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SNSから「いいね!」がなくなったらどうなるのだろうか

こんな記事を発見した。

インスタグラムの主要な指標である「いいね!」数が、非公開になる可能性があるらしい。

「いいね!」が公表されない世界

「今週(カナダ時間5月第1週)後半から、フィード、パーマリンクのページ、プロフィールで、写真やビデオに「いいね!」の数を表示しないようにするテストをカナダで始めます」と、Instagramの広報担当者はTechCrunchに明かした。
「このテストの目的は、『いいね!』の数ではなく、ユーザーが共有している写真やビデオそのものに、フォロワーが注目するようになってくれることです」。

SNSについては前にnoteに書いたのだけど、僕はSNSでいいねを増やそうとする行為は「目的と手段」を入れ替えてしまうようなものだと考えている。

だからこの記事の内容についても、個人的には納得感しかなかった。

何が見たいか

僕はSNSで投稿者が「心から良いと思ったもの」を見せてほしいと思う。外向けの飾った写真、いわゆる「インスタ映え(もうこの言葉も使わないか?)」する写真を見せられても、その人の中身が一切感じられなかったりする。(そんな写真を見る位だったら、プロのカメラマンの個展に行ったほうが、よっぽど学びがあっていいと思ってしまう。)

僕はその人の普段の生活の中で「その人の目に映った飾らない風景」を見たいと思うのだけど、それは僕だけなのだろうか。

ちなみに、これは文章にも言えると思う。自分をよく見せようとして、思ってもないことを書いていないか。誇張したり、格好つけた文章になっていないか(これは自分に言っている。素直な文章を心がけたい。。)

マウントの取り合いから早々に離脱する

これまでのSNSはどこか「数字によるマウントの取り合い」が行われていたように思う。自分の価値観は二の次。最初に数字ありきで話が進んでいくような感覚。

僕がSNSを見て疲れたのは、そうした「数字によるマウントの取り合い」があったからなのではないか、と思うようになった。


少し話が変わるけれど、instagramの投稿を見ていると「明らかにお小遣い稼ぎでやっている」人が多く見受けられた。それが成立したのも「数字がものをいう世界」だったからで、今後はそういった人も「別のお小遣い稼ぎの方法」を探すことになるのかもしれない。

「中身=コンテンツ」が求められる時代

これまでは自分の中身が求められることはあまりなかった。でも、これからはその人の「中身=コンテンツ」が求められるようになるのではないだろうか。これまでのような「数字やロジック(無個性)」で何とかなるような時代でもなくなってきたように思う。

フォローする側もフォローされる側も結局「中身=コンテンツがないとSNSを使いこなせなくなる」時代になるような気がする。

じゃあどうすればいいかという話なのだけど、答えはそのままで「中身を持つ」以外にないのかなーと。これは言い換えるなら「自分の意見を持つ」ということだと思う。

(このことについても前にnoteに書いたけれど)これまでは「自分の意見を持たず、多数派につくことだけに終始するやり方」を取れば何とかなってきた。でも上述の通り、これからはそんな中身のない生き方ではどうにかなるとは到底思えない。

社会が変わるには、まだまだ時間がかかると思っていたけれど、意外にも急に「ガラッと」変わるような気がしてきた。

時代を読むことを怠らず、時代に合わせてしなやかに変化できるように、日々精進したいと改めて思った。

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