見出し画像

養老孟司さんの本を読むと加藤紘一総理を見てみたかったなと思う。

先日、久しぶりに養老孟司さんの『バカの壁』を読み直しました。

画像1

この本に限らず養老孟司さんの本は二元論的に物事を考えることの重要性を説いています。

『バカの壁』の結びには、こう書かれています。

一元論にはまれば、強固な壁の中に住むことになります。それは一見、楽なことです。しかし向こう側のこと、自分と違う立場のことは見えなくなる。当然、話は通じなくなるのです。

これを読んでいるとある一人の政治家を思い出すのです。

それが山崎拓さんや小泉純一郎さんとYKKを結成し、『宏池会のプリンス』と呼ばれた加藤紘一さんです。(加藤の乱でご存知の方が多いのかな・・)

私が大好きなノンフィクション本に田原総一朗さんの『頭のない鯨』があります。

画像2

これは宮澤政権の崩壊から橋本政権の樹立まで(言うなれば自民党が下野していた期間)を、当事者たちのインタビューによって浮き彫りにしていく内容であります。

この本の中で田中秀征さんが、当時の日本の状況を・・

「指導原理がなく、指導者がいない。それでいて図体ばかり大きくなってしまった。」(P203)

と述べています。これがタイトルの『頭のない鯨』の語源です。現在もそのままのように思いますが・・

それで、著者の田原総一朗さんは、いろんな政治家に『今後の日本の新しい旗は何か?』と質問をぶつけたそうです。しかし、その問題を真っ向から捉えて、重要な問題として、明確に答えた人間は二人しかいかなったと最終章で述べています。

その二人というのが、上記の加藤紘一さんと小沢一郎さんです‼️

小沢一郎さんは・・

最初に「意識改革だな」と言い、意識改革とは?という問いにこう答えています。

「寄生社会、もたれ合いの社会、談合の社会、内向きの社会、クローズな社会を改革して、グローバルなポリシーを持ったオープンな社会にする。国際社会に通用する国にする。そのためには、日本人の頭の意識を変えなければならない」

今の小沢一郎さんからは想像できない意見ですが・・

そして、これに対して加藤紘一さんは「フュージョン(融合)」と答えます。

どういう意味なのか、田原総一朗さんがある学者の言葉を引用して説明しています。

「これからは『文明の衝突』の時代になる。キリスト教、イスラム教、あるいは儒教文化……。一神教というのは、われらが正義、他は間違っているということで、うまく調整がつかなくなる。それに対して、日本は、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教、神道と、全部そろっていて、日本人はどれにも拒否反応を示さない。まさにフュージョン。主体性がない、顔がないと批判されたが、これからは日本流の調和が重要な役割を担うことになる」

私はどちらかと言えば保守ですので、小沢一郎さんの意見の方が納得出来る部分があります。しかし、加藤紘一さんのリベラル的な意見は、養老孟司さんと相通じるものがあります。だから、養老孟司さんの本を読んでいると、加藤紘一総理を見てみたかったなと思うのです、、もちろん、思うような政権運営が出来たかどうかは分かりませんが・・

グローバル化社会の中では、加藤紘一さんが主張するような、日本的な良さこそが重要なのかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?