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CATCH YOU AT THE PEANUTS !

 ジャカルタからバスを乗り継いで、あちこちに逗留しながら一ヶ月かけてバリ島にあがった。船が着いたのが夜中すぎ。そこから大きなリュックを背負って街のほうに向かって歩いた。地図を見るとクタの街は遠く、雨も降っていた。同じ船で知り合った白人のカップルと、どこかのゲストハウスに泊めてもらおうということになり、三人で大きな門を、宿主が起きてくるまで叩き続けた。二十三歳のとき。もう三十五年以上まえのことだ。

 海岸通りのパンタイ・クタに面した、中庭のあるゲストハウスに部屋を借りて、それから三週間ほど、バリ島に滞在した。通りには行商のおばさんがたくさんいて、物々交換もできた。なかでもBVDの下着は喜ばれた。自動車はまだ多くなく、自転車やバイク、それと乗合トラックが往来していた。
 レギャンへと曲がる交差点の真ん中には、オレンジ色の大きな街灯が鎮座していて、夜になると赤々とあたりを照らしていた。それはあたかもクタという街のシンボルのようであった。
 いわゆる高級ホテルはビーチにひとつあるだけで、ほとんどがゲストハウスか中級クラスのホテルばかりだった。クタにはオーストラリアからの観光客が多く、レギャンはヨーロッパからのバックパッカーが多いと言われていた。それに合わせてか、クタとレギャンではお店の雰囲気がどことなくちがっていた。

 日が落ちると、ほんとうにたくさんのひとで賑わった。ほどなく友人もできて、朝ごはんを食べながら、きょうはどうしようか、夕飯はどこで食べようかなどと話しあったりした。
 のちにテロで爆破されたディスコにもよくいった。THE PEANUTS。オーナーはかなりのやり手だったのだろう。パブ・クロールといって、大型バス三台に観光客を二百人くらい詰め込んで、あちこちのBARをはしごするという頓狂な企画までやっていた。店のまえに突然バスが止まり、そこからおびただしいひとが降りてきて、道まであふれて大騒ぎする。30分するとまたバスに乗り込み、次の店へとむかう。このくりかえしだ。当時はほとんどお酒を飲めなかったにもかかわらず、友人たちと参加して、そのばかばかしい光景に笑いっぱなしだった。

 クタでキノコを食べさせる店は三軒あった。評判のいいところはオレンジの街灯を越えたすぐ向こうにあるビルの二階だか三階の食堂だった。ぼくはオムレツのミディアムをたのんだ。色味はあまりよくなく、口にいれるとすこしジャリジャリした。
 まだ明るい夕暮れどき、ぼくはそのまま階段を降りて、オレンジの交差点をわたってパンタイ・クタからビーチにでた。クタはサンセットビーチだ。いつものように日が落ちるのを待ちながら、海からの風を受けていた。
 なにも変わらないなと思った矢先に、風の質感に変化が起こった。急に強く吹いたように感じた。はたして変わったのは風ではなく、ぼくの外皮のほうだった。細かくしびれた感覚と同時に薄い皮膜に覆われたようになって、風を鋭敏に受けとめるようになっていた。さらに内側でなにかが変わるのを感じながら、そのまま夕陽を見ていた。なにが起こるのか、怖い反面、楽しみでもあった。

 やがて陽が沈み、オレンジ色が鮮やかなバイオレットになり、色がゆっくりと水平線の向こうに落ちていき、天空から闇が降りてくる。紫色の最後が海に沈まんとするそのとき、まるで大爆発が起きたかのような、オレンジの大きな閃光が放射線状にひろがった。一瞬のことだった。空がふたたび明るくオレンジ色に染まって、美しいグラデーションを描きながら、彼方へと去っていった。それは壮大な大自然のショーだった。

 ぼくは立ちあがって、来た道をもどる。きょうはだれとも約束をしていない。部屋に帰って、ゆっくりと身体を横にしよう。

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