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ニート、就職する。②

さて、今度は就活編です。
なーんて、こんなふうに始まれば、面白いくらい就活に失敗しまくるんだろうなと思われるかもしれません。
お祈りメールが来すぎてもはや自分は祈られる対象になっちゃったのかな?と思いかけた、なんて話だったらまだ良かった…否よくないか。それはそれでよくないのだけれど、私はもっともっと酷いのです。

そもそも、普通の企業にはもうエントリーシートを出すことすらままなりませんでした。だって何にもないからです。書くことが本当にありませんでした。書いてみても、「こんなもん返事する方も困るだろ」というような文章しか出来上がりません。
何か成し遂げたことは?と聞かれても、なんにもありません。
バイトもしていない、ボランティアもしていない、部活もしてない、追加プログラムも修了してない…ただ、大学に行っていただけ。

なぜそうなったのか?

みなさん、もうお分かりでしょう。原因はたった一つ。門限に間に合わないから家の人に止められていたからです。
就活が始まる前に、何度かボランティア団体に行ってみたりもしました。部活やバイトをしてみたいのだと、理由をつけて色々説得してみたりもしました。五限の講義をなんとか取らせてもらえないかと言ってみたりもしました。それでも全部ダメ。門限に間に合わず、家事が予定通りに進まないから。たったそれだけの理由で全て跳ね除けられました。

なんなら先生にも事情を話して、次の年度の講義をわざわざ私のためだけに移動させてもらったこともありました。私しか講義を取れる人がいないとは言え、快く承諾してくださったあの時の先生には感謝しかありません。
ですが結局、学部事務の手違いで他の必修講義と被ってしまい、その講義を受けることは叶いませんでした。どのみちその講義を受けていても、全てを履修しきることは不可能でしたけどね。他にも五限の講義はありましたから。

勉学はそれなりに頑張りましたし、それなりにいい成績で、後輩や先輩ともそれなりに交流し、先生たちともそれなりに可愛がられていたと思います。
何せ人数が少ない学部ですから、毎日大学に行けば、先輩後輩、先生たちと会う機会が多かったからです。
でもそれだけです。
全て中途半端で、最後まで頑張ったことなんて早起きくらいのものでした。…といっても、早起きやら満員電車やら人混みやらのストレスで5キロも減ってしまいましたが。今になって思えば、頑張っていたというよりも、やらねばならないからしていただけに近いですね。

もっともっと色々頑張っていた人たちですら書くことに困るエントリーシートに、何も成せなかった私が何を書けるというのでしょう。何にもありはしませんよ。本当に。

それでも、それでも、実家に帰ることができない私には、もう今住んでいる家しかないのです。追い出されたらもうどこにも行き場はありません。怒鳴られて殴られて住処を失うくらいなら、いうことを聞いて大人しくしていたほうがマシだと思っていました。幼い頃から受けた仕打ちがフラッシュバックする度に、「今度こそ説得しよう」という気持ちが萎んでしまいました。
家の人が怖くて仕方ない自分に、少しの提案すらも頑張れない自分に、嫌気がさしていました。

そんなことを思い出せば出すほど、エントリーシート1枚書き上げられない自分はどうしようもない人間に思えました。(実際そう)
周りが就職していく中、少し先の将来さえ見通しがつかない自分が情けなかった。
さらに同時期くらいに、パートナーは仕事にしたい夢を見つけました。
ますます私は焦ります。焦燥感と自己嫌悪と不安で毎晩毎晩泣きました。相当追い詰められていたと思います。まあ就活生なんてみんなそんなもんなのかもしれませんが、私はそもそも就活生になれてすらいませんでした。

家の人は自営業ですから、就職のことなんか話されてもわからないとほったらかし状態。お金に余裕があると言いながら、リクルートスーツすら買ってもらえませんでした。

そうして時は流れ、秋頃には福祉の方に行ってみてはどうか?と先生に提案されて介護職に就こうとしていましたが、持病のせいでお祈りされるばかり。
もはや八方塞がりかと思われた時、なんとか私でもできそうな職を見つけたのです。

それが医療事務

とりあえず資格勉強をして、テキストとテストを乗り越え無事修了。資格試験自体はまだ受けていませんが、勉強も終わったということで、そろそろ職場を探そうかな〜というときにまた一波乱起こったのです。

次は「親離れ=援助全切り」編です。

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