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弱者救済の「ばくだんミニカー」的な解決について

多人数参加型ゲームをデザインするとき「いかにして、不利な状況や役割に陥ったプレイヤーを満足させるか」という問題がある。

ゲーム全体として見たときはスリリングな試合になるとしても、ある1プレイヤーの視点からしてみるとまったく面白くない、という局面はありうる。序盤に不利になったまま逆転の機会もなく最後まで続くゲームは苦痛だ。あるいは最初に割り振られる役割それ自体がつまらない、ということもある。

ゲームデザイナーは、プレイヤーがこういうときモチベーションを失わないように腐心する。対策としては

①不利な状況で得られる逆転のチャンスを与え、不公平感を緩和する。
②「つまらない役職」はシステムに担わせ、プレイヤーに負担させない。

などが考えられるだろう。


むかしよく「マリオカート64」で遊んでいた。

あれの対戦モードには「ばくだんミニカー」というのがあった。対戦中、早々に脱落してしまったプレイヤーだけがなれる姿である。脱落プレイヤーが「ばくだんミニカー」になると、通常のレースやバトルからは外れる。しかし自由に走り回ることはできる。そして「ばくだんミニカー」に触れると大爆発を起こすので、脱落プレイヤーは生存プレイヤーを追い回し、待ち構えて自爆し、ゲームを妨害することができる。

それをすることによって、脱落プレイヤーが勝てるようになるわけではない。ただゲームが混乱するだけだ。にもかかわらず、脱落したプレイヤーたちはみな生き生きと楽しそうに他プレイヤーを追い回して自爆していた。

別のゲームなら「ボンバーマン」の「みそボン」のほうが有名かもしれない。


これは上記の①にも②にも当てはまらない解決策だ。

③ゲームの目的とは別の目的を与える。

という手法。彼らには「別のゲーム」をやらせることで満足させている、といえる。


ところでこの「いかにして、不利な状況や役割に陥ったプレイヤーを満足させるか」という問題は、ゲームに限らず社会全体の課題でもある。そしてゲームにおける解決策①②は現実にも有効で、

①→社会的に不利な立場の人が受けられる支援サービスの用意
②→ロボット導入などによる労働の自動化

などのデザイン方法がある。


では③はどうだろう。「ゲームの目的とは別の目的を与える」という公共の福祉はあるのか。

たとえば「給料は少ないけど、そのぶんお客様の笑顔を見てやり甲斐を感じられます」みたいなモチベーションの与え方がそれに当てはまるだろうか。しかし「やり甲斐」もまた「社会」というゲームの(たくさんある)目的の一つであるから、これは「別の目的を与えている」とは言えないだろう。社会的強者もまた「やり甲斐」の享受者なのだから。

「ばくだんミニカー」がすごいのは、ゲームに負けることによってゲームそのものの妨害という特権が与えられる構造だ。それはゲームの勝敗を左右しないが、ゲームの混乱という面白さを与える。

現実に適用するなら「社会的弱者は通行人をいきなり殴ってもいい法」を制定するのが近いだろうか。だけど、そんな法律ができるとは考えられそうにない。

これは、ゲームならではのゲームデザインだと思う。ゲームそれ自体を台無しにする喜びをゲームシステムに組み込んだ社会は作れないらしい。

しかし、そんなルール制定とは無関係に自ら「ばくだんミニカー」になる人は実際にいるし、そこには確かにゲーム脱落者だけが味わえる歓びがある。そういう意味では、③もまた現実に組み込まれている。

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