見出し画像

僕がスタジオを作った理由①

独り言としてnoteに書いておこうと思ったので
なんとなく書いてみます(笑)

スタジオを作った理由として色々と考えてみましたが
全てが最初から繋がっていて上手く説明が出来ない事が判ったので
なんでこうなったのか?という
結果的に今までの音楽人生のキャリア的な事を書いていこうと思います。

「初めての楽器(中学時代)」

中学時代、同級生の友達2人がギターとドラムを始めると言い出しました。
僕は音楽の成績も悪く、それまで音楽はあまり好きでは無かったのですが
なんとなく流れで「じゃあ俺キーボードやる!」と言ってしまい
一緒に楽器を始める事に。


おじいちゃんにお願いしてYAMAHA V2というシンセを買ってもらったのですが
(今思うとなかなか渋い選択でした TX-81Zと同じ4オペレータFM音源シンセ)
友達が聖飢魔IIのコピーをやると言って聴いてみるとキーボードがほとんど入ってないんですよね。
まぁでも入ってる曲を練習したりしてたのですが、やっぱりキーボード主役がいいな〜と思っていた所
シーケンサーというのがあればシンセの自動演奏が出来る!
という情報をどこからかキャッチしまして
ひとりで御茶ノ水に行って中古のYAMAHA QX-5という
シーケンサーをお年玉で買いました。

当時GETWILDの大ヒットでTM NETWORKが人気があり
スコアも発売されていたのでそれを買ってきて一人で打ち込みしたりしてました。
ちなみに譜面も読めなかったので昔の音楽の教科書を引っ張り出してきて
ドレミの勉強からのスタート(笑)

元々パソコンも好きで親父のコンピューターを借りてプログラミングして遊んでたりもしたので
ハマるのに時間はかかりませんでした。
(当時の愛読書はみんな大好き「マイコンBASICマガジン」 通称ベーマガ)

ちなみに初めての自分のマイコンは「ぴゅう太」でした。これまた渋い。

うちの親父もコンピューターが好きだったり 音楽(聴く方)も好きで
真空管アンプやオープンリールや大きなスピーカーなんかの専用部屋があったりの
オーディオマニアなので、機械や機材好きはその血を引いてるんでしょうね(笑)

担任の先生がドラムが出来るっていう事でドラムクラブなんてものが学校にあって
ドラムを教えてもらったりもしてました。
教室でドカドカ まぁまぁうるさい。今思うととても良い学校です。

最終的にはその先生とバンド組んで学校の体育館でライブしたりもしました。
これが初めてのバンドだったと思います。

演奏した曲はTMの曲だったりブルーハーツだったりBOOWYだったり。
学校に家にあったスピーカーやら機材一式持ち込んでなかなか楽しかったです。
メンバーにベースが居なかった気がするけどどうしたんだっけな(笑)

打ち込み環境もこの時点でV2とTX81Z、ROLANDのD-110と中学生にしてはなかなかの環境だったと思います。

「ギターを始める(高校時代)」

通っていた学校が遠かったというのもあり、軽音部に入ったのですが
キーボードを持っていくのはなかなかしんどかったということもあり
ギターを始める事になるわけです。
中学時代から、友達のギターを借りて一緒に練習はしていたので
少しは弾ける状態からスタートしたのですが
やっぱり自分のギターが欲しかったので夏休みにバイトして
池袋のイシバシ楽器でYAMAHAのストラトと
BOSSのマルチエフェクターを買いました。

当時バンドブームの真っ最中
ブルーハーツ、BOOWY、JUN SKY WALKER(S)などコピーして
学校の友達とバンド組んで練習してました。

後に寺岡呼人さんと知り合ってJUN SKY WALKER(S)が活動再開した時に
新曲のアレンジや過去曲のリアレンジをさせてもらったりして
とても感慨深かったです。中学時代の俺に教えてあげたい!っていうアレです。

ギターの森純太さんに「君 俺のギター解ってるね〜」と言われたんですが
めちゃめちゃコピーしてたので当たり前ですよ(笑)
僕の音楽遺伝子に刻まれてます。

高校2年生になった頃、同級生で一緒にバンドをやっていた友達の
2つ年上の幼馴染のバンドに加入する事になり
学校外での活動が始まります。

このバンドで原宿の歩行者天国だったりたくさんのライブハウスに出たりと
色々と長くなるので、続きは次回書きます。

今回はこの辺で。また!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?