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讒文芝居

●最近の此のバンド弩豪い

■Yogee New Waves(ヨギー・ニュー・ウェーブス)

「ひとはどうして死ぬのかわかるか?
ずっと同じところにいるのに疲れ果てるからじゃよ。
あんたがそうやって当たり前の顔をして生きているのは、
……つまり死にたくないのはな、あんたがあんたでいつづけることに、
まだ疲れてないからじゃ」
「死は、なるほどひとにとっては、わかりやすい話じゃよ。
だが、疲れ果てるのは、何もひとだけではない。
花が散るのも、樹が朽ち果てるのも、
……大河が涸れるのも、巨きな湖が失われるのも、
……代々つづいた屋敷が崩れるのも、城市が廃れるのも、
繁栄を極めた国が滅びるというのも、つまりはみなおなじ……、
そこにいることに疲れたからなんじゃよ」
「おなじところにあると消耗する、街もまたおなじ。
……だから、疲れ果ててしまわないうちに、飛ぶ街もある」
(林巧「斃れぬ命 - 老林亜洲妖怪譚 -」)


筆者が、心の襞や経過、中間を認めた、優しい音楽に目覚めたのは
矢張り「丸くなったから」なのだが、梶井基次郎の「檸檬」の如く
「大体の事柄に飽きた」のが正しいの乎も知れない。


此のバンドの音楽から受け取れる印象は底抜けの優しさ、
だが、薄っぺらい、表層丈の其れだったら、一聴して白ける筈で在る。
掴みで在る冒頭リフからして、人懐っこく、
透き通った声を追っ掛けるギタアが此方の心迄降りて来て呉れる。
先に敗けて呉れる、引き受けて呉れる、

哀しさと、寂しさを直截には云わないが、優しさに包んで受け渡して呉れる
持て成しに満ちて居る。多分、其れを世間は御洒落と云うのだろう。
当たり前なのだ。
だが、生憎と人生の厳しさは、気の遠く為る程、其の当たり前も
忘れ然せる事も在る。だから、斯う謂うバンドが必要なのだ。

良い音楽とは、何れ丈自分の家に招いた感覚を体験させる乎
だと誰かか云って居た。
優しく、澄み切って、ロマンチック
なのに同時に此の夢心地は永続きしない、一歩間違ったら絶望がある
予感を禁じ得ない。じんわり滲む感情は其の何方も欠く事は出来ない。
哀しい丈でも歓び丈でもない「泣き笑い」が人生だし、飽きが来ない。
だから、移ろう悲喜交交には見合ったBGMが要る。

●CLIMAX NIGHT 

●to the moon

●SAYONARAMATA


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