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日の丸

以前は日の丸の旗をみつけると、目を背けるというか、どこか忌み嫌う気持ちが湧いたけれど、最近はそれがまったくといっていいくらいなくなった。それどころか、日の丸を見つけると、つい撮りたくなってスマホのカメラを向けている。そんなになんでも写真を撮るほうではないので、撮りたいと思わせるなにかが、この旗にあるのだろうと思う。
この心持ちの変化は急なことではない。おそらくもう何年も前から、日の丸の旗を取り巻く歴史や物語に以前ほど過敏でなくなって、感じることがなくなっていたようだ。

ところがつい最近、その麻痺からふと目が覚めた。正月を祝うということだろうか、銀座の通りにずらっと日の丸が並んでいるのを見つけた。そのあでやかさに目を奪われるとともに、こういうこと、つまり日の丸で街を覆い尽くすということを、銀座は毎年やっていたのだろうかと思った。

昨今の威勢のいい軍備増強ということもあってか、1937年の銀座が浮かんだか、いずれにせよ強く日の丸の旗がふたたび意識の表側に飛び込んできた格好になった。ただそれをけしからんとは思わなくなっている。この心の変化はどうしてなのかと、自分でも不思議に思っている。

正月は青山と原宿にもでかけた。すると表参道を走る中央分離帯のまっすぐに日の丸の旗がずっと奥までなびいていた。やはりそのときも写真におさめたくなって、歩道橋の真ん中からカメラを向けた。
日の丸がこうして長い時間をかけて市井に溶け込んでいくことに、かつてほどの腹立ちも起きない。むしろなにか滑稽でもの悲しい懐かしささえ感じている自分がいる。そんな間が抜けたようなおかしみのある風景が好きなのだ。

東京駅のレンガ作りの駅舎正面に颯爽と掲げられた日の丸に冬の陽があたる。そのさまは勇壮でありながら、もはやどこにもないかつての日々の思い出のように映る。

陽はまた昇るか。いや、昇りはしないだろう。懐かしい風景のアクセントに、日の丸はなりつつあるようだ。そう思うとなんだか愛おしくなってシャッターを切りたくなるのだと思う。


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