言うわけでさ……」

 警視庁寝具部。

 署員たちは、そこを軽蔑と恐れを込めて「寝床」と呼ぶ。

 彼らに任される仕事は、独身寮に日々積み上がる無数の布団を清掃し管理すること。洗濯。天日干し。ベッドメイク。ここに配属されるということは、眩い出世の道を完全に諦めることを意味する。

「今日から布団課に配属になりました。灰谷耀です。よろしくお願いします」

 まばらな拍手が寂しく響く。灰谷の気分は最低だった。

 父の遺志を継ぐ俺が、なぜこんな場末の部署に。ここは国家を守る気概も覚悟もない連中の墓場だ。かつてもっとも軽蔑していた連中とともに働くと思うと、灰谷は吐き気がした。

 漂う埃が窓から差す日光を反射していた。

「公安出身だって? すっげぇなあ」

 浮かない顔で机を整理していると、無精髭の中年男が軽薄に話しかけてきた。

「今日からしばらく灰谷クンの教育係を受け持った相良慎司だ。シンちゃんって呼んでね。なんつって」

 肩を揺らして笑う相良は灰谷が最も嫌うタイプの男に見えた。灰谷はあえて敵意を隠さずに応答する。

「あの、そういうのいいです。僕ここに友達作りに来たわけじゃないんで。それで、僕は何をすればいいんです?」

「何をって。新人さん、そりゃあ、お前……」

 相良は不敵な笑みを浮かべた。

「布団をカバーに入れるんだよ」

「こんな作業、わざわざ二人がかりでやる必要があるんですか?」

 かけ布団カバー入れ室。警視庁内に存在する、かけ布団をカバーに入れるための部屋である。そこで相良と灰谷は布団をはさんで向かい合っていた。

「ひとりよりふたりって言うだろ。布団ってのはな、案外奥が深いもんだぜ」

「それは旧態依然の古い方法論です。僕は僕のやり方でやらせてもらいます」

「威勢がいいねえ。さあ、そっちのカバーの端っこを持ってくれ。そしたら俺が布団の角を持ってゆっくりと……」

 相良から渡された白いカバーの端を、灰谷は故意に落とした。

「よくわかりました」

 そして、吐き捨てるように言い放った。

「僕はこんなことをするために警視庁に来たんじゃない。無意味な作業に無理やり意味を見出して安眠できるほど鈍感でもない。やっと決心がつきました。今日限りでここを辞めます」

「……へえ、そうかい。」

 よっこいしょっと。屈んだ相良は床でくしゃくしゃになった布団カバーを拾い上げる。

「だがな、そういうセリフは、布団の一枚もカバーに収めてから言ったほうが格好がつくってもんだぜ。ああ。でもまあ、布団をカバーに入れられなくったって公安のエリートは務まるか……」

 部屋を出ていこうとする足取りが止まる。振り返った灰谷の瞳は、群れからはぐれた狼のように、静かな怒りに満ちていた。

「いいでしょう、相良さん。でも僕が挑発に乗るのは一度までです」

「……はあ。はあ。どうです。こんな仕事、一人でもできるんですよ」

 小刻みに息を切らす灰谷の前には、綺麗にセットされた布団が敷かれていた。

 最初は慣れない作業に戸惑った灰谷であったが、警察学校で学んだノウハウですぐにコツを習得し、初心者とは思えない手さばきで布団の収納を終えていた。

「ほお。こりゃ、大したもんだ」

 煙草をふかしながら見ていた相良も出来栄えに目を丸くする。

「僕に協力など必要ない。自分のことは自分で始末をつけます。こんなくだらない仕事を辞めるのも、僕の判断です。相良さん。部外者が口を出さないでください」

「じゃあ部内のことだから言わせてもらうけどな、この布団、上下が逆だぜ」

「な……っ」

 相良の一言に灰谷は目を疑った。

「洗濯表示のタグが枕側に来ちまってる。これじゃタグが顔に当たって寝られやしねえ」

「そんな……この僕が、こんな……」

 布団の配置ミス。それは灰谷が警視庁に足を踏み入れてから二度目の失敗だった。

「上下の関係を間違えて全部が台無し。公安部時代と同じことを繰り返したってわけだ」

 灰谷は反射的に相良の襟に掴みかかっていた。踏み出した足が自らの整えた布団に皺を刻む。

「……灰谷クン、挑発に乗るのは一度までじゃあなかったっけ」

「挑発したと認めるんですね、相良さん」

 至近距離で下から睨みつけてくる灰谷を見て、相良は真顔になった。

「嵌められたんだろ」

「……!」

 襟を掴む指がゆるむ。その隙に相良は灰谷の手を軽く振りほどいた。そして、乱された布団を再び綺麗に整え始める。

「灰谷耀。キャリア官僚 灰谷宗の一人息子。単独捜査を好み、狙った獲物は執拗に追い続ける。ついたあだ名は『公安の狼』……そんな部下がいたんじゃ、渡嘉敷には目下の瘤だったろうよ」

「渡嘉敷のことを? どうして……」

「ああそうそう。カバーに布団を入れるにはな、こうやってあらかじめ端っこを握っておくのがコツなんだ……」

「相良さん、答えてください」

「なぜお前の親父が死んだか知りたくないか?」

 相良は布団カバーの角をつまみ上げ、灰谷の胸の前へ向けた。

「……!」

 息を呑んだ灰谷の鼓動はさらに激しく脈打つ。向けられているのは布団カバーなのに、その先端はまるでナイフの切っ先を思わせた。

「世の中には末端を握らないとわからないことがある。もし知りたいなら握れよ。布団の、そっち側を」


COVER~警視庁寝具部布団課~

続かない

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