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生きながらにして霊界の地面を見るコツ


(カバー画像はいらすとやさん)
私は視えない人より視える人だと自覚しているので、あの世の豆知識程度の事を教える事が出来るのではないかと思って記事を書く事にした。
昨日と今日視た物事に関しての素人の覚え書き程度なので、ガッツリ視える系の霊能力者には敵わないだろうが、霊界についての話をしよう。



一昨年はうちの旦那の祖母の葬儀に参列、昨日は祖父の葬儀にフルで参列して、やっと自分の中で確信みたいのを得たのだが、あの世とこの世には段差があるという事を発見した。視えてしまった。
知ってる人は知ってるんだろうけど、私は知らなかった世界だ。
今までモヤモヤして説明できなかったので、誰にも語ってこなかった。

要するにあの世は我々が生きている3次元では無いのだ。次元が違うからひずみがあり、段差が生じているのだ。


結論から述べると、
現世の地面とあの世の地面は繋がってはいないのだ。

人々が思い浮かべたり聞いたりする三途の川の水面の高さは、だいたい地面からドアの少し上の辺りの距離だと目測する。
高さについては知覚した個人差は大きいと思うが、あの世の地面はすごく高くもなく、そして現世と同じ高さにはない。自分の目線のちょっと上という事だけ知って貰えればいいや。あの世の世界はアイレベルを合わせて見ようとしても見えない。
世界がずれてるから、何らかの努力して対岸に大ジャンプするか、肉体が再生不可能にならない限りあっちの世界にはどう頑張っても行けそうもない。生きた人間には越えられない面倒な段差があるのだ。

三途の川の向こうには美しい花畑が云々~とか、今いる世界と反対の季節や時間であるとか、あの世についての話を聞く事があるのだが、あながち嘘ではないようだ。
今現在、これを書いている季節は夏なんだが、川の向こうの景色は冬のようだった。花は咲いて無かった。ただ、厄介な雪が積もってないだけちょっとうらやましいなとも思った。
通夜の時の景色は明るく、午前中にやった告別式の時は真っ暗な川縁が見えたので、時刻も恐らく反転している。

上記の私が書いた雑な説明の世界に生きたまま行くのは難しいが、視る事なら誰でも可能である。





生きたまま安全にあの世のゲートを見る条件として


1、サードアイチャクラ(眉間のチャクラ)を適度に開いて置く
2、葬儀に参列する



この2点は前提となってくる。幾ら修行を積んでもサードアイチャクラが開けなかったら見るのは諦めよう。
眼球で直接視覚をとらえるのではなく、人間に備わっている第六感みたいなもので視るので、視力は幾ら低くても問題は無い。

3、僧侶、またはそれに近しい能力の者を葬儀会場に呼ぶ

これについては宗派によって差があるのかはよく分からない。日本に昔からある宗教なら、結構な確率で似たような景色が視えるのだろうと思いたい。
神式やキリスト教その他の葬儀は参列した経験が無いのでよく分からないが、修行を積んだお坊さんはあの世のゲートを引っ張って来てくれるので、サードアイが開いていれば、あの世の入り口の川が意識すると視える。
葬儀が全部終了すると閉じる仕組みになっている。お坊さんがお経と真言を唱えて次元を連結して、死者の魂をあの世に渡しているのを故人と関係ある者が見守るのが葬儀の仕組みなのだろう。葬儀を進行するセレモニーホールの職員は魂を向こうに送る為には直接必要ないみたいだ。

以上の三つの条件で、あの世の入り口だけは視る事が出来る。


他にも葬儀の時に死者がどうなるのかのネタがあるのだが、また今度にする。



おまけの豆知識

Q「あの世に我々の思い浮かべる天国と地獄はあるのか?」

A「ない」

入り口をパッと見た感じ、この世と世界の仕組みはだいたい似ている様だ。
しかし、この世は向こうの世界とは決定的に違う所もあるみたいだ。
こちらに行き来できる向こうの人(あの世の人)に訊いたら「天国と地獄なんて、個人の思い込みで変わる」というような事をきっぱり言われた事がある。我々が生きているこの世で、自分が天国化地獄かどちらかの世界に置かれるという。
私が今、天国にいるか地獄にいるかよく分かんないが、私自身の主観として「天国にいる」と思い込む事にしている。その方が生きてる人間に厳しい日本社会で生き抜くにはライフハックになるだろう。




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