#警察挑発動画

tiktokで警察をおちょくる動画が問題になっているというニュースを見て、感じたことをつらつらと。

新しいプラットフォームがうまれる度に、新たな事件が起こる

こういった問題は今にはじまったことではない。ふわっち等の動画配信サービスを利用した配信者と呼ばれる人たちによる喧嘩や警察沙汰。ツイッター等のSNSを利用したバイトテロ等、その事例には枚挙にいとまがない。

いつだって新しいプラットフォームがうまれる度に、新たな事件が起こっている。

才能の欠乏×自己顕示欲

で、なんでこんな問題が起きてしまうのか考えてみたのだけど、要は「才能はないけれど、自己顕示欲は人一倍ある人がいる」から、こういった問題が起こり続けるのだと思う。

これは本当に悲しいことだ。今はインターネットの発達により、同世代の才能ある人達を簡単に調べられるようになった。彼らはそんな同世代のスター達を見て、「自分にも才能はあるはずだ」「自分だってやれば有名になれるんだ」と何の根拠もなしに考えた結果、短絡的な行動に出てしまうのだろう。

ただ少しキツイことを言うと、彼らに共通するのは「才能が欠乏している」ということだ。プラットフォームサービスはその残酷な現実を浮き彫りにしてしまう側面もあるから、本当に恐ろしいと思う。

そもそも「人と同じことをやる時点で自分がない」。自分がないということは、創造性がないということと同義だと思う。良いことだろうが、悪いことだろうが結局、「金太郎飴的である」時点で、何をやっても寒い。
どうせやるなら、誰もやってないことをやれと思う(もちろん、モラルとマナーは守った上でだけど)

悲しみの果て

有名になりたい、才能があると思われたい。
そんな純粋な思いを起点に、他の誰かのはじめた流行りに乗った結果、社会からブーイングをうけてしまう。(イメージしていた歓声はそこにはない。)
顔や身辺情報、その他諸々はインターネットの海に沈み、一生それが消えることはない。

なんて悲しいことなのだろうか。

彼らにはきっと悪気なんてなかったはずだ。みんながやっているし、流行っているからやった、という程度の軽い気持ちで行っただけなのだと思う。

僕は正直、他人事とは思えなかった。
というのも、自分が学生の時にこういったプラットフォームサービスがあったら、「何をしでかしていたかわからない」と心から思うからだ。
(地元の友人たちと撮りあった馬鹿写真の数なら、大抵の人には負けないだろうと思う。何の自慢にもならないのはよくわかっている)

だから今回問題を起こした若い人たちには、この失敗から学び、成長に繋げてほしいと切に願う。
こういった経験を原体験に変えて、迷惑行為の再発防止のためのイノベーションを起こしてくれたら最高なのだけど。まだまだ若いのだし、何度でも立ち直ることはできる。前を向いて、次は本当のスターを目指してほしいと考えた。

なお、上記は若い人へ向けたメッセージで、若くない人には言っていない。社会人にもなって、こういった迷惑行動をしている人はもうアウトだと思うので、お疲れさまでしたと言いたい。

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