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お金がなくなってから気づくこと

皆さんこんにちは。金無し男です。
ついに前職から完全に離れ、職も無くなりました。

それに伴い直近はお金のやりくりに苦労することになり、正直なところいいことは全くありません。お金に関心が弱かったツケが今来ています。

今までは働いたら当たり前のようにお金が入ってきていたので、お金への関心が低かったです。というよりもっと正確にいうと「お金への教養がない」というのが正しいかもしれません。お金という物を漠然としか考えてなく、「お金がいっぱいある=贅沢ができる」程度の考えだったと思いまい。ただ、最近自身の境遇からお金の本質が何か垣間見れるようになったので自戒として残しておきます。

本質を見極めるため、まずお金がないと具体的に何が困るのか記しておきたいと思います。

まずお金に困り始めると、行動が卑屈になります。

色んなテクノロジーが発展している現代においても、手段としての”お金”の存在は強力です。多くの場面でお金が必要になり、ないと誰かから借りるなどが必要です。この借りる行為が自分の立場を弱めます。

お金を借りると、お金を借りた身としての"身分相応"の振る舞いが自然と求められるので、いわば行動の制限が出てきます。お金に困っているのに何か贅沢をしていたら貸し手から見ると、「そんなことしているなら早くお金返してよ」というのが自然なので、結果として質素な振る舞いが求められます。

また、お金を返す努力を示す必要が出てきますので、それに直結していない行動を行うと、やはり疑問に思われます。

そうすると結果として、常に周りの目を気にしながら行動する必要があり、「これしても大丈夫かな?」と些細なことに悩み始め、時間が取られ、結果として一つ一つの行動が小さくなります。

ここから見えてくるお金の本質とは、贅沢を味わうために必要な物ではなく、「選択・行動する自由を得るための変換装置」であるということ。

今の今まで「そんな稼がなくていい。ほとほどの生活が送れれば。」と澄まし、お金にがめつい人を卑しい目で見ていましたが、自分の甘さでしかなかったことに気づきました。

コストに厳しい人、お金に細かい人はその本質を理解し、常に選択・行動できる自由を追い求め、その自由を得られるように必死に努力している。

自分はここの感覚が弱く、漠然と与えられてきたものを漠然と使っていたので、その努力を怠っていました。その課題を見て見ぬふりをして走り続けてきましたが、今人生をリセットしたいくらい、行き詰まりを感じています。

とは言いつつも後悔ばかりしても意味はないので、これから何をするか決めたいと思います。

1) 常にmake moneyの意識でいる
お金の本質を知った以上、make moneyを考えないのは「自由を得る努力の放棄」に等しいので常にこの意識でいるのが当たり前です。些細な物を処分するにしても何かmake moneyできるのではという意識を持つようにします。

2)投資に対してシビアになる
お金がないから、安いもの追い求めるのは簡単ですが、それが得策とは限らないです。時間をかけて安いものを求めても時間の浪費になりますし、その時間分、お金を稼ぐこともできるので常に「これを購買した時のリターンは何で、どのくらいか」を多角的に考える必要があります。正直その時々で解が異なるのでこの手は苦手なジャンルですが、感覚を養うのには常に訓練として考えるしかないです。

3)弱者として勝ちあげる
どう足掻こうと現実は変わらないのでまずは自身の立場を受け入れます。その上で、この現状を変えるには愚直に今やるべきことをやるしかないです。まだポジションが明確でない新入社員がポジションを得るためにはしのごの言わず黙々とやって、信頼を稼ぐしかないのと同様、今の自分も同様です。

将来的に成し遂げたいことは多々ありますが、まずはこの立場を変えていきます。

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