沖田修一と【愛】

こんばんは。お久しぶりです。
前に予告で、次は芥川の羅生門について書くことを言いましたが、すっかり気が変わっちゃいましたので取りやめにします。断っておくと、僕の人生においてこのような事は往々にして起こります。

さて、

僕はずっと昔からどうも予定調和的な感動モノが苦手です。
分かりやすく言うと、試写会で泣きながら映画を鑑賞するお客を写すCMを流す作品、ありますよね。あの手のモノを指していると思ってもらって差し障りないです。

何故こんなに苦手なのかな。これまで沢山考えました。そして1つの仮説を打ち立てました。それは、現実味が薄いから。

恋愛モノにしろ家族モノにしろ、展開であったりキャストの性格であったり些かキレイ過ぎやしないか。一時期はマトモに感動できないほど自分の性格は拗れに拗れて湾曲してしまったのかと不安になる事もありました。

いまでも予定調和的な、正統派な感動モノは苦手です。好んで観ることはありません。

そんな僕が唯一、言葉の留保抜きで感動したと言い切れる邦画作品が「横道世之介」でした。
沖田修一監督の、程よく力の抜かれた演出が、程よく感動させてくれます。

この度、同監督の「モヒカン故郷に帰る」を観ました。今回も沖田節が炸裂してました。

「横道世之介」ともリンクする死さえも笑いに変えていくエンタメ性。

そして「リアル」らしさ。決して綺麗に見せ過ぎない描写。

押し付けがましくない愛の見せ方、これが一番心にくる。

相も変わらず上手く纏まりませんが、
押し売りされた「感動モノ」の飽和した昨今、さりげなく穏やかに愛を描く沖田作品に注目してみてはいかがだろう。

それではこの辺で。



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