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「ホームレス理事長」

 前日の「死刑弁護人」に続いて、また東中野にやってきた。今回の特集上映「東海テレビドキュメンタリーの世界」のなかで、もっとも楽しみにしていた映画「ホームレス理事長」を観るためである。
 年初に観た「ヤクザと憲法」は、ほんとうにショッキングな、ぼくにとっては事件ともいえるおもしろさだった。その同じ圡方監督の作品となれば、おのずと期待はふくらむ。そしてその期待通り、最初のカットからもうすでに心は持っていかれた。

 少しアゴのしゃくれた、がっしりとした男が、漫画喫茶でオセロゲームをしている。人懐っこい表情のその男は、独り言のように観客に説明する。
「相手に角を取らせるんです、よっつとも。そうすると99、何パーセントの確率で向こうが勝つわけなんですけど、こちらが勝つ可能性はゼロじゃないんです。そこから勝負したいんです。」
 さまざまな理由で高校を中退してしまった球児たちを集めて、もう一度チャレンジする。子供たちに野球を通して人生に再挑戦する機会を与える。そんなNPO法人「ルーキーズ」の理事長山田豪さんは、設立して二年でオセロの四つ角を取られていた。
 多額の負債、たち行かない経営から理事長は金策の日々に追われている。電気もガスも水道も止められ、ついにはアパートも出されてホームレスとなりながらも、「ルーキーズ」の支援者を求めて一軒一軒外回りをしている。
「あなたは理事長なんだから、兵隊じゃないんだから、もっと全体を見て、しっかりやってくれないと。」
 ルーキーズの寡黙な監督もつい声を荒げてしまうほど、いろいろと歯がゆい思いを、観ているぼくたちも感じてしまう。歯がゆいのはこの人のいい理事長だけではない。ここに出てくる子供たち、大人、みながいちように歯がゆい。
 しかしその歯がゆさは、決して苛立ちにまみれるのではなく、その向こうに透けて浮き上がってくる、ひとに対する愛おしさそのものである。
圡方監督の映画のいいところはたくさんあるけれど、出てくるひとりひとりがほんとうに魅力的に映っているのだ。これはドキュメンタリーだけでなく、どんなジャンルにおいても一番大切なことだと思っているのだが、圡方作品はそこが飛び抜けている。

 人生ですでに四つ角を取られてしまったひとはたくさんいる。前科のあるひと、自己破産してしまったひと、ドロップアウトしてしまったひと、身体や精神を病んでしまったひと、ヤクザになったひと、薬物やアルコールに依存してやめられないひと、会社や共同体を追われてしまったひと。
 もうゲームオーバーなのだろうか。だとしたら、残りの時間をどうやって過ごしていったらいいのだろうか。取り巻く環境や事情は異なるけれど、やはりひとりひとりが、その角を取られたゲームをあきらめてはならないならば、その手助けをする機関、手を差し伸べるひとが、あまりにも少ないということが、現在の不寛容な社会の、根本的な問題点なのではないだろうか。

 生きていくのは歯がゆいことばかり。思うようになんてなにひとついかない。「貧すれば鈍するだ」と高みからヤジを飛ばせるひとはきっと幸せなのだろう。
 たった四つしかないカドを取ろうとやっきになってひとを押しのけることをもって「勝ち組」だの「負け組」だのという「勝ち負け」と、この映画でひんぱんに使われる「勝ち負け」とは、根本においてその意味と内実はことなる。
 そんなことも判然としないぼくたちの彷徨える目線は、いまどこを見ているのだろうか。「ホームレス理事長」は遠くを指さし、その行く道をやさしく教えてくれたのだった。

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