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讒文芝居

●最近の此の曲弩豪い

■寺尾聰「出航 SASURAI」

若い頃は、心の襞の本当の意味が解らず、又、強烈過剰で去勢を張るのが
死をも厭わぬ自棄ッ八が、打っ切ら棒が、
カッコイイと何故だか思っていた。ロックだとも。

神話的英雄、餓鬼大将、不良ツッパリ何でもいい、兎に角熱血で
男らしく突出した者に憧れたし、漫画の主人公になりたいと痛烈に思った。

それとは逆に、闘争が厭いで、内省低体温な自分がいたし、
それが間違いとしたら自分の存在は一体……。
と、存在価値(レゾンデートル)に闇雲に悩んだりした。
その原因も知らず、本当に暗中模索していた。
なんせ、男らしさや説教だとか拳で語る、
喫煙が持て囃された時代が昭和だ。

広義のメタルもハード・ロックも極端に基本胸倉を掴み恫喝し、毒を吐き
そのショックが癖になって中毒化する、
ニコチンやアルコール中毒の様な「後は知らん」という無責任さがある。
広義のプログレみたいに無駄に「芸術的に」長すぎるものも、
感覚を麻痺させ幻惑させるのも後後、心が疲弊するので
「そういう意味では」あんまり責任感があるとは云えない。

リスナーやファンだって莫迦ではない。

そもそも、というかそろそろ、英雄や持っている者たちの神話でなく
分相応に持たざる我我凡夫の飾り気のない日常の詩がカッコイイ。
立場や手前勝手の気負いに関係ないのが音楽だと……心の襞が解りはじめた只今では「ヒップホップ」全盛なのは、偶然ではないのだ。

そして、近年何故だか流行のAOR、ソフト・ロック、シティ・ポップ、
ヨット・ロック、フュージョンの類は大人に沁みる。
持たざる我我凡夫の飾り気のない日常こそが、
人生だと諦念した大人には解る。
それだけ、バブル等の浮つきを超え、成熟を取り戻したのだろう。

大仰な神でも悪魔でも無い、タダの人間の話に戻ったのだ。

幻想や想像の地獄でなく、現実の地獄を流離い彷徨い飽きた大人には
実は本当の地獄は、「何もない」虚無であり、本当の恐怖だと知り、
その虚無をイヤという程味わった大人には、誇張も衒いも要らない。
「ザ・ブルーハーツ」に「頑張れ!」と励まされるのも
廿代でギリギリだと何時しか誰もが気付くからだ。

而して、「ルビーの指輪」に隠れた名曲は、昭和に生まれても旧びない。
ルビーの指輪より地味に、丸でワルツのようなリズムに載せた、
緩やかなスライド・ギターの音色。でも、永遠に誰にでも当て嵌まる
普遍と私小説のような感情を「うっすら」同居させる。
恥ずかし乍ら、法律事務所の宣伝で、漸く初めて知ったのだが、
若い頃は、取るに足らぬと判じていたろう、この曲に度肝を抜かれた。

全ての不安を抱える魂を優しく包み、中毒にもさせず、説教もしない
流れる雲の様に、静かに掻き消える。
なのに、心に遺り続ける、そういう曲を、わたしは聴きたい。

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