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右の耳

 目が覚めた。時計をみると四時を過ぎたところだった。外はまだ暗い。これは別に珍しいことではない。早く寝てしまうので、この時間にいちど目が覚めてしまう。そんなときは枕元にあるギターに手をのばし、布団にくるまったまま、しばらくポロンポロンと爪弾く。するとまた眠気がやってきて、二度寝にはいる。
 いつものことであるはずなのに、今朝はすこしばかり様子がちがった。目をひらくまえから、なにやらとても小さな音が聞こえるのだ。それも仰向けになった右耳だけに聞こえる。ポンと響く軽い音で、自然音とも電子音ともいいがたい、その中間のような感じだ。それが一定の間隔で聞こえてくる。ポン‥‥ポン‥‥ポン‥‥。
 暗がりのなか、どうにも気になって、その音がする方向を探った。おそらく外からだろうと顎をおおきくあげ、上目づかいで窓を見る。不思議なのは、右の耳にだけしか響かないことだ。訝しくなってうつぶせに体勢をかえ、聞き耳をたてる。すると音は止んでしまう。しばらくそのままでいたが、音が鳴らないので、また仰向けにもどる。ややあって、また右のほうから音がやってくる。
 こんどは立ち上がって、ぐるりと部屋のなかを見回す。奥にでもしまった機械が、なにかの拍子で動き出したのかとも考えた。しかしどうやらそうでもないらしい。音はいつまでたってもその居場所をあきらかにしようとしない。
 まぎらわすようにギターを抱いて五分ほど弾いてみるが、あまり興も乗らず、すぐにスタンドにもどしてしまった。そのまま肩まで布団をかけ、二度寝の準備をした。するとまた、右耳の奥のほうでポンと鳴りだした。
 冷静に観察するに、このかすかな音の出どころは、どうやらぼくのあたまのなかにあるらしいことがわかった。いよいよきたかなと、悪いのかいいのか判然としない予兆のようなものを感じた。そしてそれは決して嫌な気持ちではなかった。
 奇妙なことは、その日中にも起こっていた。夕方まえに仕事が終わり、外にでると朝に降っていた雨は止んでいた。大きめの傘をたたんだまま左手に持ち、茅場町駅のほうへと歩いていく。ひとがあまりいなかったこともあり、刀のように傘はのびていた。交差点の近くまできたとき、その傘がぐいっと、うしろに引っ張られた。その瞬間、だれかが先端の柄を握ったのかと思って、あわてて振り返ったが、そこにはだれもいなかった。
左手には、傘を引っ張られたときの感触がはっきりと残っていた。
ポン‥‥ポン‥‥ポン‥‥。
 観念したぼくは、あたまの奥のほうで鳴る、その小さな音を静かに聴いていた。寝返りのついでに、枕に右耳を押しつけて塞いでみることにした。するとそれまで意識を集中しすぎたせいか、耳の周辺がドクドクと心臓のように大きく脈打ちだした。
 なかからなにかが飛び出してきてはかなわない。あわてて体勢をもどして、深く息を吸い込んだ。


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