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欠点を開き直る人はえらい

「僕、遅刻癖あるんで、集合時刻とかぜんぜん守れないんで、そこのところよろしくお願いします」

 と、仕事相手に言われたらどう思うだろうか。はぁ? なんだこいつは。何を開き直ってるんだ。と、イラッとくるのではないか。

 しかし、私はこういう行為を許容したい。「よくぞ言った!」と褒めたいくらいだ。その理由はシンプルで、遅刻する人間のほとんどは「私は遅刻します」と言わないから、言ってくれるぶんだけエライという話だ。あらかじめ遅刻することがわかっているなら対策を練ることができる。

「そもそも遅刻するなよ」と言いたくなるのもわかる。しかし、そもそも「そもそも遅刻しない」なんてことができるなら、遅刻で困ることなどないではないか。


 これは「努力の効用をどれほど多く見積もっているか」という、ある種の宗教観が絡んでくる話だ。私は努力の効用をあまり信じていない。だから「本人ができないって言ってるなら、できないんじゃないの」と思ってしまう。その根拠もまたシンプルで、自分や周辺を見回したとき、欠点を努力で克服した人がほとんど見当たらないからだ。遅刻する人はずっと遅刻し続けているし、物を失くす人はずっと物を失くしている。そんなもんらしい。だったら、努力にそこまで期待しないほうがいいんじゃないのかなと思う。特に人の努力には。

 ということで、遅刻魔が「どうあがいても遅刻します」と開き直れる社会のほうが、「頑張って遅刻を治します」と宣言する社会よりも相対的に良いと考えている。


 そんな社会を実現するためには、欠点の自己申告を積極的に褒める環境が必要だ。申告してきたこと自体を叱責すれば、遅刻魔はそれを隠す。ほんとうは遅刻するくせに、遅刻しない人のふりをするようになる。実際はできないからギリギリになってから発覚して、みんな不幸になる。欠点を抱える人を外圧でさらに嘘つきにしてしまうのは損だ。

 嘘つきを作らない仕組みは大事だ。だいたいの欠点は最初からわかっていればカバーのしようがあるのだが、数少ない例外が「虚言」なのだ。「できないのにできると言う」「やってないのにやったと言う」みたいな嘘つきがいるとどうしようもなくなってしまう。であれば、嘘つきが出現しない環境づくりを目指したほうがよい。そして、人は追い詰められたときに嘘つきになりやすい。人にプレッシャーをかけて罪人を作らないためにも「できない宣言」を許容する慣習があったほうがよい。

「でも、そんなやつと一緒に仕事をさせられる身にもなってよ」という嘆きも当然聞こえてきそうだ。しかし、そういう人は、一緒に仕事をしなければいいのではないか。遅刻魔は許せない、イラつくぜ、という真面目な人も、最初から遅刻魔が可視化されるならそれにこしたことはないのでは。そいつからスッと離れるチャンスが早めに来るからだ。一朝一夕でできることではないけれど、これはそういう規模の話である。


「自分が何をできないか」が把握できているというのは、すごく有益なことだと思う。

 新しいバイトが2人来たとして、

A「やる気あります。がんばります」
B「やる気あります。がんばります。九九ができません」

 と言っていたら、「じゃあBにだけは経理を任せないようにしよう」と具体的な計画が立てられるぶん、Bのほうが有利といえる。Aは何が地雷かわからなくて怖い。


 念のためにいうと、これはべつに心やさしい人の思想ではない。換言すると、他人の「がんばったらもっと実力を発揮できるかもしれない」という可能性を切り捨てるという意味でもある。「できない人」の評価は当然、相応に下がる。やる気をアピールしていれば収まれていたポジションから外されるかもしれない。雇ってもらえないかもしれない。

 しかし、それでも、無理してがんばって人に幻滅されて、自分にも幻滅するハメに陥るよりはだいぶマシなんじゃないかな、と私は思うんだけど。

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同じ地球出身として、誇らしいです
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品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

株式会社バーグハンバーグバーグのライター。品田遊として、コルク所属の小説家。ほかいろいろやっています。

コラム・エッセイ「特筆すべき点P」(無料)

脈絡のない思いつきを長々と書いているシリーズです。
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コメント1件

遅刻常習犯です。
バイト面接もそうすればよかったです。
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