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声を出す

 10月1日からビール類が値上げするというので、スーパーに買いに行ってきた。見渡せばすでにいろいろな商品の値段が上がっていて、これからもさらなる物価の上昇が見込まれている
 仕事でもらう報酬は数十年まえから上がるどころか下がる一方で、このままだと当然のことながら、生活はどんどん苦しくなる。いままでは報酬は上がらなくても、そのぶん物価が安かったからなんとか出納のバランスは取れていたけれど、一方が過度に上がると天秤は傾き、家計に大きな打撃となる。
 この物価高騰は、いわば輸入に依存している資材や原材料やエネルギーの価格上昇が主たる原因であって、決して賃金に還元されていくものではない。それゆえこのさきも収入は増えようがない。極東の島国はただひとり、閉ざされたなかで、デフレを糧に安い賃金でゼロ成長の時代を過ごしてきた。すべて国内で賄えればよかったのだが、資源や資材、農作物、そのほかたくさんのものを輸入していて、世界的なインフレーションの波をもはや避けることはできなくなってしまった。政府や日銀はなんとかしてインフレを抑え込もうとしているが、世界経済の潮流のなか、いずれ瓦解するであろう場当たりな政策ばかりが目立つ。
 給料が20万そこそこなのに、ファストフードのセットが千円以上になり、らーめんや定食が1500円を越えるようになったら、居酒屋での一回の飲み代が5000円以上になったら、家賃が上がったら、どうなるだろう。
 当然、少ない出面は、最低限必要な衣食住に使うしかなくなる。たのみのスーパーの商品も軒並み値上げとあっては、年金生活者などは食事の回数を減らすしかなくなってくる。破綻しかかっている年金制度で、物価上昇にともなった増額などまったく期待できないのだから。
 このまま先進諸国のような10%をさらに越える物価上昇に向かい、欧米並みの物価水準になったとしたら、老後生活資金に2000万必要と謳っていた、その金額を改訂しなければならなくなるだろう。3000万、4000万という貯蓄が、かぼそい年金を支える必要資金になるにちがいない。そんなに多くの資産を60歳までに形成できるひとはいったいどれほどいるというのか。

 状況は差し迫っているにもかかわらず、ひとびとはまだまだ真剣に向き合わず呑気でいるように感じる。その泰然とした根拠はどこにあるのだろう。見たくないものは見ないようにするという、ネットネイティブな心性がここでも発揮されているのかもしれない。
 しかし近い将来、確実にある階層のひとたちのうえに、抜き差しならぬ生活苦が襲ってくるだろう。この「悪い物価上昇」の事態に、いまなんとかやれている中間層は、貧困層へと漸進的に滑っていく。貧困層はさらなる倹約を余儀なくされる。
 中間層がくだっていくことで、格差は進んでいき、富めるものと富めないものの差がますます顕著になるだろう。
 実際にこの傾向はあちこちで見られている。たとえばマンション価格。新築マンションを都内で購入しようとしたら、場所によってはごく普通のグレードでも億に近い値段がついている。オリンピックが終わろうがなんのその、平均賃金ではとうてい手が届かない高値相場だ。それにともなって築浅の中古マンションもものすごく高い。
 経済はずっと停滞したままだ。むしろどんどんと悪くなっている。「悪い物価高」で、たのみの国内消費がこれまで以上にますます冷え込んでいくならば、成り立たない企業や業種、店舗は山のようにでてくる。放り出されたひとたちはどこに行くのだろうか。
 ひどい状況はすぐそこにある。いまの政府にその緊迫感は感じない。国葬なんてピントはずれなことしてないで、山積みされた喫緊の課題への明確な政策をしっかり示して、粛々と取り組んでほしいと思う。

 なんかみんな見栄張りなのかなと思う。このままだと生活ができませんって、大きな声で言えばいいのに。生活を保護してくださいって叫べばいいのに。そして自分を取り巻く窮状について身近なひとや知らないひとと、率直に腹を割って話し合えばいいのに。
 ちゃんと税金払っているんだから、声くらい発してもバチはあたらない。なんでも反対じゃなくて、ただこの先どうなるのか、どうするつもりなのかを為政者にたずねるだけでもいいと思う。賃金は上がらないのに物価だけが上がっていくこの状況にどう対処するのか、どんなビジョンがあるのかをちゃんと説明してほしいと要求するだけでもいいと思う。
 声を出すことは悪いことじゃない。デモに参加したり、SNSで発信したり、仲間を募って話しあったり。その声の出しかたや方法はさまざまにある。そんなの格好悪いなんてうそぶいているうちはまだ生活に余裕があるのかもしれない。そのうち格好なんかつけてられなくなる日がやってくる。
 知らないところで勝手に決められたことに、唯々諾々と従うだけの、それこそ羊のような生きかたは、これから産まれてくるこどもたちのことをどうとも思わないという態度に等しいことを、いまあらためて自覚しないといけないと思う。そんなことはないというなら、声を、自分の声をあちこちに向けて出していくがいいと思う。


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