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WHAT A WONDERFUL WORLD

 ここ数年、本来の職業である録音ミキサー以外にも、いろいろと活動の拠点をひろげている。東北芸術工科大学で非常勤講師として科目授業を受け持つようになって、四年目になる。一年生の必修にくわえて、今年から新たに三年生を対象にした選択科目もあり、前期だけとはいえ、週に二日は山形に通っている。
 大学という場所が大好きなのは、早稲田に六年もいて中退した自分がよく知っている。ひろがる社会とは、どこか隔たりのようなものがあって、薄い皮膜のなかにいる居心地のよさを楽しんでいる。

 学生時代はばくぜんと教師になりたいと思っていた。にもかかわらず外国に遊びにいっては留年ばかりして教職課程をとれなかった。だからというわけではないが、塾教師という仕事に活路を見つけたこともあった。それをかんがみると、いまこうして山形で、いつの間にかその夢をかなえていることになる。
 昨年のことである。バンドをはじめたばかりの高校生のころに、いつかはこんなお店でと思い描いていたライブハウスで演奏ができたりと、こちらも夢がかなったようで、還暦を目前にして、たいへんありがたく幸せな人生だと、あらためて感慨深く思ったりもする。

 ちょうど昨年のコロナ感染本格化のタイミングで、大学時代の先輩から誘いをいただいて群馬県に前橋市にある会社の映像制作部署の手伝いをすることになった。大学で学生たちとの時間も最高に楽しいが、さらに会社の仕事として映像を作る機会を得て、これはまた言葉にならないくらいに刺激を受けている。
 録音ミキサーという立場ではなく、一歩引いたところから映像を企画して作っていく。プロデューサーなどとはとてもいえないものの、それらしきことをするようになっている。

「奇跡のはじまり」というプロモーション映像も、ぼく自身が企画発案し、群馬在住の歌い手Yarcoに直接交渉して、アドバイザーとして関与している「MITARI」が制作したものである。

「MITARI」は約八ヶ月の準備期間を経て、今年一月に旗揚げした映像制作チーム。そしてYarcoは、ぼくの音楽仲間だ。
 コロナ禍もあり、東京での音楽活動を停止し、ふるさと渋川にYarcoが戻ってきたのが一年前。ちょうどぼくも前橋とやりとりを頻繁にしていた時期と重なり、ミュージックプロモーションのアイデアが浮かんだ。
 渋川に出向いて彼女に話をしたのが去年の11月だった。そこから楽曲制作がはじまり、撮影は緑あざやかな時期を待って行なわれた。

 アドバイザーというからには、たくさんのひとに見て聴いてもらいたく、一所懸命宣伝しなければならない。
 ベテランのシンガーソングライターと若々しい映像制作の担い手。それが東京ではないということも、ぼくにはとても興味深い。もはやぼく自身はじゅうぶんに人生を堪能した。この先、引き継いでいく仕事に尽力したいと、つくづく思うこのごろである。


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