うまい棒という傑作品

僕はたまに短期集中型でゲームにハマってしまうことがある。今やっているのが「組長を育て、他の組と競い合う」という少し香ばしさを感じさせるコンセプトのスマホゲームだ。「やられたらやり返したくなる」のが人間の性。ゲームはそういった「人が課金したくなる心理」をうまく利用して設計されているようで、これはこれでとても勉強になった。運営している寄付サービスでいうなら「人が寄付したくなる心理を考えることが大切なのだと学んだ」等と言って、ゲームをやる言い訳をしながら、今も絶賛ハマり中だ。

大好きな駄菓子

NewsPicksに「なぜ、うまい棒は40年間も売れ続けているのか」という記事が上がっていた。

小学生の時、放課後は毎日のように友達を誘って外で遊んでいたのだけど、だいたい遊び終わった後は近所の駄菓子屋に行ってお菓子を食べていた。週末も毎日遊んでいたので、駄菓子屋には相当課金したと思う。中でも「うまい棒」には幾ら課金したかわからない。そんなことを思い返していたら、うまい棒について色々考えさせられたので、noteにしてみようと考えた。

導かれるように仕事をするということ

うまい棒は現在18種類(2014年当時)。毎年1~2種類の商品が加わるが、反応が良くなければ、リスクを抑えるため1年以内に製造終了となるものもある。
しかし、最初はこんなにたくさんの種類を販売するつもりはなかったという。
うまい棒が発売された当初は売り上げの波が激しく、一時的に人気が出た商品が下火になると、機械を使わない時間が増えてしまった。
その無駄をなくすために、別の味の商品を作ることにした。機械をフル稼働させて、たくさん作ることで、単価の安さを保ちながら、注文と供給のバランスを探っていったそうだ。

うまい棒に沢山の味があるのは「消費者に飽きずに楽しんでもらうための施策」なのだと思っていたけれど、その背景にはこういった事情があったのだと、とても驚いた。

10円という安さをキープするためには、大量生産しないといけない。その一方で稼働が停止している機械もある。当然の帰結として、新しい味を開発し、機械をフル稼働させる必要性が生じる。これは発想というよりは論理だ。それでも、結果として今もうまい棒は値上げすることなく、多くのファンに愛され続けている(うまい棒は40年間10円のまま、売り上げは1日200万本というから驚きだ)。

開発元のやおきん社は、まるで導かれるかように、仕事を行っているように感じた。

消費者が「確かに」と思えるようなコンセプト

「大切なのは、1本だけ食べてもらうのではなく、1本食べ終わったあとに理屈抜きにもう1本食べてもらえる味かどうか」だという。
10円のうまい棒は、子どもたちが「親から渡されたものではなく、自分で選び、買えるものを」「100円のスナックを買うぐらいなら、うまい棒を10本買ったほうが楽しいと思ってもらえるように」と考えられて誕生した。

コンセプトは誰にでもわかりやすく、腹落ちするものであれば尚いい。お菓子は子どもだけのものではなく、大人のものでも、高齢者のものでもある。そう考えると「多様な消費者が 腹落ちするコンセプトをつくること」はとても大切なことだと思う。

上述のうまい棒のコンセプトはとても納得感のあるものだ。「確かにそうだな」と腹落ちする。そうしたわかりやすいコンセプトが万人に受け入れられた結果、うまい棒は子どもたちだけではなく大人、高齢者に愛され続けている。その証拠に、今では大人のバーのおつまみとして使われたり、高齢者福祉施設でも認知症予防のツールとしても愛用されているようだ。(ちなみにこないだ新宿のアルタ前でティッシュを配っていた強面のお兄さんが、「ティッシュを受け取ってもらうための付加価値付け」としてうまい棒を一緒に配っていたのをみて「うまい」と思った。こういった事例からもうまい棒が多様な人に愛用されていることがわかる)

多様なサービス利用者、消費者が「確かに」と思えるコンセプトを描くこと、首尾一貫したサービスを提供し続けることが、長期に渡って愛され続けるサービスができる秘訣なのかもしれない。

忘れかけていたジャイアニズム

1960年代にアメリカの精神科医が提唱した「回想法」という療法によると、子どもの頃を思い出し、楽しい時間を過ごすことが、認知症や閉じこもりなどの予防や治療に役立つそうだ。
つまり、幼少期の記憶を引き出すために、駄菓子を使うというわけだ。
ある特別養護老人ホームの中には、昭和の街並みが再現され、そこで駄菓子を手にとってもらうということができる。1日だけの出張駄菓子屋さんを呼ぶような高齢者福祉施設は少なくないそうだ。
東日本大震災のときは、駄菓子で元気になってもらおうと、被災地で駄菓子を配る企業や団体があらわれた。やおきんも、その一つだ。
駄菓子には、心を明るくなごませる力がある。そのために、これからもさまざまな利用法が考えられるだろう。

この文章を読み僕は「駄菓子はなんて素晴らしいものなのだろう」とほっこりしたと同時に、子供の頃を思い出し、ノスタルジーを感じた。ああいった場で友達と過ごした、唯一無二の時間というものは本当にかけがえのないものだったように思う。楽しさレベルでいうと、あの頃がダントツで楽しかったのではないだろうか、とさえ思ってしまう(感性的にも)。

色々と昔のことを考えていた矢先、つい先日、小学校からの友人に言われた一言を思い出した。

「ダッチはよく駄菓子屋でお菓子を食べてたよね。周りにいる友達にお菓子を食べ終わるのを待たせながら。その姿はまるでジャイアンそのものだったよ。周りに皆んなを立たせてさ。」

僕はこれまで友達に高圧的な態度をとった覚えは一度もない。だけれど、この友達からの「第三者的目線を通じた一言」を言われたのを思い出した時、ノスタルジーは一瞬でかき消されたと共に、忘れかけていたジャイアニズムが内側からふつふつと湧き上がってくるのを感じた。

これは、仕事に活かせるかな。。

いや、これに関してはもう言い訳もできなそうだ。

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ダッチ

SIer企業に勤務しながら、寄付を集めるためのWEBサービスをステルスで運営しています。「倦まず弛まず屈せず」をテーマに毎日必死です。

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