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ともだち

私は帰省先での友達がものすごく少ないのだけども、こんな私にも帰省するたび会ってくれる友達がいる。彼女とは小学生時代から今現在に至るまで緩く関係を保っています。今回の帰省では二人で焼肉を食べました。というわけでトプ画は焼肉の写真。

出会いというか、私が彼女を認識したのは小学4年生の頃。彼女は極度の人見知りで誰とも話そうとしなかったのです。なんなら私が話しかけても小さな声で返事をするだけでした。あまり人と話したくないのかなと思っていた矢先、担任の先生から⚪︎⚪︎さん(その彼女)あなたとお友達になりたいらしいけど自分からは話しかけられないらしいからお話ししてあげてくれる?といわれ嬉しくてたまらなくて、本当にうざいと思われるくらい話しかけてました。(実際ちょっとうるさかったらしい。)

そして時は流れ中学時代。同じクラスにもなっていたんですが私は中学1・2年次、自分自身のことで手一杯で毎日を生きることに必死だったのでその子との関わり(というか一切の人との関わり)はなくなってました。
転機が訪れたのは中学3年生になったときでした。保健室登校ではあったけども、そこそこ学校には顔を出せるようになりました。そこで仲良くなった友達とその彼女が友達だったのです。それもあってまた彼女と話すようになりました。

正直久しぶりに会った彼女は全くの別人のように明るくなっていました。部活動に入ってからいろんな人と関わるようになって変わったらしいのです。それからも同じクラスなこともありかなり行動を共にしていました。

高校は別々になりました。会う頻度はぐんと減ったからこのまま疎遠になるかなと思いきや、3ヶ月に1回くらいのペースで会っていました。この時にはお互い冗談を言い合える仲にまでなっていました。

それから浪人を経て大学4年の今に至るまで彼女との関係は変わってません。会う頻度は半年に一回くらいだし、お互いもお互いの周りの環境も目まぐるしく変わりました。でもどんなに最後に話してからのブランクが長くても、一度会えば自然に話すことができます。

彼女のいいところをあげればキリがないんだけども、とにかく自由なんです。そして自分の幸せに貪欲なところも好きです。とはいえ、もちろん悩みがないわけではない。でも常に前を向いています。いつも思い悩んで立ち止まっている私は彼女の生き方にどれだけ救われたか分からない。もちろん自由すぎて失敗することもありました。でも悲観も絶望もすることなく別ルートの幸せを探して、彼女なりの幸せをちゃんと掴んでます。停滞という2文字が彼女にはないんだろうなと思うのです。すごく良い生き方だなと思います。彼女と友達になれてよかったと心から思います。

かわいすぎる


人との関係性は縁という言葉で表現されることがあります。縁は結ぶものであるし、またときに解けてしまうものでもあると思います。結べる縁はなるべく結びたいと思いつつも、たくさんの縁を結ぶことに夢中になると本当に大事な人との縁がほつれてしまいそうな時に気づかなくなる可能性があるので、私はそんなに多くなくて良いと思っています。言うまでもなく、彼女との縁も大事にしたい縁の一つです。

彼女との縁はたぶん家族の次くらいに長い間結ばれています。彼女との縁がどこまで続くかは分からない。緩くてもいいから彼女との縁がこれからも末長く結ばれていればいいなと思いつつも、もしかしたらこの先緩やかに解けていくことも可能性としてないわけではないです。でももし解けても、その解けてしまった縁の糸でさえ時々思い出して慈しむことができたらいいなと思います。

次会うのは早ければGW、遅ければたぶん社会人になってから初めての夏期休暇かなと思ってます。帰省する頻度は変わらず半年に一度くらいで、頻繁には会えないだろうと思います。だからこそ彼女と会うことができる一回一回を大事にしたいと思います。



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