自分の言葉を話すということ
NewsPicksを読んでいたら、5月末に開かれたマイクロソフトのカンファレンスで行われた複合現実(Mixed Reality:MR)のデモンストレーションに関する記事があった。
複合現実(Mixed Reality:MR)
動画を見てもらうことはハードルが高いことだと思いつつ、これはかなり感動すると思うので、是非みてもらいたいと思う。(お忙しいと思いますが、よろしければ)
声を録り、ニューラルText-to-Speech(NeuralTTS)と呼ばれるテクノロジーを、私の声紋をデジタル化するために用いました。これによって、基本的には私が文字をタイプするだけで、あなたが私の声で話すことだってできるわけです。
(デモンストレーションを行ったアレックス・キップマン氏はもちろん日本語を話すことはできない)
処理の概要
この技術は以下の処理を実施し、ホログラムに日本語を話させている、ということだった。
いろいろ応用効きそう
この技術はいろいろなことに応用が効きそうだと思った。
アニメの声優だったりミュージシャン等の声紋を取っておけば(且つ品質がもう少し上がれば)、仮に亡くなってしまったとしても、彼らの作品を作り続けることができるようになるのではないだろうか。(ルパン三世もいい加減、クリカンさんの肩の荷を下ろせるかもしれない)
もしかしたら、そのうち「亡くなった方の遺族による声紋貸出サービス」なんかが出てくるかもしれない。サービス利用者は曲をつくって歌詞を書き、借りた声紋を利用して曲をリリースする、といった未来もありえるかも。
普段の仕事でいうなら、もうプレゼンテーションで現地に行く必要がほとんどなくなるかもしれない。というか、ホログラムもアナウンサーのような容姿端麗で、話し方もうまい人にやってもらった方が良い、ということになるのではないだろうか。
プレゼンテーションに限らず、この技術が生活に浸透することで、淘汰されてしまう人材は結構多いように思う。
(カラオケのように下手の横好きで、プレゼンをし続ける人も出てくるかもしれない。でも、それでご飯を食べることは難しいだろう。)
どの口が何を言うかが大事
ただし注意が必要だとも思う。前提として置き換え可能なものは「誰が言っても同じ言葉」に限ると思う。
僕は言葉というものは「どの口が何を言うか」が大事だと思っている。「誰でも言えること」をうまく話せても、それはいつか代替されてしまうのではないだろうか。
そうではなくて、「その人が言うから説得力・納得感があるというような言葉」を吐かないといけないのだと思う。
そう考えるとこのnoteだってそうだ。「自分だから書くことができる言葉」というものがきっとあるはずだ。誰でも書くことができる、当たり障りのない内容でいいなら、もっと文章が上手い人は山のようにいるわけで。彼らにお任せしたほうが合理的だ。
生い立ちと感性
じゃあ「自分の言葉とは何ぞや」という話になるのだけど、僕は自分の言葉というものは「生い立ちと感性」が生み出すものだと考えている。
「自分が見てきたこと(生い立ち)」と「それを見てどのように感じたのか(感性)」が大切なのではないだろうか。
そんな生い立ちと感性を伴った言葉は、力がこもり、多くの人の心を動かすのだと思う。これは今まで割と軽視されてきたことのように思うけれど、これからはとても大切な要因になると考えている。
自分の言葉を話すということ
「うまく話すこと」は、技術の発展により代替されていく。
これから大切になっていくのは「自分の言葉を持っているか」になると思う。
「自分にしか言えないこと」は何か、「自分にしか書けないもの」は何か。
これは答えのない難しい問いだけれど、一人自分と向き合い、考え続ける他ないのだと思う。
もし自分の言葉を見つけることができたなら、きっとそれらが「自分が進むべき道」を指し示してくれるような気がしている。
正解のない、不確実性の高い社会を生きる上で、自分の言葉を持つことが大切な指針になっていくのではないだろうか。
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と、こんなnoteを書いていたら、ふとマッキンタイアの言葉を思い出したので、最後にその言葉を紹介して今日のnoteを締めくくりたいと思う。
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「私はどうすればよいか?」という問いに答えられるのは、それに先立つ「私はどの物語のなかに自分の役を見つけられるか?」という問いに答えられる場合だけだ
(マッキンタイア「美徳なき時代」)
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