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統一教会のこと

「統一教会」ときくと、ビクっとして身構えてしまう。おそらく1980年代に大学生だったひとには、その独特な感触をわかってもらえるかと思います。当時、いかにその勢力が実害として学生生活を脅かしていたことか。そのことを思い出しては、怖気立つのです。
 当時、大切な友人を「原理研」にとられました。あれほどまでに憧れていた早稲田大学での生活を、「原理研」のせいでたった一年で終えなければならなかった、その悔しさはいまになっても残っています。

 元総理大臣が模造銃で撃たれ、死亡しました。犯人の動機から、はからずも記憶の奥底に眠っていた「統一教会」が、またぞろひとの口の端にのぼるようになりました。
 事件当初、大手メディアはそれを「ある宗教団体」と濁していました。安倍元総理がらみならおのずとわかる「統一教会」をなぜあえて伏せるのか。その行為自体が、さらにこの団体の不気味さをあぶりだしていました。

 数年前のことです。たまたま知り合ったかたが、若かりし頃、統一教会の熱心な信者であったということを知りました。ぼくはなにかに駆り立てられるように、インタビューを申し込みました。「統一教会」「原理研」「勝共連合」、それらはいったいなんだったのだろうと、ただ知りたい一心で話をうかがいました。
 18歳から23歳までのそのかたの青春がどうであったか。実に生々しい話を聞きました。それをただひとり、自分だけのために文字起こしをし、ときどき読み返していました。それは40年も前に、とうに過ぎ去ったこと。そのフラグメントでしかないと思っていました。
 しかしそうではなかった。あのときのにがい味は、いまもまだ実時間として続いていたのです。だからこそ、あのような悲劇が起きてしまった。

 なんの編集もなく、書き起こしたままをいくつかの章に分けて、ここに掲載します。なにかを考えるときの参考になればとの気持ちです。


<元統一教会信者Tさんへのインタビュー>
 
1、統一教会との出会い
 
—:Tさんは1980年代、18歳から23歳まで、統一教会の熱心な信者として活動していたわけですが、そのあたりを、入信から時系列で順序立てて話していただけますか?
 
T:高校を卒業して、水道橋にある研数学館という予備校にはいるんですね。そのときに夕方とか時間があまって、土日にお茶の水の「ノーム」という喫茶店でアルバイトをしていました。
そこにぼくより11歳年上の男の人が、料理を作っていたんですね。で、そのひとは早稲田の教育学部を出ていて、ぼくも受験生だったりしたものだから、いろいろと話をしていたりしていました。そのころは両親よりもむしろそのひとの意見をよく聞いていたのです。依存していた。
で、そうこうしているうちに、そのひとが、中野駅で伝道を受けて、統一教会のビデオセンターに通いはじめたんです。
 
—:ビデオセンター?
 
T:ビデオセンターって、ようするに、教育機関です。当時よくビデオを使って伝道していたんです。大学だと「原理研」なんですけどね。
そこで勉強しはじめて、そのひとはもう、そこで完全に「できあがっちゃった」わけです。まあいずれかは、統一教会に献身していくっていうかね‥。
 
—:知り合いのかたが、ビデオセンターに通うようになって、「できあがる」までの期間って、どのくらいだったのでしょうか?
 
T:たぶん、半年くらい。
 
—:それはTさんからみたら、ガラッとひとがかわるようだったんですか?
 
T:いや、かわらないですね。
 
—:気がつかない?
 
T:気がつかないですね。ただ、だんだんとまわりのひとたちが、あのひとの言うことが宗教じみてきたなって感づきはじめていて、勧誘とかもしていたらしく、ぼく以外のひとたちは、どうもあのひとは神がかってきちゃったぞと警戒するんですね。
ぼくにはそんなに違和感っていうのがなくて、そのうちに、「Tくんも受験もあるし、人生の分岐点にいるわけだから、ぼくたちがやっている勉強をかじってみないか。」っていわれて、そのときにちょこっとだけやったんです。
 
—:それは何年くらいのことですか?
 
T:1983年とか4年だと思います。
 
—:統一教会の活動が激しくなっていたころですか?
 
T:ぼくはその年の受験もだめだったんです。そのときにまたそのひとに相談し始めて、そこから本格的にビデオを見るようになったんです。だから2浪めくらいからです。
 
—:そのときのTさんの悩みみたいなものって、どうだったんですか?
 
T:まあやっぱり、世間的には、大学行って、いい企業にはいってっていうのが一般的な主流の考えかただし、路線だって教えられてきたんだけど、自分は大学受験につまずいているわけなんで、やはり不安は大きかったです。あと、たかだか5教科とか3教科で将来が決められてしまうのってどうなのとも思っていました。
 
—:そのころって、バブル景気といいますか、ものすごく拝金主義的な世の流れみたいなものがあって、それに対する反発とかを抱いていた若者って多かったのかもしれませんね。Tさんもそのひとりというか。
 
T:どうしても唯物的な思考があったから、それに相反するものを認めてくれない雰囲気はありました。そんななかで、どうしても神秘的なものに惹かれたりするんですね。
 

2、教育のシステム
 
—:2浪の春から、Tさんも中野のビデオセンターに通うようになるんですね。どのあたりにあったんですか?
 
T:中野駅南口ですね。ロータリーの向こう、マクドナルドのビルの2階でしたね。
先ほども言いましたけど、1浪のときにも何回か行っていたんですけど、2浪めから真剣に通い出すんです。
 
—:最初にいったときはどんな感じだったのですか?
 
T:宗教とは関係ないって言われていて、人生の勉強でビデオを見てみないかっていう感じでした。で、ぼくも「おもしろい考えかたがあるんですね。」って‥。
 
—:むしろ啓発セミナーみたいな感じですか?
 
T:啓発セミナーっていうか、でも、そのうちに聖書がでてくるんですね。世界中でいちばん読まれている本は聖書だっていわれて。
 
—:それまでは、Tさんはどこかの宗教を信じていたというのはないんですか?
 
T:全然ないです。まさに無宗教。
 
—:宗教に対するアレルギーみたいなものはありましたか?
 
T:ありましたよ。とにかく神頼みが大っ嫌いだったんです。あれは弱い人間がやるものだと思っていました。
 
—:どのくらいの頻度で、その中野のビデオセンターに通ったんですか?
 
T:毎週のように行っていました。そのうちに大学受験とか、もう半分どうでもよくなっちゃったんですね。それよりも統一教会にはいって活動したほうがいいんじゃないかと思い始めていました。
 
—:Tさんのなかで、劇的な変化が起こったのか、それとも徐々に気持ちが傾いていったのか、そのへんはどうですか?
 
T:まあ、徐々にでしょうね。そういうようなシステムになっていましたから。教育のしかたがそういうふうになっていて、いっぺんにどうとかじゃなくて、徐々にこう、誘導していく。
二択三択って‥、まず二択三択させられるっていうのからして、これはもうすでに誘導なんです。三つのなかから選びなさいっていわれるけれど、そのなかからこれを選ばざるをえないような質問をしてくるんです。ほんとはもっともっと選択肢はあるはずなのに、このなかから選べといわれる。だんだんせばめられていく、そういう教育のしかたなんです。
 
—:そいういうのをビデオでやってくるんですか?
 
T:そうです。
 
—:ビデオを見る部屋はどれくらいの広さだったんですか?
 
T:壁というか仕切りがあるんです。
 
—:えっ、みんなで見るのではなく、ひとりひとり個別なんですか?
 
T:ヘッドホンをして、ひとり一台で見るんです。そのうちある程度の段階までいくと、一泊の合宿とか、四日間の合宿とかになるんですが、そこにいくまでに、完全に誘導していくわけです。そういう教育システムっていうのができあがっているんで、それはそんなにむずかしいことじゃないんですよ。
だってほんとは選択肢ってもっといっぱいあるはずなのに、それをせばめられて、こっちが悪くて、こっちがいいって、そういう二択なわけですよ。白か黒かって、そういう選択をさせられて誘導していくんです。
 
—:一回のビデオは何分くらいなんですか?
 
T:3、40分くらいだと思います。
 
—:ちょっとおさらいしますけど、ビデオセンターにはいります、こんにちはって言って、ああよくきたねっていうひとがいて、きょうはこのビデオを見ましょうとか、そういった流れで間違いないですか?
 
T:けっきょく、誘導したひと、つまりビデオセンターに連れてくるひととビデオを見せる人とが結託しているんです。センターに行ってビデオをみるまえに、ぼくはそのバイトで知り合ったAさんには、腹を割っていろいろと話してるわけですね。そのことがセンターのひとに全部筒抜けだったってことです。
で、相談にのりましょう、それにはこういうビデオを見てみましょうってなる。ぼくは自分の情報が知られていると思わないから、なんでよくわかるんだろうとかってなってしまう。
誘導システムっていうのは、そういうところがあって、いまこのひとはこういう悩みを持っているから、あのビデオを見せたらいいんじゃないかってことが、裏で通じて話されているんです。
 
—:それぞれの悩みに対応したビデオが用意されているっていうことですか?
 
T:そうではなくて、「原理講論」の一連の流れのなかのある部分をとって見せたりとかする。
たとえば、その教育システムの最初の部分でいうと、あなたはとても優秀なんだけど、罪があるんですよっていうわけです。まずは持ち上げる。そして、いろいろとうまくいかないのは、あなたに罪があって、その罪のことを「原罪」というんだけど、それを祓わないと、あなたは絶対にしあわせにはなれないと。
持ち上げて、罪の意識を教育して、恐怖心を植え込み、そして誘導していく。あなたにはこの道しかないんですよという。
その流れがシステムとして全部できているんです。相談しにいくこっちのウィークポイントはすでに伝わっていて、そこを指摘して導くという流れです。しかもいろんな教材があるわけではなくて、そこには「原理講論」にもとづいた教材しかない。そこでもうすでに選択肢は縮まっている。それをつかって二択三択させていくんです。
 
—:そのときの様子をもう少しくわしく聞かせてください。ビデオセンターにはいって、すぐビデオを見るのではなく、そこのひととちょっと話したりもするんですか?
 
T:そうです。最初の3、4回は、連れてきたひとも同席します。で、ビデオ見たらとか、終わってからも感想をきいたりとかしますね。
 
—:部屋割りとしては、そういう談話のテーブルがあって、ビデオを見るところがあると。ビデオの部屋はパーティションで細かく仕切られているんですね。ほかにも勧誘されたひとが、すぐそこにいたりするんですよね。
 
T:いますね。でも、誘導するときって、横のつながりを持たれてしまっては困るんです。ある程度「できあがって」しまえば、横のつながりは認められるんですが、それまではつながりを持ってはいけないので、パーティションでしっかりわけて、見せて、そのあと個人的にいろいろと話す。
だってみんなで見て、なんかこれへんだよね、おかしくないか、なんてなったら蔓延しちゃうでしょ。だから絶対させない。接触できるのは統一教会のひとだけで、受講者同士とは関わりがもてないようになっています、「できあがる」まではね。システムだから。
 
—:中野のビデオセンターはどれくらいの大きさだったのですか、マンションの一室くらい?
 
T:いえ、もっと大きい。ちょっとした店舗くらいありました。ええと、待ち合いする部屋があって、テーブルが四つか五つくらいある。その奥にビデオの部屋が、部屋というかパーティションで区切られたブースが10こくらいありました。その脇にスタッフがいる部屋があって、ここでみんな管理している。ちゃんとビデオを見ているかどうかもカメラで確認できるようになっていましたね。
当時は「霊感商法」が社会問題になる以前だったので、すごく金がはいってきました。潤沢な資金があったんです。
 

3、無宗教から「献身」へ
 
—:で、Tさん自身のことになるのですが、統一教会にはいろうと思ったのはいつごろのことですか?
 
T:受験の準備はしていましたから、あれでしたが、もし受からなかったら献身しようと決めていました。2浪していたときには、腹は決まってましたね。
 
—:そこで入信ということになるのですか?
 
T:はい、もう家を出ました。
 
ー:どこへいったんですか?
 
T:統一教会の、いわゆる「ホーム」っていわれるところがあるんですよ。「ホーム」は活動拠点みたいな場所で、そこにもう完全にはいっちゃった。
 
―:出家みたいなこと?
 
T:そうそう、出家。統一教会では「献身」っていうんですけどね。
 
—:どこの「ホーム」にはいったのですか?
 
T:中野です。
 
—:ほかにもあちこちあったんですよね?
 
T:組織的にいうと、統一教会本部があって、東京地区があります。東京地区のなかで、七つの区分けがされていました。それは選挙区と同じ区割りでした。
で、七区まであって、ぼくは第四区なんです。第四区のなかに教育部がひとつ、いやふたつくらいあったかな、それに青年部と壮年部とにわかれていて、そのほかに販売部門、印鑑とか多宝塔とかを売る店舗が三つくらいありました。
ぼくは、その教育部の青年部のビデオセンターに配属されました。教会はあちこちに家やアパートを借りていたので、泊まるところはいくらでもありました。
最初はビデオセンターのなかで寝泊まりしていました。
 
—:それは自分の部屋ということじゃないのでは。
 
T:そうです。六畳くらいのところに八人で寝ていました。いわゆる雑魚寝ですよ。当時、疥癬が流行って、たいへんでした。ものすごく環境は悪かったです。
 
—:そこでどんな活動をしていたのですか?
 
T:まずは「伝導」です。ビデオセンターにひとを連れていく、そういう勧誘です。
 
—:友人などに伝導したのですか?
 
T:友人などには、あまりやりませんでした。街頭でも、ひとに声をかけるのが苦手だったので、うまくいかなかったです。
 
—:何人くらい伝導しましたか?
 
T:ゼロでした。
 
—:教会としてはそれは困ることですよね。そんなときはどうするんですか?厳しい叱責とかはあるのですか?
 
T:厳しいですね。断食しろとか言われます。伝導ができないのは、「条件」っていうのですけど、それは仏教などでいうところの行(ぎょう)がたりないということになるのです。おまえは条件つまり行が足りていないのだから、断食しなさいということになる。
だからしょっちゅう断食していました。
 
—:断食を命じられるということですか?
 
T:そうです。三日間断食とか。よくやりました。
 
—:それは行なのですね。
 
T:条件といいますが、そうです。条件を行うのです。
 
—:条件を行っている間は、伝導はしなくていいのですか?
 
T:いや、します。
 
—:メシ食わずに伝導ですか。
 
T:最長は七日間の断食でしたね。
 
—:街頭での伝導はどんなふうにやるのですか?
 
T:なんか「生活調査アンケート」ですとかいって、声をかけていました。ようは興味を持たせて、こういうおもしろいビデオがあるので見てくださいっていうものでした。
 
—:統一教会ですとは言わないのですか?
 
T:言わないです。
 
—:どんなひとが伝導されていましたか?
 
T:看護師のひととかが多かったですね。ほら、看護師さんとかって、献身度が高いじゃないですか。自分のことよりひとのためという意識が強いというか、そういうタイプのひとがセンターによくきていましたね。
 

4、「珍味売り」と「餃子寝」
 
—:Tさんは、伝導の部門では業績はよくなかったわけですね。それでどうしたんですか?配置がえとかあるのですか?
 
T:ありました。そこで「店舗」といわれる経済活動のところにうつります。そこで販売員になりました。
あ、そのまえに「珍味売り」をやりました。
 
—:「珍味売り」?
 
T:あのー、キャラバンっていうか、車に乗せられて、そこで寝泊まりして、山海の珍味を売って回るんです。北海道まで行きました。
 
—:どこで売るんですか?
 
T:いろんなところです。車で移動しながら。「珍味売り」は、原理研もよくやっていたと思います。彼らは春休みとか夏休みにやっていたと思います。
乾燥させた袋詰めの珍味を2500円くらいで売りました。
 
—:それは売れたんですか?
 
T:売れました。たぶん、全国で一位か二位くらい売りました。
 
—:Tさんは、伝導ではいまいちだったのですが、珍味売りで名を挙げたんですね。
 
T:夜、BARやスナックに行って売りまくりました。
 
—:移動販売じゃないのですか?個別訪問?
 
T:そうですよ。珍味を担いで一軒一軒まわるんです。飲み屋のママさんを狙ってうまくいきました。
この「珍味売り」には、教義上のちゃんと意味があって、「万物復帰」というんですけど、物を神様にもどすっていう教えがあって、それにもとづいた行動なんだといわれました。
 
—:その「珍味売り」はどれくらいやったのですか?
 
T:ぼくは2ヶ月だけでした。
 
—:ハイエースに乗って地方に行くわけですね。6人くらいのグループで‥。
 
T:いや、もっとですね。8人くらい。「餃子寝」っていってたんですけど、車のなかで重なるようにして寝ていました。
 
—:車のなかで寝るんですか?
 
T:荷台に板を作って敷いて、その下に珍味をいれて、ひとはその板のうえで寝るんです。
 
—:そんなにたくさんのひとが車のなかで寝られるものなのですか?重なったりしないのですか?
 
T:もうね、疲れていて、そんなこといっていられないんですよ。すごく疲れるんです。だって一日18時間くらい働くんですよ。
 
—:どんなようすだったか、その一日を話してもらってもいいですか。
 
T:そうですね、起きるがだいたい5時くらい。なんか聖歌みたいなのを歌って、メシくって、出発します。
 
—:メシって、どこで食べるんですか?
 
T:車のまわりです。隊長みたいなひとが食パンとかを買ってきて、それにジャムとかつけて食べる。珍味の売り上げがわるいやつはそれすらも食べられないんです。条件が足りないから。
 
—:すさまじすぎてクラクラしてきました。
 
T:現代の奴隷制といわれていました。
 
—:それからどうするんですか?
 
T:ゼンリンの地図とかあるじゃないですか、あれのコピーを渡されて、きょうはおまえはここをまわれっていわれるんです。5、6キロの珍味がはいったバックを担いで、ひとりひとりちがったところで車をおろされる。
 
—:それが何時くらいですか?
 
T:6時とかですよ。
 
—:早すぎないですか、訪問販売するには。早朝にチャイム鳴らされて怒るひととかいませんでしたか?
 
T:いますよ。でも会社の研修で朝早くからまわらせてもらっていますとかいって、やるんです。一軒一軒すべてまわります。左回りでずっといくんです。
で、お昼に一回、決めてあった集合場所にもどるんです。そこでご飯をたべて30分ほど休んで、また再開です。
そのとき途中報告というのがありましたね。世田谷区の等々力にあった本部に電話するんです。当時は携帯電話がなかったですから、定期的に公衆電話で報告をしていました。
 
—:そのあと何時くらいまでやるんですか?
 
T:だいたい6時くらいまでです。夕飯食って、また夜の町にでかけます。全部終わるのが12時くらいでしょうか。
 
—:ものすごく過酷な状況だと思うのですが、そのときどんなことを考えていましたか?
 
T:なにも考えられないです。ようするに「洗脳」っていうのは、なにがしたいかというと、なるべく自分で考えないように、自分で判断しないようにと、ひとを教育していくわけです。だから思考停止の状態にもっていくんです。ものを考える方向にいかれてしまうと、やめてしまったり、離脱してしまうので、考えさせないようにするんです。判断は上層部がするので、それに従えというわけです。
 
—:Tさんは、その当時、そういう教育の影響下にあったということですか。洗脳されていたと。
 
T:そうなっていました。まず疑問に思うことがもう罪なんです。思考停止ですから、ようするに考えてはいけない。疑問を持つこと自体が、あなたの罪の根っこなんだよと。神様のいわれたとおりにしなかったから人間は原罪を背負ってしまったわけですからね。アダムのりんごですよ。ああして知恵をつけて堕落したんだから、神様のいう通りにしないといけないんだと。こういう理屈で思考停止に導いていくんです。
 
ー:そうして思考停止になったまま、珍味を売りつづけ、Tさんは驚異的なセールスをあげるんですね。セールスマンの才能があったのでしょうか。
 
T:こと「珍味売り」に関しては、そうだったですね。
 
ー:12時に終わって、それからどうするんですか?
 
T:みんなで集計するんですけど、もう眠くてしかたがなくて、集計できないんですよ。なんとかやって、そのあとにまたちょろっとメシ食うんですけど、これが食えない。持ってるおにぎりが落ちてしまうんです。食べながら寝てる。人間は食欲よりも睡眠欲ですね。寝ないと死んじゃうって。
そんな状態だから、ハイエースの荷台で重なろうがなにしようが関係ないんです。もう、とにかく眠たい。
ということは、どんどん思考能力が低下していくわけですよ。余裕を与えちゃいけないんでしょうね。
 

5、「店舗」での仕事
 
ー:そんな生活が二ヶ月も続いて、また配置換えになるんですね。こんどは「店舗」ということですが、どこにあったのですか?
 
T:荻窪ですね。
 
ー:ちゃんとしたお店になっているんですか?
 
T:いえ、ただの一軒家です。「店舗」っていってるけど、一軒家なんです。高級住宅街の一軒家。家具みたいなものはなくて、3、40人くらいが、そこに住んでいるんです。
で、印鑑とかあるのはまたちがう場所なんです。印鑑は彫らないといけないじゃないですか。だから見本だけ彫って、あとはまた彫って納品しなくちゃいけないのです。
で、その印鑑を売るときに、手相とか、あるいはそのひとの家系図とかを見せてもらう。そうすると家系図なんかだと、なかには変な死にかたをしているひととかいるじゃないですか、そこを指摘して、こういう印鑑を作ったほうが供養になりますよとか言うんです。
さらに家系図を見ながら、もっとくわしい先生がいるので、もしよければ話をきいてみませんかって誘導するんです。で、そこは壷を売る場所でもあるんですが、家系図を見ながら供養をする場所と偽って連れていくんです。
そこにいくと先生がいて、こういうことがあるのはよくないので、壷を買ったほうがいいんじゃないか、先祖供養になりますよ、とやる。
で、すごく金もっているひと、当時はバブルだったんで、金を持ってるひととかがいるんですけど、そういうひとには何千万もする多宝塔を売るんです。
 
ー:何千万!それはすごいですね。たとえば印鑑はいくら位したんですか?
 
T:たしか印鑑は5万円から40万円くらいでしたね。象牙のぶっといやつだと何百万かしました。大きさなどで値段はいろいろありました。
 
ー:では壷はどれくらいしたんですか?
 
T:えーと、壷は7万から540万円までありました。壷なんてなんでもよくて、形になっていればいい。ようするにそのひとがいくら持っているかなんです。これくらいだせるんじゃないかってやっているんです。
これもシステムとしてやっていて、タワー長といわれるひとがいて、それを支える補佐官がいて、その下に「先生」といわれる、お客さんを説得する係のひとがいるんです。まあ占い師みたいなことをして売るひとです。そういったことを、池袋の会場、「会場」といわれるところにお客さんを連れていってやるんです。その逐一が監視カメラで見られるんです。いまどんな状態かとか、うまくいってるかとか。
 
ー:Tさんは「珍味売り」から、そういった印鑑とかを売るほうになったんですね。
 
T:でも印鑑は売れなかったです。
 
ー:珍味は売れたのに?
 
T:これにはちょっと疑問に思っちゃったんですね。こんな印鑑で供養になるはずがないって。そのせいかあまり力がはいらなかった。そのせいもあるかもしれません。
で、あまり売れないもんだから、ぼくは総務といわれる雑用係になったんです。その雑用係でまた力を発揮して、なんでもやれるんで、みんなのためにいろいろやっていたら、そこで怒られなくなったんです。
 
ー:総務部ではどんなことをしましたか?
 
T:なんでもやるんです。車の運転とか、掃除とか、ものを運んだりとか。お金を運ぶのもやりましたね。
一ヶ月、その荻窪の店舗だけで、どれくらいになったと思います?2億ですよ、2億。で、東京23区合わせると、売上額が一ヶ月百億なんですよ。それがぜんぶ文鮮明のところにいくんです。
 
ー:もちろん東京だけじゃないですよね。
 
T:日本中にありました。
 
ー:だとしたら、ものすごい金額になりますね。
 
T:だから韓国では、文鮮明は実業家なんです。宗教家ではなくて、実業家。
 
ー:うーーん。
 
T:合同結婚式ってあるじゃないですか。あれは金を運ぶためにやるんです。参加するひとに金をもたせて、韓国に着いたら回収される。合法的な外貨持ち出しですよ。税金もなにもかからないでしょ。お金を運ぶにも、表ルートと裏ルートがあったんです。
ちなみにぼくがはいっていたときの会長は久保木修己というひとで、日本の統一教会のトップといわれていたひとですが、久保木さんは、もともとは立正佼成会だったんです。途中から統一教会にはいったんです。
 
ー:で、その雑用係はどれくらいやったのですか?
 
T:ええと、一年ちょっとですか。22歳くらいまで荻窪にいたんですけど、そのあと大宮の店舗に移動になりました。大宮でも最初は販売していたんですが、やっぱり売れなくて、また雑用係みたいなことをするんです。
ぼくはちょっと変わっていたんです。統一教会のなかでも異端だったところがあった。
わりかたぼくは、上の地位のひとと仲良くなるんです。そうなるとあまり厳しいことをいわれなくなる。たくさん条件を立てろとかいわれなくなる。そういう、上のひとにうまく取り入る術を得意技として持っていたんです。そうして楽になっていったとき、こんなことを考えはじめたんです。
祈ってなんでもできるんであったら、ほかの宗教だって祈ればなんでもできちゃうじゃないかとか。それなら祈るより行動したほうがいいんじゃないかとか。
あと条件を立てて断食するというのが正しい考えかたなら、アフリカとかでメシ食えないでいるひとたちがいっぱいいるわけで、そっちのほうが自分らより条件立ててるんじゃないかとか思いだすんです。そんな屁理屈をいって、あまりいうことをきかなくなっていったんです。上層部の人と仲いいものだから、なにを言っても全然だいじょうぶってなっていたんです。
そんなときにですね、親に捕まるんです。
 

6、「アハ」と脱会
 
ー:親に捕まる?
 
T:そのころ仏具を売り始めていたんですね。そこで親に仏壇を売ろうとして、いちど家に行ったんです。そのまえに何回かコンタクトを取って、いついつ行くからって約束したんです。仏壇買ってもいいということだったんで行ったんです。まあ、もちろんこっちも警戒してたんで、もうひとり同じ店舗の信者を連れて、ふたりで。
そのころ親は親で、これまた荻窪にある統一教会反対派の、こちらはキリスト教の教会に通っていたんです。
それがおもしろくて、ぼくが献身のために家出をしたときに、その反対派の牧師の本を残していたらしいんですね。自分なりに疑問を感じているところがあったんでしょうね。その著者である牧師さんにうちの親は相談しにいっていたという不思議な縁です。
親は三年くらい牧師さんのもとに通っていた。そこにたまたま仏壇を売りに、ぼくがもどってきたわけです。そこで捕まったんです。
 
ー:捕まったっていうのは、具体的にはどんな状況なんですか?
 
T:家に行ったら、友だちもいて、「ひさしぶりだから、メシでも食いにいこうよ」とかいわれたんです。そのとき一緒にきた信者は、家で仏壇の話を一生懸命しているんです。じゃ、お茶でもって連れ出されたんですけど、その友人たちも実はうちの親に頼まれていたんですね。それを知らずに車に乗ったんです。そしたら眠っちゃったんですね、あまりに疲れてたから。そのまま荻窪の教会に連れていかれそうになったんです。でも荻窪の駅のところで目が覚めて、やられたと思って、そこで大騒ぎしたんです。
 
ー:どんなふうに騒いだんですか?
 
T:交差点の信号で停まっているときに、車のドアをばっとあけて、「拉致監禁だー!」って叫びまくりました。そしたらうわってひとだかりができて、そのうち警察まできて、友人たちが事情を説明することで、こんどはもっと多くのひとに囲まれて、アパートの部屋に連れて行かれました。
そこは荻窪の栄光教会の説得の場所だったんです。
 
ー:そのときはどうだったんですか?もう観念したっていう感じですか。
 
T:いやいや、もういつでも逃げられると思ってました。その日はあとできた親なんかにも見張られながら寝て、次の日、おまえいったいなにやってんだと説教をくらい、それから牧師さんがきて、押し問答になるんです。
でもこっちはいつでも逃げられると思って余裕こいているから、逆に牧師さんの話をきいちゃうんですよ。こっちのほうが優勢だと思っているから、きいてやるかみたいなことでしょうか。自分が絶対に正しいと思っているから、きちんと論破して、正々堂々とでていってやるくらいなものでした。
で、話を聞いたその結果、二日めくらいに、「あれ、俺が間違っているかも」って思い始めるんです。でもなんとかごまかそうとかするんですけど、だましきれないと観念するんです。というのもそこには脱会した信者から集めた統一教会の内部文書なんかがいっぱいあって、なかには絶対機密だったはずのものまであったりするわけです。要するにビデオセンターでの流れとか、店舗の仕組みとか全部書いてあるやつなんです。それを見たとき、これはもうだませないとなりましたね。
牧師の話を聞くようになった。で、聞いて、これはこっちが間違っているなと思ったその瞬間に、あたまが働き始めたんです。思考停止が終わったというか。
これは脳科学的には「アハ」っていわれるもので、瞬間的に悟るというか、気がつくってやつで、そのとき自分で考えはじめるんです。
これはなんというか、いろんな断片が、ある瞬間、カチって「つながる」っていう感じです。それまで「ん?」って思いながら、それでも考えずにいたことがいくつもあったんですが、それらが一気につながるんです。その瞬間に考えるんです。
 
ー:「アハ」があったあとは、どうなるんですか?
 
T:こんどはちゃんと、相手のいうことを聞くようになるんです。それまでの聞き流しじゃなく、自分のなにが間違っていたかを聞くようになる。この気づきがないと、いくら説教しても脱会までに一年も二年もかかることになってしまうんです。
 
ー:Tさんの場合はすごく早かったんですね。
 
T:結局なんだかんだで、一週間ちょっとそのアパートにいましたけど、だいたい半年、一年はかかるのもザラですからね。優等生です。
そのあとキリスト教に入信しなさいとかいわれましたが、それは断りましたね。でも義理もあったんで、しばらくは教会にいてミサとかにでていました。
それでも親はまだ半信半疑で、その当時「偽装脱会」とかありましたからね、心配していました。そんなときに一緒にスーパーに買い物にいったんですけど、そこで荻窪ですから、統一教会の信者とばったり会ったんです。で、「おまえどうしたんだ」とかきかれたのですが、「おれ、やめたから、じゃね。」ってかえしたのを見て、安心したみたいでした。
ぼくがやめたときに10人だかが一週間断食したとかききました。早く戻ってくるようにってね。そんなことしたって戻らないのに。
 
ー:統一教会には通知のようなものはしたんですか?
 
T:電話しました。電話で「やめます。」っていいました。
 
ー:それが23歳ですね。そこから社会復帰になるわけですか。
 
T:信者の脱会を手伝っていたひとがいて、そのひとが広告代理店をやっていたんです。そのひとがうちにこいということで、就職しました。
そうして働きながら、脱会活動の手伝いをしました。
 
ー:約束の時間を大幅に過ぎてしまいました。ひとりの信者が見た統一教会の姿が生々しく焼きつきました。また機会があれば、続きをうかがわせてください。
ありがとうございました。
 
2018年8月19日 ジョナサン金町店にて

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