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前川喜平さんの大切な話を聴きに

 昨夜は、元文部科学事務次官の前川喜平さんの話を聴きに、水道橋へいった。講演のテーマは「無償化制度からの朝鮮学校の排除」についてであった。
 主宰の「たんぽぽ舎」の階下にあるスペースで行なわれた小さな会で、壇もなく講演というよりは、おはなし会の様相だ。以前朝鮮学校で知り合いになったかたから誘いをいただき、幸運にも参加することができた。

 前川さんは予定時間の少しまえに、すっと部屋にはいってきて、席についた。パソコンを開くでもなく、にこやかにぽわっとしている。パワポは使わないようだ。ぼくはどうもあのパワポなるものが嘘くさくていやだと感じているので、なんだかよかった。
 簡単な紹介があって、マイクを手に立ち上がり、ときに目を閉じながら、やさしい口調で滔々を話し始めた。

 2009年、民主党政権になり、「高校無償化」という目玉政策にむけての舵取りの中心にいた前川さん。彼ら文科省審議官たちに任されたのが、朝鮮学校を筆頭とした外国人学校を含めた「高校無償化」へのレール敷きであった。
 民主党の政策では、はじめから例外のない「高校無償化」をあまねく施行していくとあった。それが延期、凍結、再開、そして排除という、今日に到る道筋をたどるわけだが、そのすべての過程で実際に仕事をしていた前川さんがなにを見たか、具体的な大臣の名前を挙げながら、順序立ててわかりやすく話してくれた。
 国際情勢や政治の力で揺れ動く教育行政の現場のさまが、まさにちょっとした活劇のように映って、ぐいぐいと引き込まれる。いままで感じていた疑問やわからなかったことが、するするとひも解かれていく。
 懸命に手帳にメモをとりながら身を乗り出していると、不意に会場をわかせるジョークがまじる。年間200回をゆうに越える講演をしているだけあって、話のよどみなさばかりでなく、その緩急のつけかたも卓越していた。  
 公立夜間中学校の活動も続けながら、呼ばれればどこへでも行って話をするのだという。その精力的な生真面目さには、ほんとうに頭がさがる。

 さらに話は、理念とする教育行政の姿を中心にすえ、日本の未来のありかたにおよんでいく。
 止まらないばかりか、激しい勢いですすむ少子化。これからはほかの国や地域からたくさんのひとたちに来てもらって、一緒に暮らす多文化共生社会に移っていかなければならない。
 現にいまもたくさんの外国のかたたちが、日本で働き、暮らしている。かれらは帰っていくひとたちではなく、日本という国で生きていくひとたちになっていくだろう。10年経ち、20年経ち、50年経って、日本で生まれ、日本語をネイティブに使う外国人がでてくる。そしてその比率がどんどん増えていくなかで、自分の国の歴史や言語、文化について学ぶ外国人学校は、おのずと求められ、増えていくにちがいない。
 その多文化、つまり祖国と日本というふたつの文化にまたがった教育をし、共生を実現しようとしているのが、いまの時点では朝鮮学校ということになりはしないか。それをやみくもに民族や国籍というだけで、教育行政から無条件に排除するとするなら、それは国をあげての「官製ヘイト」になりはしないか。
 この視点は、たんに無償化という枠にとどまらず、この国がどういうビジョンをもって次の百年を生きていくかに、密接に関わっている。

 質問票に書かれた問いにすべて答えたあと、前川さんは時計を見上げ、「あっ、もう帰らないと。では。」といって、席を立った。その背にたくさんの拍手がおくられる。部屋のそとにある小さなエレベーターにたどり着くまえに、何人かのひとに囲まれる前川さん。にこやかに立ち話をする横を通って、階段にむかった。
 どこまでも自然体。大きいひとは得てしてそういうものだと、ポカポカした身体で夜の街を見上げた。

 

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