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寄付をするのに寄付者への評価は必要なのか

僕がいつも考えているのが「日本に寄付を根付かせるにはどうすればいいか」というテーマだ。

寄付を集めるためのサービスを考える上で、最初に考えるべきことが、「評価を前提とした寄付(寄付した人間が何かしらの目に見える形で得をする)」サービスを設計すべきなのか、「評価を前提としない寄付(寄付した人間に目に見える形で何の見返りもない)」サービスを設計すべきなのか、 ということだと思っている。

評価を前提とした寄付 

評価を前提とした寄付は、中国のアリババグループが運用している「芝麻信用」の例がわかりやすいと思う。
芝麻信用とは何か。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E9%BA%BB%E4%BF%A1%E7%94%A8    

芝麻信用(ジーマしんよう、セサミ・クレジット)は中国アリババグループの関連企業アント・フィナンシャルサービスグループが開発した個人信用評価システム。
スコアを集計するためにアリババのサービスからのデータを利用する。顧客はソーシャルメディアでの言動やアリババグループのウェブサイトでの購入または関連企業のアント・フィナンシャルのアリペイのモバイルウォレットを使った支払いに基づく様々な要素に基づきスコアを受け取る。高スコアを得ることへの報酬として、アント・フィナンシャルからローンを受けやすくなったりアリババグループ内の電子商取引サイトにおいてより信頼できるプロフィールをもつことができたりする。

そんな芝麻信用だが、スコア分析に使うデータの一つに「社会のために寄付をしているか」が含まれている。
これは言い換えると中国ではスコアを上げる手段としての「寄付」が確立されている、ということだと思う。
これはわかりやすい「評価を前提とした寄付」と言ってもいいだろう。

評価を前提としない寄付

これは「隠匿の美」、つまり「すべてを見せないことが美しい」という考え方に基づいた寄付だ。
タイガーマスク運動なんてわかりやすいと思う。(そのやり方はさておき)

タイガーマスク運動とは何か。

タイガーマスク運動(タイガーマスクうんどう)とは、2010年12月25日の一児童相談所における事例以降、日本各地で確認されている連鎖的な寄付行為の通称である。タイガーマスク現象ともいう。一連の寄付行為は、その多くがプロレス漫画『タイガーマスク』の主人公「伊達直人」など架空の名義による匿名のもので、寄付先はおもに児童福祉関連施設となっている。

のちにこのタイガーマスク本人は名乗りを上げ、正体が明かされることになる。

人は多様で正解はないからこそ、手段として多様な寄付サービスが必要 

寄付に対する考え方は人それぞれだし、何が正解という話ではないと思う。 人は多様で正解はないからこそ、手段として多様な寄付サービスがあるべきだとも思う。 

だからこそ、自分たちのビジョンに基づいた「オリジナルなサービス」を展開していく必要があるのではないだろうか。
寄付者一人ひとりが、自らの寄付のスタイルに相応しいと思えるサービスを選び、使えるように。

損得抜きの行動が減ってはいないか 

いろいろ書いてきたけれど、僕は世の中から「損得抜きの非合理な行動をとる経験」が減っていっているような気がしている。
費用対効果の高さにばかり目が行き、自分や自分の家族以外の人やコミュニティに対して、想像する時間が減っていっているような。

またRPA、AIによる合理化の加速。利便性はどんどん高まり、何事も効率化されていく。
ゴールを設定したら、そこまでの最短距離を走るような。 

でも。

あくまでこれは自分の経験則でしかないのだけど、これまでの人生を振り返ってみると、一見合理的でない(大げさだけど)大義のために損得抜きの行動をした結果、やりがいだったり充足感のある経験がうまれたようにも思う。

誰の評価も気にしない寄付サービス 

「評価を前提とした寄付」もいいかもしれない。

それでも、目の前に困っている人がいたら、損得勘定を数えずに支援するような生き方は「粋」で最高だと思う。

僕はそんな生き方をしたい。

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