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僕はひっそりと、電車の席取り合戦から身を引くことにした。

プシューっと電車のドアが開いて行く。

中からは「冷蔵庫のような」としか例えようのないひんやりとした風が流れてくる。冷蔵庫に吸い寄せられるように、車内に入る。

車内は満席で、それなりに立っている人たちもいる。ちょっとマシになり始めた通勤電車、という感じだ。

前日の疲れが残っていそうなお姉さん。
勤続40年(と思われる)スーツのおじさん。
シャカシャカと、ヘッドホンから自分だけの世界を垂れ流し続けるお兄さん。
友達と連れ添う、行儀の良さそうな私立小学生。

いろんな人が、僕と一緒に、街の中心部に向かっていく。

満員電車は、さながらギャンブルの世界だ。

電車に立って揺られる僕の前の人が、立つか、立たないか。立つか、立たないか。皆、しのぎを削っているのだ。

とその時、僕の目の前に座っていた人が、乗り換えなのかおもむろに立ち始める。

いつもなら、「キター!」となるところだけど、その日は疲れていなかったこともあってか、横で立ってる方が座ればいいか、というぐらいの気持ちでいた。

すると隣のお姉さんは、軽く会釈をしてそこに座る。お姉さんは、疲れていたのか、ちょっとホッとした表情に見える。

その時、気づいてしまったのだ。

前から思っていた違和感に。

都会の電車での、無言の戦いって、ある。それに、居心地の悪さを感じてきた。我先にと争うのは、なんかおかしい。程度差はあれど、疲れてるのはみんな同じ。もう、競争しなくていいんだよ。

と、そんなことは、誰にも言えないのだけれど。前日の疲れが残っていそうなお姉さんにも、勤続40年(と思われる)スーツのおじさんにも。

だから、僕だけは、ひっそりと満員電車の競争から身を引こうと思う。僕が意識的に座らないことで、誰かがちょっとホッとしたり、何かを頑張るエネルギーを充電したり、幸せになったりする。その姿を想像して、僕もちょっと幸せになる。

なかなか、いい循環じゃない?

席取り合戦からの引退宣言をする人が増えたら、都会の電車ももう少し優しくなるかもね。