政教問題への「とほほ」なアプローチのすすめ〜島薗進論考「統一教会と現代日本の政教関係」を読む〜

本稿の目的は、日本を代表する宗教学者である島薗進氏が「統一教会と現代日本の政教関係——公共空間を脅かす政教のもたれ合いと宗教右派」という論文で展開した議論について、氏の個人史的な文脈を考慮にいれて検証することにある。

2024年1月に出版された『自壊する「日本」の構造』という本に収められたこの51頁の論文は、過去1年半にわたって島薗氏がおこなってきた言論活動のエッセンスが詰まったものとなっている。そこで、この論考の検討をはじめる前に、まず島薗氏の近年の活動について簡単に触れ、その中でこの論考がどのような位置を占めているのか整理しよう。

東京大学名誉教授である島薗氏は、新宗教やスピリチュアリティに関わる様々な研究を手がけ、宗教学の概説書や入門書を数多く世に送りだしてきた、日本の宗教学を牽引する存在である。2022年7月8日に発生した安倍元首相暗殺事件の直後から、島薗氏はとても活発に言論活動を展開してきた。これは、事件の容疑者の動機として統一教会への恨みがあったという報道をきっかけに、新宗教研究の専門家である氏にさまざまなメディアからコメントや寄稿の依頼が殺到したからでもあるだろう。

しかし、そういった依頼とは別に、島薗氏は自ら積極的にオピニオンの発信もおこなってきた。2022年10月24日には、統一教会研究の第一人者である櫻井義秀氏と共同で代表となり、宗教研究者有志25名による「旧統一教会に対する宗務行政の適切な対応を要望する声明」を発表している。同年10月28日にはこの声明をもとに、東京地方裁判所の司法記者クラブで記者会見もおこなった。声明は島薗氏の個人HPにも掲載されているので、そちらへのリンクをここに貼る

題名にもあるようにこの声明文は、統一教会問題に対して迅速かつ適切な行政の対応を求めるものだ。具体的には、宗教法人法に基づく報告質問権の行使や宗教法人審議会の公正な検討の上で、教団に法令違反がある場合には宗教法人格の取消しを視野に入れ、裁判所への解散命令請求などの行政的措置をおこなうことを強く促している。

また、著述活動においては編者としてイニシアチブをとり、多彩な専門家と協力して統一教会問題をテーマにした書籍を立て続けに2冊上梓している。2023年1月に岩波書店から『政治と宗教——統一教会問題と危機に直面する公共空間』という新書を緊急出版し、その約半年後の2023年8月には『これだけは知っておきたい——統一教会問題』を東洋経済新報社から出版した。

そして、2024年1月にみすず書房から共編著である『自壊する「日本」の構造』が刊行された。この本に収められた論文は、上記の2冊の本に所収された島薗氏の文章と重なる内容や記述も多い。1年半にわたる島薗氏の思索が結実した論考だとみなせるだろう。本稿が主な検討対象とするのはこの「統一教会と現代日本の政教関係——公共空間を脅かす政教のもたれ合いと宗教右派」という論文だが、2冊の編著からも適宜引用をしながら論を進めていく。

島薗氏の統一教会問題に対する姿勢ははじめから一貫しており、氏はこれを政治と宗教の問題として捉えている。以下の記述からもそれは明らかである。

事件後の多くの報道により、統一教会と政治家・政党の間に密接な関係があり、人権侵害がはなはだしい統一教会に「お墨付きを与えた」のではないか、つまり政治家・政党が守る働きをしてきたのではないかとの疑いが一段と強まった。かねてより知る人ぞ知るであったのだが、広く日本の市民社会でその疑いが共有されるようになった。 人権侵害のはなはだしい宗教団体が長期にわたって存続し、人権侵害を続けてきた。 これが「統一教会問題」と言える問題だが、 そうだとすれば政治と宗教の関係が問われるのは当然のことである。[島薗2024:318-319]

骨子となる主張は次の2点に集約できるだろう。

1.統一教会は長期にわたって人権侵害行為をしていた。
2.人権侵害行為をする宗教団体が存続できたのは政治の庇護があったからだ。

そしてこの2つの主張を軸に展開されるのは、統一教会と自民党との関係に注目した、政教関係の現代史の叙述である。島薗氏は3つの段階に分割してこれを描いている。

第一段階は日本での布教がはじまった1960年ごろから1980年代の終わりごろまでで、保守勢力と統一教会は反共イデオロギーを共通の基盤として手をとりあっていたとされる。第二段階は冷戦終結から2000年代後半までで、右派政治勢力の結束が弱くなるが、統一教会が直接マスコミを恫喝したりしても政治の力によって警察が取り締まりや捜査などをしなかった時期とされる。第三段階は2000年代の後半から教団を選挙に利用したい自民党と、味方になる政治家を必要とした教団の利害の一致によって接近した時期だとされる。

第一段階と第三段階では政治と宗教が結びつく動機や背景が異なるが、いずれの時代においても政治の庇護があり、統一教会が長期にわたり存続できたのは、マスコミや警察を抑え込む政治的な力が働いたからだという説明がなされる。

これは推論の形式としては、仮説形成推論(アブダクション推論)と呼ばれるものだ。つまり、統一教会が甚だしい人権侵害行為を繰り返していたという認識をもとに、なぜそうした行為が取り締まりを受けてこなかったかの理由を推測するタイプの議論である。この場合、自民党の政治家や保守系の有力者による政治的な庇護の存在があった、というのが形成された仮説といえる。

この仮説を実証しようとするとき、必要なのは例えば以下に挙げるような証拠だろう。政治家が警察の捜査を妨害した証拠や、統一教会を批判しようとしたときに特定の政治家から圧力をかけられたという実名付きの証言などだ。しかし、裏付けとなる証拠集めはあまり上手くいってはいないようだ。

声明の共同代表にもなった櫻井義秀氏による『統一教会』という著作が刊行されたとき、島薗氏はこの本を高く評価する書評を書いた。2023年5月1日に公開された書評は次のような言葉で結ばれている。

教えられるところのきわめて多い書物であり、新宗教研究書としても高い達成度をもった書物であるが、一点、注文をつけるとすれば、政治の関与の問題があまり取り上げられていないことである。統一教会の暴力性、抑圧的な教団構造、そして違法性の摘発が長くなされなかったことは、この政治の関与という問題を抜きにしては明らかにできないものではないだろうか。

島薗進「宗教の名著巡礼 第6回」(https://nagisamagazine.wixsite.com/t-jiyudaigaku/post/宗教の名著巡礼-第6回 )

研究書としての評価はしているものの、期待していたような政治と宗教の結びつきを立証する情報がなかったことへの不満が感じられる文章だ。

さらに2023年1月の岩波書店の本、次に2023年8月の東洋経済新報社の本、最後に2024年1月のみすず書房の本から、島薗氏自身の記述を並べて見てみよう。

一つの要因として考えられるのは、統一教会が政治的な庇護を得たということである。政治的な保護が有利に働いたと思われるのは、報道による批判と警察による捜査を免れたことに関係があるのではないかという問題に関わる。これは実証は必ずしも容易ではないが、状況証拠はかなりあるものだ。[島薗2023a:32]

政治的な力が働いたか、そうではなくても政治的な作用を受けた「世間」の意思が作用したと考えざるをえないところだ。メディア、税務署、警察等がそうでなければもっと厳しい眼差しを向けるはずの集団に対して、そうさせないような暗黙の力が働いたのではないかと考えないとうまく説明できない。[島薗2023b:149]

数々の人権侵害も政治的なバックがあるからこそ容認されてきたと多くの論者が捉えてきたが、それにはそれなりの根拠がある。人権侵害をやっても守られたので、ますますそれを続けるようになったという疑いがかけられるのは避けられないところだ。[島薗2024:330]

これら3冊の本の記述を比較してみても、この1年の間に仮説を裏付ける証拠の収集に顕著な進展があったようには見受けられないだろう。

実際のところ、島薗氏の一連の論考で統一教会との関わり合いを指摘される政治家の名前は、安倍晋三と萩生田光一を除くと岸信介、福田赳夫、松下正寿、金丸信、中曽根康弘といった、氏の時期区分で言えば第一段階(1960年ごろ〜1980年代の終わりごろ)の時代に表舞台にいた政治家ばかりである。それぞれの政治家について統一教会との密接な関係を示す逸話は紹介されるが、彼らのうちの誰かがマスコミや警察を抑制したという事実などは明らかにされていない。

決定的な証拠がない状況で島薗氏は、ジャーナリスティックな著作や週刊誌の記事などにも頼って政治と宗教のもたれ合いの関係を描こうとする。だが、これらの情報の典拠としての信頼性が十分に吟味されているとは思えない。特に、島薗氏は犯人がわからないまま時効になった赤報隊事件と統一教会は関係があると繰り返し仄めかすのだが、次のような記述は研究者としての一線を越えていると筆者は感じる。

(……)朝日新聞の記者が殺された事件を含む一群の赤報隊事件は、統一教会が行ったという説が事実かどうかわからないが、それが事実だと疑う人がかなりいるのは事実だ。[島薗2024:343]

宗教学の権威にこのような指摘をするのは不思議な気さえするが、なにかを事実であると考える人がいることは事実の代わりにはならないはずである。なんなら筆者の母親は、神がこの宇宙のすべてを創造したという創世記の記述を事実だと考えている。

赤報隊事件と統一教会との関連が疑われる理由は、犯人から届いたとされる脅迫状の内容によるところが大きい。しかし、この脅迫状には統一教会の関係者がしないような言葉づかいが含まれるという指摘もある。すでに事件は迷宮入りになっていて真相は不明だが、いずれにせよ宗教的少数派と殺人事件を結びつけるような言説の取り扱いにはこの上ない慎重さが求められるべきだ。

研究の出発点として、自民党の政治家や保守系の有力者による政治的な庇護の存在を仮定すること自体は問題ない。だが、仮説を支持する証拠が不足している場合には、仮説の見直しが必要であろう。加えて、いちから考え直した場合、政治的な力によって保護されてきたことが統一教会が存続できた理由という仮説が、本当に一番最初に考慮すべき価値のある仮説と言えるのだろうか。

筆者は、島薗氏の個人史的な文脈を考慮に入れるならば、統一教会が存続してきた理由について、政治的な力の介入を仮定する以外の合理的な仮説を構築できると考えている。本稿ではこれから、島薗氏がこれまで社会的に歩んできたキャリアに注目し、オルタナティヴな仮説の手がかりとして提案を試みる。

冒頭部分で述べたように、島薗氏は2022年10月に共同代表として「旧統一教会に対する宗務行政の適切な対応を要望する声明」を公開した。この声明は統一教会問題について「私たちはこの問題に対してかねてより懸念をもってきました。」と述べ、「宗教法人審議会における公正な検討を求めます。」と言っている。ところが一方で、この声明が出されるつい11年前まで、島薗氏は自分自身が委員としてこの宗教法人審議会に参加していたという事実がある。

島薗氏は2004年の4月1日付で宗教法人審議会の委員に任命されており、それから2011年までの7年半の期間にわたって宗務行政に関わっていた。文化庁のHPを閲覧すれば、第26期の委員の名簿から第30期の名簿に継続して島薗氏の名前が記載されているのが確認できる。

筆者は島薗氏が委員として在任していた期間に開かれた、第147回から第163回までの宗教法人審議会の議事録の、文部科学省・文化庁のHPに掲載されている分に目をとおした。だが、統一教会の問題について議論されたと思われる箇所は見つけることができなかった。ただし、宗教法人審議会では個別の宗教法人名は議事録等で公開しないきまりになっており、伏せ字になっている部分で見落としがある可能性や、HPに掲載されていない可能性があることは付記しておく。

さらに付け加えるべきなのは、島薗氏が委員を務めた7年半の期間の、最後の2年余りは民主党政権の時代なのである。

2009年8月30日の衆議院議員総選挙で民主党が圧勝して政権交代を果たし、翌月の9月16日には鳩山由紀夫内閣が発足する。同年11月30日に文部科学省3F1特別会議室で第157回宗教法人審議会が開会された。文化庁のHPに掲載された議事録を見ると、委員として島薗氏も出席していたことが記録に残っている。

この日の会議はたまたま議事が少なかったようで、「議題では(3)となっておりますが、特段の議事はこちらとしては用意いたしておりません。今日の全体を通じて何かご発言等ありましたらお願いしたいんですが。」という、ざっくばらんな議事進行となったようだ。宗教法人審議会の実際の雰囲気について筆者が知る由もないが、もし島薗氏がかねてより統一教会の人権侵害を憂慮していたならば、選挙で敗れて自民党が下野したばかりのこの瞬間は、問題提起をする絶好の機会だったに違いない。しかし現実の議事録によれば、この時期に話題となっていた事業仕分けについての世間話がされただけだった。

もう一度2022年10月24日の宗教研究者有志による声明の文面を確認すると、「私たちはこの問題に対してかねてより懸念をもってきました。正体を隠した勧誘は「信教の自由」を侵害しますし、一般市民や信者の家計を逼迫させ破産に追いこむほどの献金要請は公共の福祉に反します。」とある。つまり、かねてよりの懸念の中身とは勧誘の手法と違法な献金要請の2点だ。

しかし、2009年11月30日に第157回宗教法人審議会が開かれた時点ですでに、2003年10月にはいわゆる「青春を返せ」訴訟の判決は確定しており、このわずか20日前の2009年11月10日には印鑑販売をしていた統一教会関連会社の「新世」に有罪判決が下されている。もし、こうした事柄を教団に責任がある人権侵害行為だとみなすのだとしたら、すでにそれらは周知のことだったと考えざるをえないだろう。

加えて述べるなら、2009年3月には当時の徳野会長がコンプライアンス宣言を出しており、これ以降は徐々に勧誘手法も献金要請活動にも改善の意識がみられたはずである。やはり、この年の宗教法人審議会において問題が取り沙汰されていない宗教法人が、2022年に「かねてよりの懸念」によって解散を議論されるのは、腑に落ちないことが多い。

先ほども述べたとおり、島薗氏が委員として在任していた期間中に、統一教会の問題について議論がなかったことを証明することは不可能だ。しかし、もし委員であった間に島薗氏が統一教会の宗教法人としての適格性について問題提起したことがなかったとすれば、それを説明する理由にはどんなものがありうるだろうか。

もっとも単純な説明を採用するならば、解散命令の請求を政府に進言するほどには統一教会を問題のある団体だとみなしていなかった、という見方が妥当なのではないだろうか。

そもそも、解散命令の根拠となる法令違反の基準は刑事事件のみという政府の慎重な姿勢が変更されたのは、2022年10月19日の岸田首相の答弁以降であり、島薗氏が委員であった2004年から2011年までの期間ならば、民法上の不法行為だけでは宗教法人法の解散命令の事由には相当しないという認識を宗教法人審議会の委員たちは共有していたはずである。

だから、批判の声が多くあがっている宗教団体だとしても解散させることは難しいと、この時点で判断するのは実に自然な思考である。そして、この一連の思考に、自民党にしろ民主党にしろ、政治家の圧力などはまったく影響を与えていないはずなのだ。

本稿は、統一教会問題の解決に結びつくような問題提起をしなかったことについて、島薗氏を糾弾する目的で書かれているのでは断じてない。それに不作為への反省については、島薗氏は著作の中で次の文章のように忸怩たる思いを口にしている。

日本宗教学会などの関連学会がこれをしっかり取り上げ問題にしてきたかというと不十分だったと言わねばならないだろう。日本宗教学会の会員であり、新宗教研究を行ってきた宗教学者として反省せざるをえないところだ。[島薗2023a:35]

ただちょっとここの箇所で気にかかるのは、ここで島薗氏は「日本宗教学会の会員」として反省の弁を述べているが、実は2008年から2011年の期間は日本宗教学会のただのヒラ会員でなく、会長職を務めていたことは付言しておきたいところだ。つまり、2009年から2011年にかけての島薗氏は、民主党政権下の日本で、宗教法人審議会の委員を務めるとともに、日本宗教学会という長い歴史と権威のある学会の会長でもあったのである。

こうした島薗氏の華々しいキャリアを考慮にいれるならば、統一教会が批判をされずに存続できた理由は、自民党の政治家や保守系の有力者の庇護があったからという仮説にもとづいた歴史叙述に大きな疑問符がつく。少なくとも2009年から2011年の島薗氏の統一教会問題への「沈黙」は、そうした仮説では説明がつかないはずだ。

それに、そもそも論をいうならば2009年から2011年の2年間だけに限定しなければならない理由もない。宗教学分野における氏の存在の大きさを考えるなら、統一教会への批判を抑え込もうと圧力をかけてきた政治家や有力者たちの実名を、島薗氏自身が次々と列挙できるくらいでなければ本来はおかしいのではないだろうか。

筆者は、島薗氏が描く日本の政教関係の現代史には「とほほ」の感覚が欠如しているように感じる。「とほほ」とは思想家の内田樹氏によって提唱された概念で、内田氏はこれを以下のように定義づけている。

「とほほ」とは何か?
それは要するに「従犯感覚」である。
例えば日本の政治システムを批判するとき、私たちはつい弱腰になる。それは批判している当の本人が久しく政治にかかわる言論の自由・集会結社の自由を保証され、選挙権や被選挙権を行使してきた結果、いまの政治システムを作りあげてきた一人だということを骨身にしみて知っているからである。私たちの努力も怠慢も参加も無関心もぜんぶ込みで、その総和としていまの政治体制がある以上、「だいたい日本の政治システムは」みたいなことを外国人のようなスタンスで言うことは許されない。いや、許されているのかも知れないけれど、するのが恥ずかしい。

内田樹「とほほ主義とは何か」http://www.tatsuru.com/columns/simple/04.html

私たちが社会問題を目の当たりにしたとき、その出現を阻止できなかったことへの罪責感と、居直るような自己免責がないまぜになって湧きおこる感情が「とほほ」の感覚だと内田氏は語る。そして、「とほほ」が欠如したときに人は、問題がある現状を強力な「外部からの禁止」によって自分たちが無力化された結果と解釈するようになると説いている。

内田氏の述べる「外部からの禁止」にあたるものこそが、「政治的な庇護」や「マスコミや警察を抑え込む力」という、過去1年半にわたって島薗氏が追求し続けてきたものではないだろうか。しかしながら、その追求の成果はいかばかりのものであっただろうか。

何度でも強調したいことは、本稿には島薗氏の不作為を指弾する意図はまったくないということだ。現在の社会的風潮では、統一教会を非難し関係を断つことこそが正しい身の処しかたとされている。こういった「空気による支配」に迎合して、昔のことについて反省を口にしたり忸怩たる思いを表明するのは、端的にいって茶番である。必要なのは歴史的経緯の冷静な分析であり、過去にあった出来事を直視することだ。

その意味で、日本の宗教学を長年牽引し、宗教法人審議会の委員として7年半務めた経験のある島薗氏の証言は、第一級の歴史史料になるはずである。統一教会の宗教法人としての適格性について、宗教法人審議会で過去にどのような議論がおこなわれたか、またはおこなわれなかったか、委員間でどのような認識が共有されていたかは、今後の議論に大きく寄与するに違いない。あわせて島薗氏個人の認識についても、統一教会問題への評価がいつ、どのように変化したのか、現在の教団についての情報は把握できているのかなど、知りたいと思う人たちは多いはずだ。誰にでも入手可能な「ソース」をもとにした歴史叙述を試みるより、宗教行政に携わった関係者として証言を残すほうが、学問的にも素晴らしい貢献になるのではないだろうか。

もちろん、委員は非常勤の国家公務員としての守秘義務を負っている。しかし、これをあまり厳密に運用すると政治学分野のオーラル・ヒストリーなどは成立できなくなってしまう。そこは職務上知り得た情報の中身や、すでに約13年前に任期を終えていることなどの要素をバランスよく考慮する必要があるだろう。

最後に、これは本稿の目的とは異なる論点なので機会を改めて論じたいのだが、この論文での「宗教右派」という言葉の使用について触れておきたい。タイトルにも用いられている「宗教右派」という言葉だが、論文中に定義はでてこない。それどころか、旧統一教会が「宗教右派」であるかどうかすら明言されない。その代わりに提示されるのが、「宗教右派」と「公共宗教」を対比させる、以下の引用のような整理である。

それ(引用者注:宗教が力の政治に利用される、あるいは覇権主義的な政治を後押しする動向)に対するオルタナティブとして、「公共宗教」というあり方が考えられる。この「公共宗教」という言葉は、ホセ・カサノヴァというスペイン人のカトリックの神父だった人で、今はアメリカの宗教社会学者だが、彼が『近代世界の公共宗教』(玉川大学出版部、一九九七年、ちくま学芸文庫、二〇二一年、原著、一九九四年)という本で唱えているものだ。
(中略)
ところが、私事化するはずの宗教があらためて公共空間に存在感を示してくる。ポスト世俗主義の時代である。その場合に二つの方向性があって、一つは宗教右派的な方向で、しばしば独善的になる。もう一つが、多元性を認めて公共空間を活性化させる公共宗教的な方向ということになる。[島薗2024:364ー366]

筆者は宗教社会学にも政治哲学についても詳しくないが、ここの説明にはいささかの戸惑いをおぼえる。というのも、カサノヴァは『近代世界の公共宗教』において、本来は私的な領域に収まっているはずの宗教が、公的な領域に姿を現していることを5つの事例研究を通じて論じている。特に第6章では「福音主義プロテスタンティズム——市民宗教から根本主義セクト、新キリスト教右翼へ」と題し、アメリカの宗教右派を取り上げているのである。つまりカサノヴァにとってアメリカの宗教右派は、宗教の脱私事化という現象の根拠として挙げた事例のひとつだった。このことから、カサノヴァは宗教右派のことを、さまざまな公共宗教のタイプの経験的な実例のひとつと捉えていたのではなかったかと疑問に感じたのである。

しかしながら、宗教学の泰斗の記述に異を挟むには筆者はまったくの勉強不足である。これ以上の議論は専門家同士による真摯な検討がおこなわれるのを期待したい。

政治と宗教の問題に取り組むことは困難な作業である。それは私たちの社会のありかたについて考えることであり、強い政治性を帯びるのを避けられないからだ。しかし、たとえ困難であるとしても、近視眼的な政治的対立にとらわれることなく、蓋然性の高い事実と明確な定義にもとづいた討議によって合意形成がなされることを筆者は望んでいる。

この論考がわずかでもそのような討議に資するものであったことを願いつつ、ここで筆をおく。

【参考文献】
・ホセ・カサノヴァ(1994=1997)『近代世界の公共宗教』玉川大学出版部。

・島薗進編(2023a)『政治と宗教——統一教会問題と危機に直面する公共空間』岩波書店、Kindle版。

・島薗進編(2023b)『これだけは知っておきたい——統一教会問題』東洋経済新報社、Kindle版。

・島薗進(2024)「統一教会と現代日本の政教関係——公共空間を脅かす政教のもたれ合いと宗教右派」『自壊する「日本」の構造』みすず書房、318ー368頁。