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英語

予算や規模の小さい映画、自主映画、学生映画などを観る機会が増えた。今年にはいってからも撮影実習で講師をした専門学校の自主制作を丸一日かけて観たり、S.T.E.P(大学連携による映画人育成のための上映会)にでかけたりした。

映画館でも、少人数で撮影された作品に目がいくようになった。これは自分にとって新しい映画体験ということもあり、おもしろくとても楽しめる時間である。けれども、こうした小さな映画たちを観て、少しだけ澱のようなものが残るのは否めなかった。ただそれがなんだろうかというのははっきりしてはいなかった。

先日行われた「ダマー国際映画際」の客席にいるとき、その澱みたいなものに気づくできごとがあった。
「ダマー国際映画際」は、東京を拠点にした短編映画祭で、日本だけでなく、さまざまな国からエントリーがある。15分以内の作品、30分以内の作品、または学生映画やアニメーションといった、それぞれのジャンルで鑑賞できる。ブロックごとにコンペの形式になっていて最優秀賞ほかいくつかの賞が用意されていた。
ひとつのブロックが終わると、監督やキャスト、スタッフが壇上にあがり、観客に挨拶をする。キルギスのかたは来られなかったが、スコットランド、台湾、シンガポールの監督がマイクを握った。
コミカルな映画を見せてくれた台湾の若き監督は、舞台にあがると「すみません。ぼくは日本語ができないので、英語で挨拶させてください。」と、英語ではじめた。
彼は流暢な英語で、自作のきっかけに香港での民主化運動があること、さらにはこどもと動物という扱いの難しいキャストに現場で苦労したエピソードをユーモラスに語った。
スコットランドの監督はもちろん、そのあとに登壇したシンガポールの女性監督も英語でインタビューに答える。彼女の映画では会話がすべて英語だった。

司会のふたりも外見はいわゆる欧米人だった。男性のかたは日本語がネイティブに話せるバイリンガルで通訳の役割も担っていて、かれらが話す内容を日本語にしてくれる。半分英語、半分日本語の進行である。

そして出品がいちばん多い日本の製作者たちもかわるがわる壇上にあがって挨拶する。
さきに書いた心にとどまっていたなにかがふと見えたのはそのときだった。ぼくは客席にいながら、日本の製作者のだれひとりとして英語を話さないことに少しだけ違和感を感じたのだ。
ここは日本の東京で、自分たちは日本人なのだから日本語があたりまえといわんばかりに、なんの逡巡もない様子だ。小さくとも国際映画祭であり、客席には外国のひともいたにもかかわらず。
ぼくが思ったのは、このひとたちは英語を話さないのではなく、話せないのではないかということだ。そして英語が話せないことをなんとも感じていないように映った。

これはとても致命的なことではないかと、その瞬間感じた。なにも英語が使えないということが悪いのではない。ただぼくが一連の小さな映画たちを観ていて感じた、ある種の閉塞感の正体のようなものとは、映像表現自体が「日本語」のそとに向かっていかない、いいかえると「日本語」のなかに閉じこもってでてこない、その姿勢にあるのではないか。
かれらは北京やマレーシアやホーチミンやリオデジャネイロやロンドン、世界のさまざまな場所で開催される国際映画祭の壇上で何語を使って舞台挨拶をするのだろう。

想田和弘監督が、先日中国の若き映画人たちとディスカッションしたとき、そのすべてを英語でやって、なんのストレスもなかったとどこかで述べていた。

たかがことば、されどことばでもある。ぼくもけっしていい英語の使い手ではない。そのことを棚上げしながらも、自分のこどもたちや学校で教える学生たちに、英語ができないということはありえないと強く伝えてきた。それは将来の選択肢を増やすためだけではなく、作っていく映像、表現のありかた、思考のヒント、そして普遍への道として、どうしても必要な道具だと思っている。

日本の映画やドラマがつまらないという。そのひとつの要因が、日本語だけで事足りるという慢心と怠惰と閉鎖性にあると考えるのは、決してポイントのずれた話ではないように思う。

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