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讒文芝居

●最近の生き死に根多の考察
 
皆さん御自身の嬰児が生まれると異口同音に「目出度い」と仰るが
今迄の艱難辛苦七難八苦では済まぬ己が身の上を鑑み、
更に何んな人生ゲームのイージー・モードの御仁も
生きる苦しみ哀しみからは到底遁れられぬのを厭と謂う程痛感して
此の歳に為って、苦しみ以外の真っ白喃空白し乎見当たらぬと、
生まれ生きる自体が、残虐で陰惨、大惨事喃事だのに喃ー。
と理解に苦しむ。

御子様を愛するのは好いが、憎む者ならいざ知らず
貴方の血塗れで歩いて来た地獄を、態態度、最上に愛する御子に歩ませて
何故に平気だのですかい?と。
其れって、親の利己主義(エゴイズム)では無いの?
御子が目に入れても痛く無い程に可愛いのでは無いの?と。
此の世が何れ丈地獄だの乎、骨身に沁みて居るのでは無かったの乎と。
想っちゃいけないと想いつつも、ついつい想って仕舞う。
中二病の鬱病気味、誇大妄想狂の偏執狂、厭世主義の対人醜形恐怖症の
ノンシャランだからだろう乎。
翻って、立派喃親御の皆様は
「憂き事の尚この上に積もれかし限りある身の力試さん」魂の
殊勝足る事の権化だのだろう乎。うーむ。あたしにゃあ無理だわ。
批判してるんじゃあ御座居ませぬ、個人的喃感想。

 彼の人生の溝攫いの如し漫画の大家ジョージ秋山先生をして
ばらの坂道」にて到底「鬱展開」と謂う言葉然え言葉遊びに感じる程の
艱難辛苦の釣瓶打ちの末、主人公は己が使命と
今日で謂うNGOを立ち上げ寸前に自ら生命を断つのに、
近しき者が「卑怯者」とし乎悪罵を吐かなく為るのに、あんまりだ先生。
とも思いつつ、ジョージ秋山先生の読者への
「人生物凄い事が待ち受けて居るだろうが、喰い縛って、生きろ」
と謂う逆説的メッセージだのだろうとも想う、想うが、

 親しき愛す可き者が鬱病のどん底に於いても、
「とは謂え、何時乎笑い種に為るし、彼氏に自害の覚悟や度胸は無し」
と勝手に判じた後「便りの無いのは元気喃証拠」だの能天気にして居たらば「(解った時点で)2年前に自死に成功した」の報とも云えぬ報に
晴天の霹靂もいいところで、哀しみも無く茫然とするし乎無かっ度。
自身の凡夫が中年に為り成人病の巣窟に為る身の上や
老いさらばえていく親や己の行末、末路の怖ろしさに
彼氏を正直、羨ましい。死ねる勇気や覚悟が、と想って仕舞うが関の山。

為す術も無いのは疎か、五年前に死んで於けば、否、十年前にと
彼氏には悪いが、其んな傲岸不遜で我儘で楽に為り度いと謂う
自己中心的に凝り固まった後悔をする頻り。
現実の真実の姿は、膠も取り付く島も無い、絶対の絶無虚無。
無味乾燥をも盛り上げられた作り話の更に上を行く
情緒の無さだのを厭って程に味わっ度。

 其の界隈の事に真摯に全作品を通して応えたのは
京極夏彦先生し乎居無いし、殊に「答えでは無い」が
「では実際マジに割り切れぬ『彼岸』の事を
訳知り貌の御仁(物語の登場人物)は綺麗事抜きで如何乗り越えるの乎」
を具体的に書いたのは「ヒトでなし 金剛界の章」位のもんで在る。

だから湊かなえさんの如く
扇情主義(センセーショナル)ばっかの浅い中二病の様な事で人を殺す描写を
書いちゃう「告白」の如き小説は憎むし乎無い。
まあ、だとしたら毎回人が死ぬミステリだってヒドイが
「ヒドイ遊び」として割り切れる分イイが
「告白」はもっともーっと、
陳腐で怒りを通り越して憤りし乎無い。
映画化に選んだ中島哲也にも失望し度。
未だ湊かなえさん丈は赦せない筆者で在る。
まあ、だからと謂って彼女の作品を買わぬ位し乎報復手段は無いのだが。
北方謙三先生も普通に接される事をラジオで仰って居たが
理解に堪えない。其れも京極先生に云わせると
「好き厭いは無い。均せば普通」の
「凡てを知った上での上位互換の境地」だの乎。
未だ未だ修行が足りぬ自分には無理で在る。

 だからやっぱり似た感じの
ドラマ「3年A組 ―今から皆さんは、人質です―」
も云ってる事も解るし未だ湊さん選りは短絡では無いが、
じゃあテロルの如し拉致監禁や諸諸遣ってイイの乎、
気晴らし腹癒せに責めてものフィクションだけれど「寓話ダヨ」って免罪符でも彼処迄具体的に遣るのも如何乎と。
(煽情が強めだとしても某の「情のみで突っ走る危険さ」を是とし過ぎ)
彼れで感動したと乎仰る向きも、もう鳥渡、
倫理や現実と理想に就いて鑑みて欲しい。
(其れを吟味然せる為と云っても、彼の方法に賛同出来兼ねる)

「あなたの番です」もウマく人の気持ちをそそる脚本、
狂気を帯びた風の人は実はミス・リードで
本当に甘い気持ちに然せる人が真犯人と謂うのも。
ちゃんと風呂敷を此れでも乎と折り畳む手際を評価はするが、
「毎週人が死ぬ」を目玉に
「人の死のビックリや煽情的(センセーショナル)を消費してまーす」
の感じが、あざと過ぎで受付無乎っ度。

其して「デッドストック ~未知への挑戦~ 」が其の逆で心霊やホラー、
残酷無比下らなさを此れでも乎と遣るが、最終的には魂の彷徨い、
流離いの行き着く先の「救済、でも無い」が「落とし前」は
「本当に人の心や魂に優しくつけている」ので「物語の面白さの良し悪し」では無く「見る人への影響の良し悪し」で個人的には納得出来度ので在る。

 まあ、浅学で浅薄な筆者の雑駁とした結論では在るが、
然う謂う話を賞賛し度いし、好きだと云い度い。
矢張り人の死には、否応無く真摯に向き合い度い
元・デスメタリストで在っ度。




あなたは愛すること 愛されることどちらがすきですか
わたしは両ほう わたしはよくばりかしら

わたしの場合 愛するのも愛されるのもすきではありません 
苦しむのがいやだから 苦しむのがつらいから

そうですわたしはなまけもの
そうですわたしはなまけもの

(ジョージ秋山「ばらの坂道」選り抜粋)