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さよなら、アンプ

 武蔵小山の激しい再開発に追われるようにして、ここ吉祥寺南町に越してきて一年半が経つ。こどもたちが独立して家人とふたりになったこともあり、陽があちこちからはいってくる明るい、小さな一軒家を借りた。西荻窪や吉祥寺といった駅までの距離もほどよく、とても暮らしやすい。
 しかしここは、次の場所を決めるまでの仮住まいと最初から決めていた。どこかはわからないが、二年以内には購入するマンションを探しあてるつもりだった。次の次はもうない。終の住処となるはずの場所選びだ。地方都市に行くことも考えたが、やはりふたりとも東京育ちということもあり、結局は今の場所からすぐ近くに新居を決めた。
 歩いて十分ほどのところとはいえ、引越しは引越しだ。しかも武蔵野市から杉並区に変わるので、事務手続きもそれ相応にたいへんになる。そして問題なのは、新しいところがとても狭いということだ。結婚した当初の木造アパートくらいの広さである。もともと物をあまり持っていないのだが、それでもかなり処分しないといけない。
 そこで二台あるギターアンプのうち、古いほうを買取りに出すことにした。高校生のときに、楽器やさんのアルバイトを二週間やって、給料がわりにもらったヤマハのアンプだ。すでに四十五年近く経っている。
 吉祥寺のハードオフに電話をして、型番をいい、果たして買い取ってくれるかをたずねた。いくらかにはなるということで、担いで市営の百円バスに乗った。北口ロータリーからお店までは五、六分ほどだが、キャスターがついていないヤマハのアンプはとにかく重い。ちょっとした重量あげだ。ふうふういいながらサンロードを歩く。途中お寺さんの前でひと休みした。ぶるんぶるん腕をふって、あとすこし。五日市街道の点滅する信号に、重いのを担ぎながら走って渡った。
 先ほど電話した由を伝えて、荷をおろす。査定に十五分ほどかかるといわれ、番号札をもらって店内をうろうろしていた。
 若い店員さんが、アンプがちゃんと鳴るかを確かめるためにギターを弾き出した。つまみをいじりながら、コードからシングルノートまで、とても達者だ。ジャズっぽいフレーズまででてきて、アンプも気持ちよさそうにいい音をだしている。へえと見ていると、不意に、ぼくにとってはとても懐かしいギターリフを弾き始めた。それは、ちょうどこのアンプを買ったころ、毎日のようにライブハウスで聴いていた曲だ。
 当時、ぼくは「カシオペア」というバンドの荷物持ちをしていて、学校が終わるとライブハウスに行くことが多かった。その「カシオペア」がライブで必ず演る「ミッドナイト・ランデブー」という曲のリフだった。
聴きながら、なんという偶然だろうと思った。
 しばらくして番号が呼ばれた。カウンターに行くと、電話で告げられた値段の半分が提示された。「ミッドナイト・ランデブー」のリフをすごくうまく弾いた店員さんが、修理にいくばくかがかかるのでと申し訳なさそうに言う。
 ぼくはどうしようか迷った。売るか迷ったのではなく、話そうかどうかを迷った。でも、なぜかすっとでてきた。
「ぼくは高校生のとき、カシオペアの荷物持ちをしていたんですよ。」
そういうと目の前の申し訳なさそうな顔が、はっとゆるんだ。ついでにすぐ横にいた年配の店員さんも大きく微笑んだ。
 少しばかり、カシオペアの話をして、気持ちよくサインした。長くつきあってきたアンプともここまで。このさきもいろんなものとの別れをしないといけない。あの世にいくときはなるべく身軽でいたいからね。

だから、アンプ、さよなら、アンプ。

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