見出し画像

『ダブドリ Vol.18』インタビュー04 ケーレブ・ターズースキー(群馬クレインサンダーズ)

2023年10月27日刊行の『ダブドリ Vol.18』(株式会社ダブドリ)より、ケーレブ・ターズースキー選手のインタビュー冒頭を無料公開します。

世界で2番目にレベルの高いユーロリーグのスタメンクラスが日本でプレーしているという事実は、B.LEAGUEのレベルが上がっていることを物語る。オリンピア・ミラノから移籍してきたケーレブ・ターズースキーにとって、日本に来ることも常にステップアップしてきた彼の人生におけるチャレンジの1つだった。(取材日:9月6日)

[ Interview by 大西玲央/Photo by 菅野高文 ]

玲央 良い練習できましたか?
KT ああ、とても良かったよ。あと数日で初めてのプレシーズン戦だからとても楽しみなんだ。毎日同じ相手にやってるとちょっと飽きてきちゃうからね、ようやく自分たちじゃなくて違うチームを相手に出来るのが楽しみだよ。
玲央 練習ではいつもベン(ベンティル)と対戦してる?
KT そうだね。ただ、少しラインナップをいじったりをし始めている。ベンはシュートもできる多様性あるビッグ。おそらくコーチは彼を4番や5番で使うだろうから、僕と一緒にプレーすることもあるんじゃないかと思っている。
玲央 彼とはイタリアで一緒にプレーしていたんですよね?
KT そう、半シーズンくらいかな。僕のプレータイムが少し落ち始めている時期でもあったけど、彼が来てからは毎日一緒に練習し、一緒に試合に出たことも数試合あった。そのおかげで彼のことはよく知っているよ。実は彼がプロビデンス大学にいた頃に対戦したことがあるんだ。僕が怪我してたから実際にマッチアップしたわけじゃないけど、僕にとってはプレシーズンでカンファレンス外チーム相手に初の黒星となったんだよ。
玲央 あらら、じゃああまり良い思い出じゃないですね。
KT そうだね(笑)。でもベンは素晴らしい選手だよ。彼がこうしてチームメイトになったのはとても嬉しい。
玲央 彼の獲得には関わった?
KT コーチに彼について聞かれたよ。もちろん良いことしか伝えることもなくてね、彼が獲れたことは本当に嬉しい。おそらくこのリーグでもとても活躍できるんじゃないかと思ってる。
玲央 ベンはトレイ(ジョーンズ)とも過去にチームメイトでした。
KT そうそう、トレイから聞いたよ。ベンを獲得するかもしれないっていう話になった時に、トレイとその話をしてね。どちらも一緒にプレーしたことがあるってのは良いよね、これぞバスケットボールファミリーだ。
玲央 すごい偶然ですよね。
KT 世界は狭いよね。
玲央 ターズースキーという名前はあまりアメリカっぽくないですが、ルーツはわかります?
KT ポーランド系3世だね。
玲央 ポーランドかー!  そして身長は家系的なものですかね。
KT そうだね、母さんが180㎝で父さんは193㎝だから、ここまで伸びたのはラッキーだった。小さい頃から背が高かったよ。いつも2学年くらいは差があったかな。痩せてるけど背が高かった。だからと言って親からスポーツを押し付けられることはなかった。成績が良くて、僕が楽しそうにしていれば好きにさせてくれていた。「背が高いからバスケットボールやりなさい」みたいな押し付けはなかった。義兄弟がアメフトをやっていたから、僕もやるようになった時期があったんだけど、ちょっと背が高くなりすぎて、小さい相手が膝を目掛けて突っ込んでくるのが嫌になってね。そこでバスケットボール一本に絞ろうって思うようになったんだ。
玲央 他にも何かスポーツは?
KT 中学まではアメフトとバスケの他に陸上をやっていた。
玲央 陸上ではどの競技を?
KT 色々やってたね。円盤投げが好きだったな。
玲央 円盤投げてるのめっちゃ想像できます。
KT 砲丸投げも挑戦したんだけどね、やっぱりガリガリだったからあんまり上手くいかなかったな。あとは200メートル走、ハードル走、走り高跳びもやったかな。
玲央 色々と調べていて驚いたのは、丸太小屋で育ったということでした。
KT そう、実は母さんは今でもそこに住んでいるんだ。だいぶ今は色々と改築した状態だけどね。母さんが18歳の頃にニューヨーク州からニューハンプシャー州に引っ越して、その際に作った丸太小屋だ。建設業界でずっと仕事をしていて、冬に仕事がない時期になると、他の仲間とお互いの家なんかを建てるのを手伝ったりする習慣があって、そこで出来たのがその丸太小屋。僕も義理の家族としばらく住んだけど、今はまた母さんが住んでいるから、夏になると遊びに行ったりしてる。大きな庭があってね。
玲央 じゃあ小さい頃のケーレブ少年は森の中を走り回ってたんですね。
KT そうだね(笑)。楽しかったよ。とても恵まれていたと思う。僕が産まれてから母さんは建設業を引退して、自宅でできるデイケアセンターを始めたんだ。幼少期の僕と一緒にいられるようにね。だから夏になると10~15人くらいの子供がやって来て、裏庭には母さんが作ってくれた大きな遊具なんかもあって、みんなで一緒に遊んでいた。ニューハンプシャーは釣り、ダートバイク、四輪バイク、森の中を散歩などアウトドアでの活動がほとんどなんだよ。僕にとって義理の家族との日々は幼少期の成長の全てだった。今でもとても仲が良い。
玲央 今もオフにはそうやってアウトドア活動をしている感じですか?
KT そうだね、狩猟と釣りが趣味なんだ。フィアンセの家族がミシガン州北部に湖を持っていて、夏になるとそこでよく釣りをしている。外に出られるチャンスがあれば出来るだけそうするようにしている。

「ポール・ピアースみたいに198センチになるんだ」って言ってた。ちょっと超えちゃった。

玲央 バスケットボールはニューハンプシャー時代に始めたのかな?
KT そうだね。
玲央 ニューハンプシャーだとボストン・セルティックスのファン?
KT 大のセルティックスファンだった。小さい時の一番好きな色が緑で、大きな画用紙に色鉛筆で緑色に塗って「ケーレブは緑が大好き」なんて書いたバナーを作ったりしてたんだ。ある誕生日、父さんが「近くに緑色のバスケットボールチームがあるんだよ。誕生日に行くのはどうだ」って誘ってくれて、試合に行くことになった。当時の僕からしたらニューハンプシャーの田舎からボストンという大きな街に行って試合を見るのは大冒険でね、それ以来セルティックスが大好きになった。週末にいつもみんなで試合を見てたね。父さんも大のセルティックスファンで、特にウォルター・マッカーティを応援していた。
玲央 懐っ!
KT でしょ。僕はポール・ピアースが大好きで、いつも「大きくなったらポール・ピアースみたいに198㎝になるんだ」って言ってたのを覚えてるよ。ちょっと超えちゃったけどね(笑)。
玲央 今でもNBAは追ってる?
KT 少しね。普段からバスケを見るのが仕事なので、さらに見ようっていうのはなかなかタフな話なんだ。だからNBAに関しては主にプレーオフかな。
玲央 高校時代に話を戻すと、ジェイ・マーフィーという方に出会ったことをきっかけに聖マークス校に転校しました。
KT そう、しかも昨年彼の息子のアレックス・マーフィー(当時レバンガ北海道)とは日本で対戦してるんだ。兄のエリック(福島ファイヤーボンズ)も日本でプレーしてるよね。
玲央 本当に狭い世界です。高校でチームメイトだったんですよね。
KT 彼らの父親ミスター・ジェイ・マーフィーが開催しているビッグマンキャンプっていうのがあったんだ。僕がバスケに興味を持ち始めたら、父が上達するためにサマーキャンプにいくつか参加しようって提案してくれて、そのうちのひとつがミスター・マーフィーのビッグマンキャンプだった。そこで背の高い、おっちょこちょいな僕をミスター・マーフィーが見つけてくれた。「息子たちは今プレップスクールに通っていて、そこのコーチにぜひ紹介させてよ」って話しかけてくれてね。それで入学することになって、1年目はアレックスと一緒にプレーした。彼は1年早くデューク大に進学しちゃったけど、とても強いチームだった。僕の最終年にはNEPSAC(ニューイングランド予備校リーグ)クラスBで優勝して、そのおかげで色んな大学からリクルートされたよ。
玲央 エリックとは被ってない?
KT 僕が入学する1年前に彼はもうフロリダ大に進学していたね。でも兄弟揃って仲はとても良かったよ。アレックスとは同い年だったからAAU(アマチュア・アスレティック・ユニオン)でいつも同じチームでプレーしていて、エリックもいつもそれを観に来てくれていた。だからこそ、去年アレックスと対戦できたのは本当に嬉しかったよ。会うこと自体が数年ぶりだったからね。
玲央 AAUで当時目立ってた選手は誰がいました?
KT ミシガン大に行ってその後全体8位指名でNBA入りしてるニック・スタウスカス、あとマイケル・カーター=ウィリアムズやナーレンズ・ノエル。あの時期のニューイングランド地域は優れた選手が多くて、対戦することが出来て本当に良かったと思っている。
玲央 ジェイ・マーフィー・キャンプは本当にひとつの大きなターニングポイントだったのですね。そこからアリゾナ大進学へと繋がっていった。
KT そうだね。とても恵まれていた。ニューハンプシャーでプレーしていた時は無名で、キャンプに参加し、AAUに出るようになり、色んな選手と対戦しているうちに、気付いたら僕の名前が全米ランキング20位に入っていたんだ。しかも、実はクレジットカードの決済がちゃんと出来ていなくて、危うくあのキャンプには参加できなかったかもしれないんだ。最終的に行けたけど、それがなかったら人生だいぶ違っただろうね。ミスター・マーフィーにはずっと感謝の気持ちを持ち続けている。

★ ★ ★ ★ ★

つづきは本誌でご覧ください↓


この記事が参加している募集

Bリーグ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?