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先見の明

 いろいろやめたり、なくなったりもして、ぽっかりと時間が空く日が多くなった。月のはじめには、大学時代の友人と吉祥寺で久しぶりに飲んだ。数えてみたら七年ぶりのようだ。前回会ったのは、渋谷の居酒屋「山家」だった。焼きとりと煙草の煙でうっすら霞む二階の席で話していると、
「ちょっといいですか?」
と、きれいな女性が話しかけてきた。きれいな女性が好きなふたりはもちろん受け入れた。聞くとなんでも画期的な新商品のモニターをお願いしたいというのだ。
 それはアイコスという名前の電子たばこだった。いまではもう知らないひとはいないが、まだ普及していない七年前のことである。きれいな女性は、ぽかんとしたぼくたちにひと通り商品の説明をしたあと、愛煙家の友人のまえにアイコスを置き、吸ってみてほしいという。
 またしばらくしたら、回収にくるので、それまでどうぞということになった。友人はその電子たばこなるものを訝しそうに眺めたり、味を確かめるように吸ったりしていた。
 しばらくして先の女性がもどってきて、商品のアンケートといって、いくつかの質問をした。その最後の質問はこうだった。
「ずばり、この商品は売れると思いますか?」
友人はにこりとして、ひと息ついたあと、
「こんなもの、売れるわけがない。」
と、高らかに断言した。ちょっと困った表情のきれいな女性は、電子たばこを手に、礼を言って去っていった。
 その後一年たつかのうちに、アイコスは爆発的に売れまくり、大きな話題となった。電子たばこのブームが起こり、その模様がテレビで取り上げられるたびに、友人の自信たっぷりの顔が浮かんで楽しかった。

 吉祥寺の「ビアホール戎」で再会の杯を掲げた。三時間ほど飲み食いして、お開きとなった。駅まできて、その別れ際に、
「なにか書くといいよ。」
と唐突に言った。
 時間を持て余していると話したことを受けてだと思うが、その話題は少しまえに終わっていたはずだ。
「エッセイだと、ひとは読んでくれないから、小説を書くといいよ。」
言い忘れたが、彼は敏腕な編集者であり、自身の作品で文学賞を取ったこともある。受賞作を読ませてもらったが、とてもおもしろかった。ぼくなどはとてもじゃないが、足元にも及ばない。とはいえプロの編集者から言われると嫌な気はしない。
「どうかなあ。書く体力も才もないからねえ。」
と笑っていると、じゃあと、そのまま改札口にはいってしまった。
 いつか突拍子のない奇想天外な話でもしつらえたら、まっさきに彼に読んでもらおうと思う。
「こんなもの、売れるわけがない。」
そう言って投げ出されるくらいのものが書けたら、きっと売れるにちがいない。


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