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3日坊主が日記を365日、約60万文字書いて気づいたこと

noteで日記を書いている。2018年の6月7日に日記を書き始め、現在に至るまで1日たりとも更新を欠かしたことはない。

もともと私はひどい飽き性で、いままで「長続き」とは縁がなかった。「日記を書こう」と思い立ったことは何度もあるが、1週間と続かない。実家には最初の数ページだけ埋めたノートが積み重なっている。現に今だって『ブレイキング・バッド』はシーズン3で止まったままだし、『高慢と偏見』は上巻の途中だし、『SEKIRO』は毒沼の大猿に糞を投げつけられるのに怯んでそれきりだ。糞を投げないでほしい。


それでも、この日記だけは続いた。

1日だいたい1500文字ほど書いているので、単純計算すれば

1500×365=547500

54万7500文字も書いたことになる。さらに、週に1度は1000文字程度のコラムを書いているから、合わせれば60万文字。小説の単行本の文字数は、1冊あたり約20万文字弱くらいが一般的らしい。つまり、単行本3冊ぶん。そう考えれば「やったな」という感じがするが、そんなに頑張った感じもしない。

なんとなくつづいたな、という感じなのだ。

せっかく1年という節目を迎えたことだし、日記を1年続けて良かったことや悪かったこと、続けるコツなどについて書き留めておく。


😀日記を続けて良かったこと

◆執筆ハードルが下がる

いやでも毎日書くことになるので、PCに向かってキーボードに指圧を与えることへの抵抗感が減った。今では洗顔するみたいに長文を書ける。いや、それは嘘だ。洗顔はたまに忘れる。

反応がもらえる

ノートではなくnoteに書く利点は、人に見てもらえることだ。特に私の場合、有料(月300円)で限定公開という形をとっているので「変な人に見つかることもあまりないだろう」という安心感もある。「❤️」でもコメントでも投げ銭でも、好意的な反応は執筆継続の動機になるし、それ自体が嬉しさを伴う。

また、目にした映画や本、気になっていることについて書くことで、詳しい人から助言をもらえる機会が増えた。現に私には今、「駅前の看板に落書きをしまくっている狂人」の目撃情報が続々と集まっている。そんな情報集めてどうするんだという問題はある。

好奇心が増す

1日のあらゆる出来事がその日の日記になるという思考が形成されるので、自ずと新しいことに手を出すようになった実感がある。

たとえばコンビニでカップ麺を買うにしても、定番より変な新商品を手に取る頻度が増えた。ちょっと大きな買い物を検討するときも「えいや!」と思いきって買うようになった。それをきっかけに得た知見もいろいろある。

過去の出来事や思考を思い出しやすくなる

人は、自分で思っているよりもずっと多くのことを忘れている。それを、日記を書くようになって実感した。ちょっと前の日記を読み返しても「こんなこと書いたかな」という発見があるのだ。書いていなければ二度と思い出さなかったはずだ。

私は昨年の夏ごろから「アイドルマスター」に徐々にハマっていき、今では精神が不安定になったらすかさずアイマスの曲を聴いて深呼吸することなしには生きていけなくなってしまったのだが、そうなっていくまでの精神の変遷も日記に細かく記されていて、自分で読んでも面白い。自分自身の機微を知ることができる、というのは、日記特有のメリットだと思う。

生活が規則正しくなる

私は日記を一日の終わりに書く。

今までは歯を磨いたあとケーキを食べてゲームをやって紙粘土をこねて歯を磨いて寝る、みたいな「サイコロを振ってそれに従ってるのか」というような衝動性に任せた生活をしていたが、この1年は最後に「日記」というオチがつくので、日々を適度に収束させられるようになった。

話題に困らなくなる

年間60万文字も書いているので、突発的に何かを書いたり話さないといけなくなったときに困ることが減った。過去の日記を引っ張り出せば、何かしら使いまわせるのだ。

日記を始めた当初には「ネタ切れ」を懸念していた。だが「もう書くネタがない」という事態にはまだ遭遇していない。むしろ、日記を公開したあとになってから「書きそびれた」と思うことの方が多い。ネタは石油のように限られた資源ではなく、掘り出す習慣によって埋蔵量が増えるようだ。

😭日記を続けて悪かったこと

◆時間リソースを奪われる

私は日記を書き上げるのに30分〜1時間ほどの時間をかけている。平均して45分とすれば、年間で273時間以上を日記に費やしたことになる。これは、結構なリソースの消費だ。

そもそも、私の1日の結構な比重が「日記」に傾いている現状はどうなんだ、という気もする。日記を書くために生きるってどうなんだ。

日記でネタを消費してしまう

これは日記を始める前からの私の癖なんだけど、思いついたことをすぐにツイートやらで公開して消費してしまう。日記を書くようになって、なおさらそうなった。私は文筆業もやっているから、アイデアは商売道具である。商品をそんな形で気軽にボコボコ分泌してしまうのは、分泌業としてもったいない。まあ、容赦無く使いまわしていけばいいんだけど。

生活が不規則になる

さっき「生活が規則的になる」って言ったじゃねえかよ。

確かに「一日の終わりを日記で締める」という意味では生活は規則的になった。しかし、日記を書くのに気を取られて夜更かしになってしまった。気づいたら午前3時になっていたりする。そういう意味で私の日記生活は不規則・不健康だ。

話題に困る

さっき「話題に困らなくなる」って言ったじゃねえかよ。

確かに「話題のストックができる」という意味ではそうなのだが、問題は「相手が私の日記を読んでいる場合」である。私の友人知人の結構な割合が、私の日記を購読している。悪口を言われていないか監視しているのだ。そういう人を相手に雑談するとき、困る。

日記にもう書いたことを話すときは「この話二度目だな……」って思われてるだろうな、って思ってしまうし、かといって相手が私の日記を読んでいることを前提にして話すのも「俺の日記、読んでて当然だよなぁ?」っていう最悪な日記ジャイアンだからいやだ。

あと何かあるたびに会社の同僚が「それ、日記に書く?」ってニヤニヤしながら言ってくるのもいやだ。



日記を毎日続けるコツ

そんなこんなで毎日1年続いた日記だけど、なぜ三日坊主でも続いたかについて自分で気づいたことを書いておきたい。

◆毎日続ける

トートロジーみたいだけど、これが一番大きい。

実はもともと、毎日日記を書こうとは思っていなかった。不定期に、まあ月に4回くらい載せられればいいな、くらいに考えていた。しかし、1回目の日記を書いた時点で「明日休んだら、これ続かないな」というのを直感した。結果的にその直感は正しかった。

もし1週間に1度とか平日のみというルールで運用していたら、私は続けられなかったと思う。身体感覚に曜日の概念なんて基本ないので、習慣は「毎日」が一番強くて楽だ。

◆承認とプレッシャーを得る

気質的に、私は人からのフィードバックがなければ何事も続かない。だから、自分のためにではなく、人に見せるコンテンツとして日記を始めたのは正解だったと思う。実家に眠る断筆ダイアリーの山は、私だけが観客だったから続かなかった。

全体公開ではなく有料だったのもあり、悪意などに晒されることがないのもいい。主に好意的な人々が読んでくれるだろうという見通しは、文字を打つ指を軽くする。

同時にこれは、Likeという承認だけでなく、「書けよ」というプレッシャーも与えられるということでもある。私の場合はお金までもらっているからなおさらだ。

私は1年ほどスポーツジムに入会していた時期があるが、7ヶ月くらいは月に1回も行かず、会費だけ支払い続けていた。そのときの私は「会費を払う代わりに、運動しなくていい権利を得ている」という屈折した意識を持っていた。もし逆に、ジムに行くたびにお金をもらっていたら(お金をもらえるというポジティブなモチベーション以上に)お金をもらっているのだから行かないと申し訳ないというプレッシャーを感じて運動していたかもしれない。

だからこれは、多くの人が学校や会社に毎日継続して行ける理由に似ている。友達に会えるとか、給料がもらえるというポジティブな動機付けと「行かないと怒られる」というネガティブな動機付け。どっちも必要なのだ。

◆適当にやる

適当にやるということは、私が日記を始めて以来、唯一厳格に守り続けているルールだ。

そもそも私の日記は「毎日やります」と宣言していない。最低でも月に4回書くよ、と適当な設定しか示していない。そこを厳格にすると一気にダルくなる気がしたのである。だからある日突然やめてもいいやと考えている。私は毎日のように「本当に人生がどうにもならなくなったら自殺しよう」と考えているんだけど、それは結果的に前向きな生き方を与えてくれる。それに近い。

日記の内容も適当だ。基本的には食べたメシの写真を貼り、尻を拭く役にも立たない思いつきを書いている。目標もなければ学びもない。かと思えば異常に真面目な文章を書きなぐったりもする。「なんか文章書くのダルいな」という時は、適当なイラストを2,3枚載せて今日は終わり! と、ぶん投げている。しょうもない思いつきもすぐ試す。右耳と左耳からそれぞれ違う内容のボイスを同時に流すステレオ音声日記を載せたら、めちゃくちゃ評判が悪かった。

いいものを書こうと思うとキリがないので、ギリギリ飲み込めるゴミを書くつもりで日記をしたためている。


まとめ:日記は書かなくていい

こんな感じで、私は日記を1年間書き続けることができた。

しかしこれは、1年間日記を書き続けたという単なる事実であって、習慣それ自体はよくも悪くもない。日記を書くことにはメリットがあるが、書かないことにもメリットがある。それゆえ日記をつけることを誰かに勧めたりもしない。

日記を書かない生活は素晴らしい。過ぎゆく日々をただその瞬間のものとして感じ、振り返ることなく、生き方と承認を繋げることもなく、それから生じるプレッシャーに苦しむこともない。

日記は書かなくていい。もし日記が書かなくてはならないものだったなら、私は日記を1年も書き続けられなかった。

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品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

株式会社バーグハンバーグバーグのライター。品田遊として、コルク所属の小説家。ほかいろいろやっています。

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