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新曲「花火」についての雑記

花火という曲を先日,配信リリースした。

Xで「ある意味、愛についてストレートに歌った」曲だと呟いた。酔った勢いで。でも実際そうかも、と思った。
歌詞の解釈についてあまり言わないほうがいいと思っているけど、今回はうまく自己分析に繋がったので記録しておく。面白いのは自分だけかもしれないけど。

この曲は最初,出だしのAメロが歌詞もコードも含めてすぽんとできた。(前回の記事で、ここのコード進行気に入ってるという話をした)

気まぐれに
打ち上げた
人類最後の
花火

「花火」歌詞より

結構ストレートに、ポストカタストロフ感があるってのは分かってほしい。これは意図的。
振り返ると、私の書いた曲はどれも、そういう世界観を背景に持っているようだ。
あんまり登場人物もいない、寂しかったり忘れ去られたような場所が出てきがち。かといって完全に暗いわけでもなく、ポストカタストロフにおける何気ない一日、なんでもない一瞬、みたいなものが実はテーマだったのかも。

月の光も 青く差し込んで
幽霊船が 息を吹き返す

dadzijuwha(過去の名義)「たこ」歌詞より

夕立を待つ
寂れたビルの屋上

dadzijuwha(過去の名義)「夕立」歌詞より

で、そんなのを歌にするのが愛だというのを、こじつけに感じる人も多いだろうけど、実際自分の中ではそうなのだ。
例えが古いが、三木道三が「Lifetime Respect」で、「お前がもしも ボケた時も俺が最後まで介護するで心配ないぞ」と歌ったように、私としては「世界が絶望的にボロボロになったとしてもやっぱり美しいと思うはずだよ」というようなことを言っているつもりなのだ。
と、さっき気づいた。

私は、歌詞は何となく浮かぶまま書いて直さないことが多い。かつほとんどの曲は詞先。あくまで作曲のとっかかりに、言葉があると捗ったのでこういうやり方が定着した。
ただ結果的に、案外無意識のうちに統一感とか世界観とか伝えたいことのようなものが形成されていたのかも。

歌詞のことを考えたのは、今年は歌をもう少しだけ頑張ろうと思っているのと関係している。音源作る時も一番の課題が歌唱力。あと、やはりライブとかやりたいと思い始めたのでそれに備える意味でも必要。
まあ、地道にやっていきます。

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