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悲しき中央線

 20時すぎ、仕事を終えて戸田公園駅のホームにあがったところで、ちょうど新宿に向かう埼京線が走り去った。次は何時かといまだ夕飯を食べていない腹をさすりながら掲示板を見上げる。時間の下に流れる文字が振替輸送とでてきた。どうやら電車がまた止まっているらしい。
 ホームの突端に行こうと歩き出して、もういちど掲示板を振り返った。こんどは、中央線で人身事故と流れてきた。止まっていたのは、まさにぼくが乗って帰ろうとする電車だった。
 そのままスマホを取り出し、Twitterを見る。つい数分前の19時59分に阿佐ヶ谷駅でそれは起こったようだった。
 これはとうぶん動かないだろうと、踵をかえして階段を降りた。駅構内に中華料理のチェーン店がある。はいってパーティションで仕切られたカウンターに腰掛け、すぐ前のタブレットでビールをたのんだ。
 人身事故が、よく使う駅である阿佐ヶ谷駅で起きたということにすこし胸が押されていた。中央線はいろいろな理由でよく遅れたり、止まったりするが、人身事故もそのひとつだ。
 ついこのあいだも15歳の少女の人身事故があったばかりだ。ビールを半分くらい飲んだところで、運行状況を調べようとTwitterをひらいた。すると若い女性らしいことがわかった。遺書のようなツイートを残しているようだ。

「今日中央線で人身事故が起きたらわたしが死んだなと思ってください。」

 人身事故は鉄道会社から見たことばだ。多くの場合が事故ではない。少なくとも彼女にとって、それは事故ではない。ついこのあいだの15歳も事故ではない。
 ビールのジョッキを置いて、タブレットからタンメンを注文した。なぜだか彼女の顔が見えるような気がした。阿佐ヶ谷はいい街で、よく行くお店もいくつかある。そのせいか降りたホームでうきうきとしていることが多い。       
あのホームに薬で朦朧となった女性が立っている。
 タンメンはすぐにやってきた。チューハイでもたのもうかと思ったけれど、やめて、ガツガツと食べた。よく知っているホームだからなのか、ふらふらと歩く彼女の姿がいやに鮮明だ。
 会計をすませて、ホームに上がる。掲示板には復旧見込みは21時とある。こんどの埼京線で21時過ぎに新宿駅に着いて、動き出した電車に乗れるはずだ。新宿駅に着いてみると、復旧見込みが21時20分に変わっていた。負傷者を救出しているためと構内の掲示板は言っていた。ほんとうに彼女が負傷ですんだのかは誰も知らない。
 中央線と並んで走る総武線は動いていた。自転車を停めている西荻窪へは、総武線でも行くことができる。人の少ないホームで待つと、やがて三鷹行きがすべりこんできた。駅のアナウンスがこの電車は中野駅まで云々となんども叫んでいる。力がはいりすぎているせいか、その最後のほうがどうしてもききとれない。中野駅でどうするのか、止まってしまうのかが気になったので、一所懸命聴こうとするのだけれど、わからないのだ。
 しかたないので中野駅でどうするか考えることにして、車両に乗り込む。乗客は少なかった。みな事情を知っているのか、下を向いたままおとなしくしている。総武線はいつもよりゆっくりと、そして大久保と東中野とでたっぷり停車して、ずいぶん時間をかけて中野駅に着いた。21時22分だった。
 ちょうどそのとき、中央線の全面復旧が伝えられた。負傷者は無事救出されたのだろうか。
 総武線はそのまま中野駅をでて走り出した。気がつくと荻窪に着いていた。丸の内線の振替輸送を使ったひとたちがどっと乗り込んできて、あっという間に満員電車になった。
 いつの間に阿佐ヶ谷を通りすぎたのだろう。中野をでて、荻窪の人の波に押されるまでの間の記憶がない。さかのぼろうとしても高円寺や阿佐ヶ谷がでてこない。19時59分は20時まであと1分足りない。


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