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#43 働くってこういうことなのかな


「亡くなったら呼んでください。」


それが電話越しに聞いた家族の言葉だった。


それぞれの患者さんを見渡せるように設計された、ただカーテンで仕切られただけの”部屋”にある大きな窓から見えた外の景色は漆黒の闇のように感じた。空から降り続く無数の雫を街灯が無常にも煌めかせていた。それがまた虚しさを掻き立てる。


看護師2年目になったばかり。

今の時期と同じ香りがする日だった。

僕は初めて人の死と向き合った。


虚しさ」といった表現が適切かどうかはわからないが、家族から見放され、最期の時を独りで迎えることが人をこんな気持ちにさせるのかと感じていた。


そうなってしまった理由は人の数だけあり、様々なことが複雑に絡まり合ってここまできてしまったのだろう。時間をかけてキツく固く結ばれてしまった結び目は、最期の時が訪れてもなお解かれることはなかった。


その人は死を目の前にして今まで生きてきた人生に何を感じていただろうか。


自分の思うようにいかないことも沢山あったことだろう。むしろ、そうしたことを乗り越えていく日々の繰り返しだったかもしれない。


未熟だった当時の僕にできたことはただ、本人が寂しさや恐怖を少しでも感じないようにベッドサイドで手を握り、その時が来るのを待つことだけだった。


僕の心の中には悲しさ虚しさが溢れ返っていた。本人が退屈な入院生活の間ずっと眺めていた天井、無機質な白色のライト、誰かがぶちまけたであろう栄養剤の跡を見つめていると、上を向きながら堪えていたものが流れ落ちていた。


昔ながらのつながりが薄れてしまった社会へと変わり、孤独ビジネスと言われるようにスマホなどオンラインを通じて、あらゆるモノ・コトが人と繋がらなくてもできる便利な社会になった。便利な弊害として僕たちは”なにか”を失ってしまったように感じていた。


看護師として初めて人を看取ることから始まった新年度。それから数ヶ月の間、毎月のように息を引き取る人たちと向き合う場面があった。1年目の時が不思議なくらいに平和な一年だったことに気付かされる。


今まで当たり前のように一定の回数動いてきたものが、ゆっくりゆっくりと動き方を変えていく。1秒に1回、2秒に1回となり、生きていることを示していた波打つ線は平坦になり、数字は何かを訴えるかのように0を示す。


人の最期に初めて向き合ってから3度目の時だっただろうか。その日も外の世界は何かを包み込むような暗闇の中にいくつもの灯りがキラキラして見えた。どうしてこんな時は夜が多いのだろう?


また一つ幕が下される最期の時を今度は家族さんと一緒に、角がボロボロになった実家の毛布に包まれているかのような安心感の中で過ごしていた。


トラクターの運転手で頑固だったこと、自分の決めたことを最後までやり遂げる人だったこと、女性関係で面倒をかけていたことなどを笑いながら、一つ一つ宝箱を手に取ってワクワクしながら開けていくように家族さんは話してくれていた。


すると、ちょうど日付が変わるタイミングでその時が近づいてきたことがわかった。力強く動いていたものがゆっくりと弱くなり始めた。


僕「そういえば、今日80歳の誕生日でしたよね。」

家族「そうなんですよ。やっぱり最後まで頑固だったね。誕生日迎えるまでは死ねない!みたいなこと言い出しそうですもん…。」

僕「そうかもしれないですね。最後まで自分らしい生き方をされましたね。」


そんな会話をしている間に、僕の目には目尻に皺を作って微笑んでくれた優しい顔も、『生きたい』という希望をまだ諦めきれない瞳も映らなくなった。ぎゅっと握ると握り返してくれた暖かい手も感じることができなくなった。


本人にそっと「よく頑張りましたね、お疲れ様でした。」と声をかけてから、僕は家族と本人だけの時間を作るため、席を外した。


個室の扉を背中に、1回目の時のような悲しみも、虚しさも、涙も、その時はなかった。ただ、そこにあったのは”なにか”で心が満たされている不思議な感覚だった。


僕は時間を少し取ってから訪室し、体を拭いたりして綺麗にする最期のケアを一緒にしてはどうかと家族さんに提案した。


そうしたケアを通じて、いろんな感情が整理されて、少しでも残される人の苦痛を軽減できるようになればといった思いからだった。


家族さんはその提案を喜んでくれて、ぜひ一緒にさせてくださいとのことだった。提案した時に見た、喜んでくれた家族の表情が僕の脳裏に今も焼き付いている。


中には向き合うことが辛く、そうしたケアを断る家族さんもいるため、一緒にしたいと言ってくれたことが僕は嬉しかった。

最期のケアを一緒に終えて、夜も遅かったため遺体をある部屋へ少しの時間、置いておくことになった。そこは普段僕たち医療者でもあまり通らない通路にある部屋。白く細長い通路の両サイドにいくつもの部屋へ続く扉が見える。


部屋の案内を終えて、歩いてきた白く細長い通路を家族さんと共に歩いていた。正面玄関へ送り届けるまでの数分間、何を話していいのかわからず無言状態が続いていた。時が止まっていたかのように、たった数分の時間が数時間過ぎた後のような感覚だった。するとその時、家族さんの一人が話して下さった。


家族さん「看護師さんでしたっけ?

僕「…はい。」

家族さん「…素敵な仕事ですね。

僕「…(頭を下げる)」

家族さん「今まで本当にありがとうございました。


僕は言葉が出てこなかった。

頭の中では何かを返そうと必死だった。

それでも、何も出てこなかった。

頭を下げることで精一杯だった。

今その時のことを振り返るとどのように言葉を返すだろうか?

「ありがとうございます」といった感謝も、

「そうですね」といった共感も、

僕にはどこか違うような気がしてならない。

僕は看護師として何かできたのだろうか?

看護師として他に何かできたのではないか?

看護師としてだけではなく、人としてできることはなかったか?

家族の悲しみ、苦しみ、辛さなどの心の負担を軽くすることはできたか?

その日以来、自分への問いかけが終わることはない。

「あ、そうか。僕は、看護師だったんだ。」


人はときに、いや、もしくは頻繁に”自分が何者であるか”を見失う。
僕はただ、目の前の仕事をこなすだけになっていたのかもしれない。
僕は看護師という仕事の本当の目的を見失っていたのかもしれない。


「ああ、部署に戻りたくない。戻ったらあれやって、あっちの準備遅れてるから、先にあれをしてから、次にこれをして、あ、それに入院も来てたし、、、あああああああああ。このまま家族さんを正面玄関まで案内して、僕もそのまま帰ってやろうか!!!」

そんなことをつい数分前まで考えていた自分を後悔した。

グレーな壁に数字が書いてあるだけの箱に閉じ込められるような感覚。少し俯く自分の顔を家族さんからもらった言葉の力でグイっとあげる。


車椅子の人のために取り付けられている鏡には自分の顔と充血した目が映っている。


深夜のエレベーターに乗り込んでくる人はいない。ワイヤーで巻き上げられる静かな音が耳に入ってくる。


静かな世界の中で家族さんからもらった言葉が頭の中で反芻していた。


「素敵な仕事ですね」


その日、エレベーターの鏡で見た自分の表情をこれからも忘れることはないだろう。とびっきり嬉しいことがあった時のような輝きを放つようなものではなかった。だけど、どこか誇らしく、何かに満たされているような顔をしていた。

「こんな気持ち初めてかもしれない」



ただ一つわかっていたことは、誰かのために何かできたのかもしれないという気持ちで胸がいっぱいだったこと。

降り続く雨は夜が明ける頃には晴れ間に変わっていることが多いような気がする。多分気のせいだろうが、その日の太陽の光に照らされた時、「お疲れ様」と優しく声をかけてくれているかのような、いつもと違う暖かさを感じた。


どうして夜勤明けの太陽はこんなにも気持ちいいのだろう。


ああ、、、働くってこういうことなのかな。



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