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『ダブドリ Vol.7』インタビュー03 狩野祐介&井手口孝

2019年9月28日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.7』(ダブドリ:旧旺史社)より、狩野祐介選手と井手口孝さん(福岡第一高校 監督)の対談の冒頭部分を無料公開いたします。進行役は、いかめしとバスケでお馴染みの今井麻椰さん。なお、所属等は刊行当時のものです。

うちの歴史の中で、他の人がレイアップ打つように、速攻からスリー打ってもいい選手が3人いたんです(井手口)

今井 実は私、狩野選手と同い年で。中学、高校と、弱いなりにもバスケ部だったんで、高校時代からずっと見てたんですよ。
狩野 えー。
井手口 何高校?
今井 東洋英和女学院(東京都港区)っていう女バスしかないところです。
井手口 ほー。
今井 私のコーチ、長尾先生が今でも審判やってるんです。そのつながりでウインターカップのテーブルオフィシャルでタイマーをずっとやっていて。だから2008年決勝の福岡第一高校と洛南高校戦は、今でも忘れられないです。どうですか、あの時を思い出してみて。最後2点差(71-73)ですよね、負けちゃったのって。
狩野 そうですね。でもウインターカップよりインターハイのほうが印象は強い。
井手口 まずね。インターハイが最後、スリーショット落としたでしょう。で、国体予選の最後もシュートを落とした。ほんでウインターカップでも、最後のシュートを落としたんだよね。もうね、グダグダな試合になったの。後半にゾーンされたから、さっさと打てばいいのに試合中にいなくなった。
今井 でもそれほど、シュートを任せられる存在だったんですね。
井手口 そう。普通の人がレイアップを落として怒られるのと同じように、速攻からスリー打ってもいいけど落ちたら他の人のレイアップと一緒というのが、うちの歴史の中で3人ぐらいいるんですよ。
大柴 おー、すごい。3人のうちの1人。
今井 ちなみにほかの2人は?
井手口 もうバスケやってないけど、2004年に初めて優勝した時の田中利明。調子いい時はスリーポイントが15本ぐらい決まるんだけど、それしかできない子なんですよ、170cmないぐらいで。レイアップに行ったって落とすから。
あとは黒田電気でやってた滝本恵次。170cmぐらいなんですけど、絶大なる信用を置いてたシューター。これはまだ祐介にも話してないけど、インターハイの最後、スリーショットの時にね、僕は「落ちる」と思っちゃったの。それがなんでか分からないんです。
あそこでね、「もう間違いない。3点差だから3本入って延長戦だ」というふうにできなかったのはなぜかなって。僕の負けてきた歴史の中でもすごい後悔というか、ちょっと引っ掛かりあってねー。
今井 あの時の洛南には、比江島慎選手(宇都宮ブレックス)や谷口大智選手(広島ドラゴンフライズ)がいましたけど、どうでした?
狩野 行けると思ってたんです。インターハイは準決勝で洛南に勝ってたので。ウインターカップも、出だしは多分20-8とかで勝ってたんですよ。
井手口 後半、ゾーンされたんだよね。
今井 いきなり追い上げましたよね、洛南が。
井手口 なんかねー、ちょっと勝ったと思っちゃったなー、前半終わった時に。だって負けてないわけ、インターハイからずっとね。でも比江島のうそみたいなシュートが入っちゃったわけ。
狩野 最後、入りましたね。ガッツポーズしてましたもん。
今井 それ目の前で見てたので、すごく覚えてます。並里成選手(琉球ゴールデンキングス)は1つ上ですよね。なんか怖そう……。
狩野 めちゃめちゃ怖いです。でもプロになって、滋賀レイクスターズで9年ぶりぐらいに再会して、めちゃめちゃ優しくなってました。
井手口 まぁ父親になったから。
今井 監督から見てどうでした? 今、プロでやってますけど。
井手口 成は1つ上で1年生からスタート。で、祐介はもう中1からここにいたようなもんだから、高校に来た時は4年生ぐらいなんですよ。だからもう、すぐスタートっていうのは間違いなくて。
大柴 練習に参加されてたんですか。
狩野 中学校がすぐ目の前なんですよ。
井手口 で、週に何日かはうちに泊まってましたね。うちの息子と同じ中学だったんで。祐介の中学の先生は僕の親友で、その親友のとこに何人か集まったわけですよ。で、家が2時間ぐらいかかるとこだから、雨が降るとか明日朝が早いとかって時は大体うちに泊まって。
今井 じゃあ中学くらいから、第一に行くって決めてたんですか。
狩野 いや、僕は決めてなかったですよ。
今井 えっ 本人は行く気なかったのに、監督は来るだろうと思ってた。
井手口 いや、他はないだろうと思って。これで祐介が来てなかったら、僕はもうショックだったろうなー。
今井 福岡はほかにも強豪ありますけど。
井手口 大濠(福岡大学附属大濠高等学校)って感じじゃないでしょう、この人。雰囲気がちょっと大濠ではないんですよ。あとはもう、県外行くしかないんですよ。
今井 第一に行って良かったなって思います、今?
狩野 それはもちろん、思います。
井手口 ハハハハハ。
今井 今振り返ってみて、3年間の高校生活はどうでしたか。
狩野 きつかったけど、根性もついた。僕は成さんと教官室で怒られたのをいまだに覚えてるんですよ。
今井 なんで怒られたんですか。
狩野 授業で赤点をたくさん取ってしまって。2年生の時のインターハイ前ですかね、「2人とも来い」って言われて。たいてい個人で呼ばれる時は怒られる時なんで、「なんでかなぁ」と思ったら、成さんも赤点、全部取っちゃって。
大柴 ハッハッハッハッハ。全部?
狩野 成さんが9教科中9教科で赤点を取って。僕が7教科、赤点でした。で、「お前ら、インターハイ連れて行かん」って言われて。
大柴 すごい、『SLAM DUNK』の世界じゃないですか、本当に。
今井 どうしたんですか。
狩野 謝って、バスケット頑張りました。
井手口 勉強の話は出さないほうがいいかなと思ってて。よく大学、卒業できたなって。まぁ高校は僕の力でしょう。
狩野 フフフフフ。
井手口 祐介って、勉強できそうな顔してるじゃないですか。コートの上でもあれだけしゃべれるし。まぁ高校までは僕のほうで何とかと思ったけど、大学行くって言いだして。
川村卓也(シーホース三河)が高卒で当時オーエスジーに入って、中村和雄さんが全試合先発で使ったわけですよ。1年間、高卒デビューのプロ選手っていう1つの話題作りもあって。で、次は狩野だったんですよ。オーエスジーに行くと。そしたら、「U-18」から帰って来て「先生、大学行きたい」って言うわけよー。
大柴 狩野さんが心変わりしたんですね。
井手口 そう。大学行きたいと言うわけ。
今井 でも、東海大学ですもんね。しかも4年生の時はキャプテンで、インカレ優勝。結果、残してるじゃないですか。
狩野 ヘヘヘ。
井手口 でね、陸川章先生が遥天翼(現東京サンレーヴス)を東海大学に入れてくれて。陸さんは祐介のことを欲しがってたんですよ。それで中村先生の所に行って、「大学出てからでもよくないですか」って実は言っていて。
今井 へー。さすが陸さん。
井手口 でも陸さんにね、「僕は早くプロに行かせたい」と。だけど日本代表とか行ったら皆、どこの大学へ行くかっていう話になって、やっぱ行かないということは本人としてもちょっと寂しい感じになったのかなぁって。で、「行きます」って言って、陸さんも一番いい条件で入れてくれた。
今井 それで今がって感じですよね。

小中高と、比江島に負けて引退してきましたけど、インカレの決勝で初めて勝ちました(狩野)

井手口 途中ねー、腐った時期もあった。
狩野 腐ってはいないですけど、2年生までほぼ試合に出てないので。1年生の時は全試合、ビデオ撮りを上でやって、2年生になったら出れたんですけど、すぐ(プレータイムを)奪われて。3年生からですね、試合に出たのは。
井手口 でも、4年になっても、リーグ戦でちょっと使われなくなって。
狩野 そうですね。ベンドラメ礼生(現サンロッカーズ渋谷)が。
井手口 その時に初めて電話かなんかしたかなー。「もう最後まで辞めないで頑張んなさい。ここまで来たんだから」みたいな。で、インカレをそれこそうちの嫁さんと一緒に見に行って、インカレの決勝で比江島に初めて勝ちました。
今井 そっかぁ。小学生の頃から一緒に戦ってたっていいますよね。
狩野 小中高と比江島に負けて引退してきた。ある意味、ライバルですね。
大柴 前号でザック・バランスキー選手(アルバルク東京)のインタビューを録ったんですけど、試合前に「狩野を男にしろ」って陸さんが言って、それで一致団結して最後勝ったって。それで狩野選手が泣いて、ザック選手ももちろん泣きそうになったって聞きました。
今井 あの時のメンバー、すごかったですね、田中大貴選手(A東京)もいたし。
狩野 ベンドラメ、ザック、晴山ケビン(千葉ジェッツ)。青学もすごかったっすけどね。
井手口 青学もねー、鵤誠司(宇都宮ブレックス)や田中光(横河電機)とかいてねー。
今井 辻直人さん(川崎ブレイブサンダース)も。でも本当、勝って良かったですね。第一から東海行って、今があって。
狩野 良かったです、本当に。
井手口 ねー。インターハイ優勝してたらそうでなかったかもしれないしね。
今井 やっぱりうまくなるというか、上に行く選手ってすぐ分かるものなんですか。いっぱい生徒がいる中で。
井手口 全てを正しく見極めてるかどうかは分からないけども、賭けるわけですよ。例えば「この5人に賭けるんだ」っていうふうにやれば何とかなりますよ。そんなに簡単な練習はしてないから。でも、そこの見極めっていうのはすごく難しいと思う。バスケットのスキルだけではないところがいっぱいあって。メンタルっちゅうかねー。これは東海でもそうだけど、たくさんの試合に出ることができていない子たちの思いを背負って戦える5人ってことですよね。
今井 今はダブルキャプテンとかやってますけど、当時はなかったんですか、そういうのは。
狩野 当時、僕はゲームキャプテンで。もう一人、ひろかず(石川裕一)がキャプテンでしたよね。
井手口 そう。半分マネージャー的な。バスケット以外のことをあんまりさせたくないじゃないですか。例えば「チームにこんな問題がある」「こんなことをちゃんとやりなさい」とかっていうのは。並里とか狩野はそういうタイプじゃないわけですよ。それよりもお前たちは試合を勝たすことだ、というか、いわゆるゲームのキャプテンですよね。並里の時も大谷拓也がキャプテンだったもんね。
狩野 はい。
井手口 必ずいるんです。バスケットで力があって、人間的にも真面目で人望があって、怒られたって大丈夫な人。そういう人がダブルキャプテンに近い感じですね。チームキャプテンとゲームキャプテンみたいな。

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この後も、高校バスケの環境や井手口監督が「祐介を男にしろ」と言ったワケ、そして御両人の今後の目標をお話しいただきました。続きは本書をご覧ください。

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